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造成畑より浅間山を望む(写真提供:嬬恋村)

1.高原キャベツの嬬恋村

 嬬恋村は、群馬県の西北端に位置し、東は長野原町、草津町、西北は長野県に接しています。面積は33,751haで、うち7割以上を山林で占めています。村の南部に浅間山、北部に草津白根山、西部に四阿(あずまや)山(吾妻山)と三方を標高2,000m級の山々に囲まれた標高1,000m高原地帯にあります。吾妻川が中央部を凍流し、万座川が北部中央を南流して吾妻川に注いでいます。吾妻川に沿って国道144号が横断しています。南部の浅間高原は別荘開発地で、高原の集落は野菜栽培・酪農などの大規模農業地帯になっています。吾妻川沿いの東部の集落は兼業農家が多く、三原が商業の中心地です。そして、村域の半分以上が上信越高原国立公園に含まれています。
 居住地は、標高700mから1,800mの間に位置し、集落の大部分は村の中央部を流れる吾妻川の流域に散在しています。地質は、浅間山噴火の影響を受けて火山灰土の腐食土壌が多く、高原野菜の適地となっています。
 1889(明治22)年の市町村制の施行によって、旧の田代・大笹・干俣・大前・門貝・西窪・鎌原・芦生田・今井・袋倉・三原の各村が合併して、嬬恋村が誕生し、以後の昭和の大合併、平成の大合併の中でも、合併をせずに現在に至っています。
 気候は、高原地域特有の冷涼な気候であり、夏の降水量が多く、昼夜間の温度差が大きく、平均気温は7.5℃で、豪雪地帯に指定されていますが、降雪量はそれほど多くなく、根雪期間は12月下旬から4月上旬までとなっています。
 嬬恋村では、農業立村として振興を図り、農業生産基盤を中心に整備を進め、夏秋キャベツなどの高原野菜の一大産地としての地位を築いてきました。特に夏秋キャベツは全国一位の生産量を誇り、全国に出荷されています。このキャベツの収穫量は(2008(平成20)年206,000tに)拡大しているものの、農家数は減少しており、大規模農家への集約化が進んでいます。

嬬恋村の概要図

2. 嬬恋村農業の推移

1.農地の状況 

 嬬恋村の農地面積の推移を図U・1からみると、1960(昭和35)年の総農地面積は2,122haで、その内訳として田187ha(総農地面積の10%)、畑1,883ha(同89%)、樹園地52ha(同2%)でした。その後、国営嬬恋西部開拓パイロット事業(農地開発事業、1970(昭和45)〜1978(昭和53)年)で畑570haの造成、県営干俣開拓パイロット事業(1971(昭和46)〜1982(昭和57)年)で畑293haの造成などが行われました。1980(昭和55)年には総農地面積2,471ha(1960年比116%)で、田138ha(同6%、同74%)、畑2,293ha(同93%、同122%)、樹園地39ha(同2%、同75%)になりました。さらにその後、国営嬬恋農地開発事業(1989(平成1)〜2001(平成13)年)で畑404haの造成が行われました。その結果、最新の2010(平成22)年の総農地面積は3,536ha(同167%)で、田47ha(同1%、同25%)、畑3,449ha(同98%、同183%)、樹園地39ha(同1%、同75%)になっています。

2.農家経営の動向

 嬬恋村の専兼業別農家戸数の推移を図U・2からみると、1960(昭和35)年には農家戸数が1,542戸、そのうち専業農家が578戸(全戸数の37%)、第1種兼業農家が684戸(同44%)、第2種兼業農家が280戸(同18%)でした。その後、専業農家・第1種兼業農家の減少、第2種兼業農家の増加により、1980(昭和55)年には農家戸数が1,193戸、そのうち専業農家が507戸(全戸数の42%)、第1種兼業農家が246戸(同21%)、第2種兼業農家が440戸(同37%)になりました。1990(平成2)年センサスから農産物を販売しない自給的農家という分類が設けられて、2010(平成22)年には農家戸数が891戸、そのうち専業農家が409戸(同46%)、第1種兼業農家が97戸(同11%)、第2種兼業農家が122戸(同14%)、自給的農家263戸(同30%)となっています。

