コラム 万葉集と水

飛鳥川の流れ


 万葉集は、古代の生活を知るためにも貴重な史料である。当時の日常生活を構成していた事物が歌に託され、我々に古典文学以外の顔を見せてくれる。

  泊瀬川流るる水脈の瀬を早み井堤越す波の音の清けく(巻7)

 すでに水田農業が伝播したときからつくられていた井堰が詠まれている。初(泊)瀬川が「隠口の」(山に囲まれた別天地の意)初瀬の谷間から奈良盆地に流れ出るところは古墳が集中し、歌垣の行われた海石榴市が山の辺の道の起点をなしている。最も早く開けたところであったのであろう。初瀬川にかけられた井堰は、どんな様子をしていたのだろうか。

  明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに(巻7)

 川に掛けられたのは「しがらみ(柵)」であり、杭を打ち込み木や竹を横にわたして水を堰き止めており、古照遺跡(愛媛県)で出現したものと同様の構造である。邪魔があり思う人に会えない事情を、玉藻は流れに靡いているがしがらみのせいで靡きあえないと嘆いているのである。

  佐保川の水を塞き上げて植えし田を刈る早飯は独なるべし(巻8)

 同じく小河川からの取水をうたっているが、この歌にはもう一つ田植えを行ったことを示す「植えし田」が出ている。他に「蒔ける田」の表現もあることから、わが国の稲作に古代から一般的な田植えのほかに直播も行われていたのであろう。

  言出しは誰が言なるか小山田の苗代水の中淀にして(巻4)

 ここにも田植えを思わせる「苗代水」がある。また「小山田」は、特別の工事なくして稲作が可能な渓流のほとりの谷地田が開かれたことを示しており、「足曳の山田」「さ牡鹿の妻呼ぶ山の丘辺なる早田」などがうたわれていることからも、こうした場所の水田開発は重要であったと思われる。

  秋田刈る仮盧を作り吾が居れば衣手寒く露ぞ置きにける(巻lO)

 万葉集には秋の歌にこうした「秋田刈る仮盧」に関したものがある。秋、収穫のため仮の小屋をつくり、常の住居から離れ住んで刈り入れを行うのである。これは里から離れた谷間に水田を開いたことと密接な関係がある。

  埴安の池の堤の隠沼の行方を知らに舎人はまとふ  柿本人麻呂(巻2)

 かつて香具山の北西に埴安池があり、今も低湿地となってその名残りをとどめている。身動きしない水を湛えた池のほとりでその池のように重く途方に暮れる思いを詠んだ高市皇子に対する挽歌(反歌)である。水のままならぬ天水田から溜池かんがいへの発展をふまえ、溜められた水に思いをはせれば、貴人への挽歌もまた異なる色合いを帯びてくるのではあるまいか。