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泥田地帯から有数の穀倉地帯へ劇的な変貌を遂げた射水平野 富山県 -射水平野農業水利事業-
北陸エリア
戦後の国営事業




雪解け水に腰まで浸かりながらの重労働



イクリとはざ掛け
イクリとはざ掛け
タゴの木と手堀り水路
タゴの木と手堀り水路
 射水平野は、新湊市、富山市、高岡市、小杉町、大門町、大島町、下村の2市3町村にまたがる5,800haの平野です。後背には3,000m級の山々が連なり、西は庄川、東は神通川の急流が日本海に注ぎ込み、扇状地である射水平野を形づくりました。この射水平野一帯は、昔から「馬入らず」(農耕馬が入れないほどの水郷地帯のこと)と呼ばれた一大湿田地帯で、放生津潟(現富山港)の地名が示すとおり、この地域の約98.8%が湿田や沼地で覆われており、乾田はわずかに1.2%でした。特に水田表面の高さは海抜0.13mと、夏の平均潮位である0.48mよりも低く、用水と排水を兼用していたため排水が機能しないばかりか、地下水の水位も下がらず、湿田化は避けられない状況でした。さらに収穫時に襲う台風で洪水になるとあたり一面湖水と化し、農地の大部分が湛水し収穫は困難を極めました。
 農家の人々は、雪解け水に腰まで浸かりながら、先祖から受け継いだこの地方独自の知恵と工夫で苦闘を重ね、少しずつ農地に改良を加えてきました。「たずる」といわれる木製の舟や、刈り取った稲を乾燥させるための「タゴの木」や「ハンの木」、稲を運ぶ「イクリ」など、また、写真に見られるこのような水路は、農民の手堀りによるもので、河川の縁にタゴの木を植えて土手が崩れるのを防ぐとともに、刈り入れ時には稲を干すはざ掛けとして利用していました。
 今では資料館でしかその面影を知ることはできませんが、つい最近までこの地方の農家の人々が営々と営んでいた農の風景でした。
射水平野標高区分図
射水平野標高区分図

富山県 ―射水平野農業水利事業