 2010(平成22)年の経営耕地面積規模別の農業経営体数および経営面積をみると、図U・3のとおりで、全642経営体のうち経営耕地面積5ha以上の経営体が364経営体で、全経営体の57%を占めています。一方、経営耕地面積5ha以上の経営体が経営する耕地面積の合計は3,026haに及び、全経営耕地面積3,536haの86%にも及んでいます。このように、嬬恋村の農地は、経営面積5ha以上の経営体で営まれているといえます。

一口メモ 嬬恋村の大規模経営体は、800〜1,400mの標高差を利用し、標高の異なる圃場でキャベツを栽培し、作業労働の分散や収穫時期の分散による販売価格に対する危険分散を図っています。

3.作物種類別収穫面積の動向

 嬬恋村の作物種類別収穫面積の推移を図U・4からみると、1960(昭和35)年の収穫面積1,881haが、1980(昭和55)年に同2,174haに、2010(平成22)には同2,964haまで一貫して増加しています。作物別の作付け状況をみると、1960(昭和35)年はキャベツ424ha、麦類372ha、穀類360ha、マメ類280ha、稲177ha、はくさい146haなど多様な作物が作付けられていました。その後の1980(昭和55)年にはキャベツ1,470ha、レタス182ha、いも類160ha、はくさい134haとなり、キャベツが68%を占めています。最新の2010(平成22)年では、レタスが2,886haと作付面積の97%を占めています。

4.農業産出額の動向

 嬬恋村の農業産出額の推移を図U・5からみると、1971(昭和46)年の農業産出額は28.3億円で、そのうち野菜の産出額が23.6億円(農業産出額の83%)でした。その後、1978(昭和53)、1980(昭和55)年、1982(昭和57)には、農業産出額が100億円を超えましたが、1984(昭和59)年には38億円に減少するなど、乱高下がありました。1987(昭和62)年以降は、農業生産額がほぼ100億円を超えており、1988(昭和63)年には171億円、1993(平成5)年には199億円となりました。野菜の産出額は1994(平成6)年以降では100億円前後で、農業産出額の90%となっています。なお、2005(平成17)年以降、この統計は市町村別の公表がないため、不明となっています。

3.嬬恋高原キャベツの歴史

 嬬恋村のキャベツの作付面積・収穫量の推移を図V・1に示します。1960(昭和35)年の作付面積730haは、50年後の2010(平成22)年には3,000haと4倍に増加しています。また、収穫量は同期間で約3万tが21万tと約7倍に増加しています。一方、日本のキャベツの消費量が急激に増大するのは、第二次世界大戦後であり、昭和30年代になると東京五輪などで食生活の洋風化に伴い爆発的に増えました。また、嬬恋高原キャベツの収穫時期は、7〜10月で千葉、愛知、九州などとあまり競合しない端境期となっており、恵まれた立地でもあります。
 嬬恋キャベツの足跡を表V・1に示します。

