明治の浪漫 那須疏水の夢
ブルジョアジーの大農場
日本有数の荒野
今も現役・江戸初期の蟇沼用水
幻の大運河
維新政府の舞台裏
日本三大疏水のひとつ那須疏水の完成
実験的農場としての那須ヶ原
そして、国営総合農地開発事業へ
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ブルジョアジーの大農場
 昨今、首都移転で有力な候補地のひとつとなっている栃木県の那須野ヶ原(那須塩原市)。
 那須野といえば、天皇家の那須御用邸をはじめ、松方正義、大山巌、乃木希典など明治の元勲や将軍達の別邸や墓があるなど、もともと皇室や中央政界とのつながりが深いところです。

鍍金冠(ときんかん)[古墳時代中期]
 青木周蔵別邸
 塩原町にあった旧御用邸は、警視総監も勤めた子爵三島通庸が大正天皇に献上したものであり、それが縁でこの地が皇室の静養や疎開先となったといわれています。三島通庸は、土木官僚としても有名ですが、この地で初めて大農場を開設した人物。農場主であった通庸の子・三島弥太郎は、明治初期アメリカに留学しボストン大学で農政学の学位を取得したエリートで、後に日銀総裁を務めています。大山巌元帥の娘との結婚を巡る悲話は、当時ベストセラーとなった徳富蘇峰『不如帰』のモデルとしても知られています。その大山元帥も、国葬によってこの地に葬られています。

 乃木大将は、この別邸に来ると、自ら鎌や鋤を手に畑仕事にいそしみ、近隣の農夫とも親しく付き合うなど、この地の田園生活をこよなく愛したと言われています。
 その他、この那須野には明治の貴族たちの遺跡が数多く残されています。
 那須野と明治華族の結びつき―――明治の初期から中期にかけて、この一帯は華族たちの大農場が次々と展開された場所でした。明治30年代までに30以上あった農場の実に約4分の3が華族のものであったと言われています。それも大半が明治維新の英雄、当時の政府の中枢メンバーです(カッコは所有面積)。

大山 巌(公爵)
薩摩藩士。元勲。参議、元帥、内大臣等
<273ha>
西郷従道(侯爵) 薩摩藩士。元勲。参議、元帥、海軍大将等 <248ha>
松方正義(公爵) 薩摩藩士。元勲。参議、大蔵・総理大臣等 <1640ha>
山形有朋(公爵) 長州藩士。元勲。参議、陸軍・総理大臣等 <761ha>
品川弥二郎(子爵) 長州藩士。枢密顧問官、内務大臣等 <226ha>
山田顕義(伯爵) 長州藩士。参議、司法各卿、司法大臣等 <111ha>
三島通庸(子爵) 薩摩藩士。県令、土木局長、警視総監等 <1037ha>
佐野常民(伯爵) 佐賀藩士。農商務大臣、日本赤十字社設立等 <257ha>
青木周造(子爵) 長州藩士。公使、外務大臣、枢密顧問官等 <1576ha>
鍋島直大(子爵) 佐賀藩藩主。イタリア全権公使、式部長官等 <383ha>
毛利元敏(子爵) 長府藩藩主。豊浦藩知事等 <1326ha>
戸田氏共(伯爵) 大垣藩藩主。駐オーストラリア全権公使等 <883ha>
等々
※参議・・・明治初期では左右大臣に次ぐ重職。事実上の国政最高機関

 三島農場
 したがって、同じ明治期の大規模開墾でありながら、安積疏水や他の開墾事業とは少なからず様相を異にしています。
 例えば、安積原野の開墾はほとんど窮乏士族の手によって行われました。他の地域もそうです。
 いや、もともと明治政府によって奨励された原野の開拓は、維新によって俸禄を失った士族の救済がその目的であったはずです。
 しかし、この那須野ヶ原はどうでしょう。
松方農場などは1,640ha。まるで英国貴族の農場です。安積開墾でできた桑野村が人口700人で200ha程度の田畑ですから、規模としては比較になりません。

 さて、安積、琵琶湖と並んで日本三大疏水に数えられる那須疏水。
完成にいたる男達のドラマや華族農場ができた背景などを探ってみます。

鍍金冠(ときんかん)[古墳時代中期]
 千本松農場

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