水土の礎 キッズページ サイトマップ ご意見・お問い合せ
水土の歴史年表 地域の礎 水土の成り立ち 大地への刻印 国土を創造した人々 礎の歴史的展開 近代日本の礎 水土の巧
地域の礎
カテゴリトップへ
明日を拓く大地と水 岡山県 -国営笠岡湾干拓事業-
中四国エリア
戦後の国営事業









港町 笠岡の基礎



 笠岡市が面する瀬戸内海は、古くから畿内・九州・さらには朝鮮や中国を結び、貿易・交通・軍事上の最重要航路でした。そのため、古代から近代まで中国・四国地方の瀬戸内海沿岸には、港町として発展してきたまちが数多くあります。笠岡市もその一つであり、港町としての歴史は鎌倉時代までさかのぼります。

古代における瀬戸内海航路
「海の路 uminet.jp」サイトより転載

かつて笠岡城があった古城山
「岡山のお城と町並み」サイトより転載
錦絵:石山本願寺合戦
「早稲田大学図書館」サイトより転載
 鎌倉時代、笠岡はこの地方近郊で勢力をもった在地領主、陶山氏の支配下にありました。陶山氏は、現在の古城山に笠岡城を築き、町場を形成しています。また、当時の記録には、笠岡諸島で生産された塩などを積んだ船が兵庫に入港していたとあり、陶山氏の治下で港としての基礎が築かれたことがわかります。
 陶山氏の後、笠岡城には瀬戸内海一帯で勢力を誇った村上氏が居城し、笠岡は村上水軍の前線基地として整備されていきます※。村上水軍は、安芸に本拠を置く戦国武将、毛利氏の軍の一躍を担い、瀬戸内海をはじめ各地の海戦で活躍していました。天正4年(1576年)、毛利軍は石山本願寺の合戦で織田信長の軍を破っていますが、村上水軍はそのきっかけをつくったといわれています。陶山氏の統治下、その基礎が築かれた笠岡の港は、村上氏の統治下には軍事の要衝として整備されていったのです。




当時、瀬戸内海では、その複雑な地形や潮流を生かし、海上の特殊な知識と技術を身につけた水軍と呼ばれる組織が勢力を誇っていました。水軍は、陸の米・穀物を中心とした領地支配に属さず独自な行動規範を築いており、海上における輸送の警護や用心の護衛などの活動をしていました。また、戦闘技術に長け、普段特定の戦国大名の支配下におかれることはありませんでしたが、折をみて、戦国大名の強力な傭兵となるなど、海戦では恐れられていたといいます。



岡山県 ―笠岡湾干拓事業