 嬬恋村にキャベツ栽培が定着したのは、昭和に入ってからのことです。高冷地という地域の自然条件に適したキャベツ栽培が盛んになりました。1945(昭和20)年には国鉄長野原線(現吾妻線)が開通し、出荷も容易になり京浜市場と強く結びつくようになりました。さらに1946(昭和21)年に東京都の野菜供給基地としての指定(食糧緊急措置令)がなされました。これを契機として量産のための施策として緊急開拓事業の開始、栽培技術の指導、集出荷体制確立のため、1948(昭和23)年、村内に4農協が発足し、次第に産地としての力をそなえていきました。
 1955(昭和30)年に「群馬県蔬菜検査条例」が施行され、県営検査が開始され、1963(昭和38)年には「指定野菜生産出荷近代化事業」が発足しました。嬬恋村のキャベツもこの事業の対象となり、食生活の洋食化により蔬菜の増産ブームが起こり、1955(昭和30)年に400ha余であったキャベツの栽培面積は、1965(昭和40)には1,100haになりました。
 1966(昭和41)年には「野菜指定産地」制度が発足し、野菜の夏季端境期における首都圏への供給基地として夏秋キャベツとはくさいが指定されました。昭和40年代に入り、連作障害によるネコブ病・萎黄病が広まり、特産地の存続が困難となってきた反面、出荷方法は木箱よりダンボール箱詰(15kg)となり省力化され多量出荷が可能となりました。1970(昭和45)年のキャベツ作付面積は1,520haになりました。
 このような状況のもとに連作障害として発生したネコブ病対策のためには、輪作体系の確立が急務となり農地造成事業が要望されました。

 嬬恋村の農地造成は、1966(昭和41)年に実施された団体営開拓パイロット事業干俣地区が最初のもので、32.6haを造成して1年で完了しました。翌年造成地にキャベツを作付したところ、病気はなく、甘くやわらかく、市場では飛ぶように売れ、村民の注目の的となりました。この地区が県下の開拓パイロット事業のモデル圃場となり、その後各地で県営事業・団体営事業が着工されました。嬬恋村では、1970(昭和45)年に国営嬬恋西部開拓パイロット事業(農地開発事業、〜1978、570ha)が着工し、翌1971(昭和46)年には県営干俣開拓パイロット事業(〜1982、293ha)が着工しました。これらの事業による大規模な畑地造成や幹線農道が整備され、1975(昭和50)年にはキャベツ作付面積が2,060haになり、大型トラクター利用による近代化農業へと目覚しい発展を続け、指定産地近代化事業(集出荷施設等の整備拡充)の導入により、増産につぐ増産に拍車がかかり、1985(昭和60)年にキャベツ作付面積が2,470haに増加しました。しかし、生産過剰に伴う価格の低迷と、連作障害によるネコブ病、萎黄病の大量発生となりました。
 1986(昭61)年には、(社)群馬県嬬恋村野菜生産安定基金協会が認可され、価格低迷時には価格補填等により農家経済の安定に寄与する施策をとることになりました。
 国営・県営の農地開発事業が完了した後に、春先の融雪や夏期の豪雨によって年々表土(火山灰質土「黒ぼく」の流失がみられるようになり、流失が続けば、環境問題に加えて、営農にも支障を来す状況になります。このことから、1989(平 1)年に着工した国営嬬恋農地開発事業(〜2001、404ha)では、農地の傾斜を5°以下で造成、グリーンベルト・承水路・沈砂池・防風林を整備する工事が行われました。また、既耕地においても、1995(平 7)年には、将来にわたって安全な農産物を安定的に供給し、環境に配慮した農業の持続的発展を推進していくことを目的とした嬬恋村環境保全型農業推進協議会を設立し、安全で高品質な野菜を提供するため、堆肥や有機肥料を投入した土作りによる減化学肥料栽培や、フェロモン剤を使用して害虫を防除する減農薬栽培に取組んでいます。
 2001(平13)年には、降雨時の畑の表土流失防止対策としてグリーンベルト設置事業を開始しました。その他、景観形成作物としてソバや花の植栽など、快適で美しい農村環境の確立に努めています。

4.地形図にみる嬬恋村農地の変遷

 嬬恋村がどのように高原キャベツの村として、発展してきたかを農地の視点から把握するために、1962(昭和37)年、1988(平成1)年、1997(平成9)年に作成された地形図から農地の状況等をみていきます。嬬恋村の農地は、昭和20年代以降の緊急開拓の時代、昭和40〜50年代の国営・県営農地開発及び農道整備の時代、さらに平成年代の国営農地開発の時代の3つの農地開発の時代を経て、現代の農地の姿になってきました。

