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part.1 国土と人々 part.2 国土づくりの歴史 part.3 技術の歩み
溜池をめぐる社会

 河川かんがいと異なり、溜池は、一般に小地域完結型の自律的な水利用の関係をつくるといわれる。一定量のストックとして水が見え、利用者はこれをどう配分するか、誰もが対等に共通して関心をもつからである。長大な水路の上・下流の利害調整がタテ系列の組織を生み出しやすいのに対し、ヨコ系列のつながりを生む機能をもつといえよう。
 溜池は用水不足地域の産物であり、水配分での秩序を保つため、水利用に集団的な規範をもつ。たとえば、溜池の樋門を開ける「ゆる抜き」で、これを行う日が集団で厳粛に守られる。また、春先から貯水量の不足している時には、水量に見合う割合だけ作付を許す「割水」(奈良県)や「歩植」(兵庫県)、「歩引」(香川県)と称する規制がある。さらに、個々の水田に土地所有権と対になった一定量の水の利用権が定まっている例もある。香川県では、「水ブニ」とよぶこの持分によって配水する。時間を決めて行う番水制もあり、線香の燃焼時間を用いた香川県の樹農池を利用する水田地帯の番水「線香水」は有名である。
 しかし、独立した小さな溜池で典型的な平等原理を基本とした水利用も、受益地が広がり、他の溜池や河川と結合すれば、かなり異なる様相を呈する。満濃地にその実態をみてみよう。溜池王国といわれる讃岐の地でもひときわ大きな規模を誇る満濃池は、空海の修築で有名であり、決壊と修復を繰り返して現在に至っている。下流に約60の子池をもつ親池として、子池に配水する溜池群の核をなす。
満濃池の築立の図
満濃池の築立の図
リーダーの指図で大勢の人々が杵で堤防をつき固めた。(満濃池土地改良区蔵)
 受益地には、上流部の証文水掛りと下流部の子池掛りとがあり、江戸初期に老中からの証文により定められた証文水掛りが優先的に取水し、有利な条件下にあった。証文水掛り内部でも範囲が広く、上・下流の利害対立が生じたが子池掛りはさらに不利で、上流部の残水を受けるため、夜間の引水や上流集落へのつけ届けなど配慮を要したという。「ゆる抜き」は6月15日と決まっており、世襲の水配人が配水をつかさどる。配水を希望する集落は水配人に願い出るが配水は配下の池守が行い、水路の分岐点には水番の股守がいて分水を実行、確認する。日当や資材は、その集落が出す。10年に1度しか満濃池から水をもらえないという、最末端近くの集落もあったという。
 満濃池は、貯水量1,540万m3、満水面積140haもの巨大な池ではあるが、約4,600ha、8,000戸におよぶ各々の水田への配水には、このように厳しく複雑な慣行を必要としたのであった。線香水は、この状況の象徴であろう。
 現在、この地域では香川用水が完成し、溜池と有機的に組み合わせた水利用が行われており、ここに古代以来の努力と現代の技術との調和が結実したのである。
満濃池の主要工事
6月15日の満濃池「ゆる抜き」
6月15日の満濃池「ゆる抜き」
  満濃池のかんがい区域
    満濃池のかんがい区域
空から見た満濃地の全景
空から見た満濃地の全景
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