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コラム 石割技術

野中兼山
野中兼山(1615〜63年)像 (高知県本山町)
 『野中兼山伝』によれば、兼山が岩石破壊法として芋茎を岩の上で焼いたとある。
 土佐の森川(別名地蔵寺川)から農業用水を分水し、約36haの田をかんがいする新井の用水を開削するうえで最も障害になったのは、大願石の出現である。この岩石は、長さ40m、幅2m、高さ12mで、火薬で岩を砕く方法を知らなかった当時としては、この取り除き、破壊に苦心していた。
 あるとき兼山は「イモジ(里芋の葉茎)を岩の上で焼くとすぐ砕ける」ということを耳にし、早速、農家からイモジを10連ずつ集め、大岩の上に枯れ枝を敷き、その上にイモジを置いて火をつけた。イモジが焼け終わった後用意していた水を岩にかけた。石の熱気が冷えるのを待って、石工たちが石のみをあて、つちで打ち込むと、面白いように大岩は砕けたという。
 ところで、イモジを集めたころは、ちょうどどの家もイモジを食べつくしたところで、自家の食料に一連つくっても手間がかかるのに「10連とは!」と渋い顔をした。
 土佐では渋い顔をすると「イモジ十連顔」という。起源はここにある。
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