1.1962(昭和37)年の地形図

 嬬恋村の農地面積は、第二次世界大戦直後の1945(昭和20)年には約1,500町歩(ha)で、吾妻川沿いに展開する農地と干俣地区の農地が主なものでした。  戦後の農業、農村復興の一環で開始された「緊急開拓事業」により、群馬県では開発可能地の選別に入りました。その結果、畑地を中心に嬬恋村の高地、高冷地が選定されて、表W・1に示す5地区の代行開墾事業が行われ、1948(昭和23)年には浅間北麓に長野県・山梨県からの県外入植者を含め、多数の入植者により開拓が進められました。
 1962(昭和37)年の嬬恋村の1/50,000地形図を図W・1に示します。終戦後に行われた「緊急開拓事業」後の農地の状況がこの地形図に表れています。つまりここで、注目するのは、赤線で囲んだ  開拓という地名です。吾妻川南岸の浅間山北麓に中原開拓、山梨開拓、細原開拓、北松原開拓、西窪開拓、浅間開拓が、吾妻川北岸に北山開拓の地名と、開拓地周辺に農地の存在を見ることです。なお、大平には開拓の文字は付きませんが、開拓であろうと思います。
 1960(昭和35)年の嬬恋村の農地面積は、畑地1,883ha、水田187ha、樹園地52haの計2,122haで、1945年からの15年間で約600ha増加しています。この頃から嬬恋村は、大規模な高原野菜の産地として脚光を浴びてきました。
 図W・1の地形図にみえる土地利用、農道等の状況は、国営・県営農地開発事業の実施前の姿を現しています。

2.1985(昭和60)年の地形図

 嬬恋村の農地造成の最初は、1966(昭和41)年に実施された団体営開拓パイロット事業干俣地区です。嬬恋村のキャベツ作付面積が1,280haで、夏秋キャベツの指定産地となった時期に当たります。この地区が県下の開拓パイロット事業のモデル圃場となり、その後各地で県営事業・団体営事業が着工されました。この干俣地区の成功に刺激された嬬恋西部地区の大字田代・大笹の有志は、国営事業の実現を目指して活発に活動を展開し、村をあげての陳情を国・県・営林署等関係機関に強力に行うことになりました。計画の中でとくに問題となったのは、防除用水と畑灌用水(91ha)の水源をどの沢から取水するかということと、受益の範囲、とくにどの標高までキャベツ栽培が可能であるかでした。このため隣接する長野県菅平農協に調査に行き、標高1,400mまで可能であることを確認し、国有林の活用限界を標高1,400mに決定しました。
 国営嬬恋西部開拓パイロット事業(農地開発事業)は、1970(昭和45)年に着工し、畑570haを造成して1978(昭和53)年で完了しました。そして、県営干俣開拓パイロット事業は、1971(昭和46)年に着工し、畑293haを造成して1982(昭和57)年で完了しました。
 これら事業の着手時の農作業機械やトラックは、事業の進行とともに年々大型化し、トラックは11ton、800箱積込が普通となり、生産物の荷傷み防止や防塵、スリップ事故等、農道の整備改良が急務となり、1975(昭和50)年以降に県営農免農道や一般農道整備事業等に整備改良が行われました。
 表W・2に昭和40〜50年代に行われた農地開発事業と農道整備事業の主なものを示します。また、これらの事業で整備された嬬恋村の1985(昭和60)年の農地整備の状況を図W・2に示します。
 1985(昭和60)年の嬬恋村の農地面積は、畑地2,788ha、水田133ha、樹園地43haの計2,964haで、1960年からの25年間で農地開発事業により畑が約900ha増加しています。図W・2において、農地開発事業が行われた地域をみると、主に、浅間山北麓の高標高地域と四阿山(吾妻山)東麓の高標高地域で国営・県営・団体営の農地開発事業の姿を見ることができます。

3.2007(平成19)年の地形図

 国営・県営の農地開発事業が完了した後に、春先の融雪や夏期の豪雨によって年々表土(火山灰質土「黒ぼく」)の流失がみられるようになり、流失が続けば、環境問題に加えて営農にも支障を来す状況になります。このことから、今後の農地造成には、緩傾斜による圃場の造成とともにグリーンベルト、承水路、沈砂池、防風林等にも十分な配慮が必要とされました。
 国営嬬恋農地開発事業(表W・3)は、1989(平成1)年に着工し、上記配慮を行いつつ畑404haを造成して2001(平成13)年で完了しました。さらに、この国営事業で整備した幹線道路19.4kmと県営農免農道および既設道路を併せて、吾妻川左岸地域の主要道路(つまごいパノラマライン)になっています。
 2010(平成22)年の嬬恋村の農地面積は、畑地3,449ha、水田47ha、樹園地39haの計3,536haで、1985年からの25年間で農地開発事業により畑が約660ha増加しています。

5.国営嬬恋西部開拓パイロット事業

(1) 事業の目的

 嬬恋村にキャベツの栽培が定着したのは、昭和に入ってからです。本地域の自然条件に適したキャベツ栽培が盛んになってきました。特に、戦後、農協による本格的な出荷体制が築かれてからは、高冷地野菜の主産地の地位はゆるぎないものになりました。1966(昭和41)年には野菜特産地域にも指定され、首都圏における夏期キャベツの80%以上を供給していることからも、キャベツ経営が隆盛かわかります。
 しかし、長年にわたる過度のキャベツ集中作から、連作による生育障害としてネコブ病が発生し、これが急速にまん延する傾向になり、農業経営をおびやかすまでに至りました。
 このため、地域に拡がる国有林野や民有林野を活用・開拓して高原キャベツと牧草、ばれいしょ等との輪作体系を確立して、ネコブ病に対処し、さらには換地事業による農地の集団化を実施して農業経営の安定向上を図ることとして、国営嬬恋西部開拓パイロット事業(農地開発事業)が実施されました。

(2) 事業計画の概要

1) 土地利用計画および営農計画
 本事業の関係面積818haから570haの普通畑を造成し、キャベツを中心にしたレタス、ばれいしょ、生食とうもろこし等を作付する計画で、受益戸数は561戸です。

2) 主要工事計画
@) 道路工  本地域の道路現況は地域(既耕地)内を東西に貫流する吾妻川に平行して国道144号線が貫通しており、また国道より南1.5〜2.0kmを国道にほぼ平行に浅間開拓道路が東西に走行し、これらが県道、村道、農道で結ばれ、道路網を形成しています。本事業では、幹線農道は、開拓道路、広域農道、農免農道と有機的に連結し、造成農地の団地の地形配置を考慮した幹線道路22.6km(アスファルト舗装)を実施し、また、圃場と幹線道路を連結するため支線道路約36.2km(砂利舗装)を実施しました。なお、幹線道路と広域農道のルートは、現在、「つまごいパノラマライン南ルート」と呼ばれ、農業・観光に利用されています。
A) 開墾工  大型機械の導入により農作業の機械化を進め、農業生産性の向上を図るため圃場の標準区画は、長辺100m、短辺50mの50a区画としました。自然傾斜が0°〜15°の土地については山成開墾として、さらに農地保全上急傾斜地を土砂扞止(かんし )林(りん)として配置するほか営農上必要な農道を配置しました。
B) 土壌改良工  本地区の表層は全地域酸性で、原土壌のままでは営農に支障を来すのでpH6.5まで改良(改良深15cm)するため、炭カル、溶燐を投入しました。
C) 畑地灌漑工  大笹工区の泉沢以東の地域は、追分火砕流および鎌原熱雲堆積物と呼ばれるきわめて年代の若い火山性砂裸土で、透水性が大きく保水力の乏しい耕土となることから、東地区91.0haについて畑地灌漑を計画し、水源を泉沢にもとめ、揚水施設により導水加圧しています。
D) 防除用水工  本事業の対象作物であるキャベツ病虫害発生の防除のため、防除用水施設を設置しました。対象地域は畑地灌漑施設設置地域を除く479.4haで、散布方法はホースにノズルを付けたもので行い、吐出量は60l/min、1日散布時間は8時間、単位用水量として200l/10a を採用しました。
E) 事業費および工期
  事業費  3,570百万円
  工 期  1970(昭和45)年度〜1978(昭和53)年度

一般計画平面図

6.国営嬬恋農地開発事業

(1) 事業の目的

 嬬恋村は、戦後の開拓政策により、キャベツ生産を農業経営の柱として発展し、1966(昭和41) 年には夏秋キャベツの野菜指定産地となりました。その後、国営、県営開拓パイロット事業の実施により耕地面積が拡大し、全国的にキャベツの一大産地として名声を博していました。
 しかし近年、キャベツの連作による育成障害が発生し、農業経営が脅かされつつあります。このため、本村中央部を貫流する吾妻川左岸に位置する標高1,100〜1,400mに広がる未墾地を活用し、農地造成404haによる経営規模の拡大を通じ、これを契機に輪作体系の確立により連作障害の解消を図り、キャベツの品質向上と安定的供給並びに他作物の産地形成を図り農業経営の安定に資することとして、国営嬬恋農地開発事業が実施されました。

(2) 事業計画の概要

1) 土地利用計画および営農計画
 本事業の関係面積585haから404haの普通畑を造成し、キャベツを中心にしたはくさい、だいこん、ばれいしょ、未成熟とうもろこし、うど、ほうれんそう、はないんげんを作付する計画で、受益戸数は267戸です。

2) 主要工事計画
@) 道路工  嬬恋村大字田代の国道144号から四阿山と草津白根山の山裾の農地造成地を結び、嬬恋村大字今井字仙之入の群馬県道59号草津嬬恋線までを結ぶ幹線道路19.2km(幅員5.5m、アスファルト舗装)を実施しました。この幹線道路には、熊野大橋(橋長297m)と鳴尾大橋(同132m)の長大橋梁が架設されました。また、圃場と幹線道路を連結するため支線道路約15.9km(幅員3.5〜4.5m、アスファルト舗装)を実施しました。なお、国営事業の幹線農道(一部区間はふるさと農道事業との共同事業)と県営農免農道および既設道路のルートは、現在、「つまごいパノラマライン北ルート」と呼ばれ、農業・観光に利用されています。
A) 開墾工  圃場区画は土砂の流出抑制、営農面から長辺100m、短辺50mの50a区画としました。また圃場の傾斜度は、改良山成工により6°以下(標準5°)の緩い傾斜としました。さらに農地保全の防災林を配置するほか、表土の流失防止のため、グリーンベルト(14.8ha)、排水路(5.2km)、沈砂池(88カ所)、土砂溜桝(658カ所)を整備しました。
B) 土壌改良工  本地区の表層は全地域酸性であり、原土壌のままでは営農に支障を来すのでpH6.5まで改良するため、炭カル、溶燐を投入しました。改良深は15cmです。
D) 雑用水工  本事業の対象作物であるキャベツ病虫害発生の防除のため、雑用水施設(取水口14カ所、管路延長8.0km)を設置しました。
E) 事業費および工期
  事業費  30,516百万円
  工 期  1989(平成元)年度〜2001(平成13)年度

グリーンベルト

グリーンベルトと排水路

参考資料

「朝露の輝くキャベツ産地の更なる発展を−国営農地開発事業「嬬恋西部地区」(群馬県)−」、『農用地の造成−明日の食糧確保と地域開発のために−』、p378〜385、地球社、1981

黒岩常夫「嬬恋西部に見る地域の活性化」、『水と土』、p53〜57、第68号、1987

中村實「農地開発事業嬬恋西部地区」、『農業土木学会誌』、p45〜47、第67巻、第9号、1999

平成24年統計調査結果『嬬恋村統計書』、嬬恋村

『国営農地開発事業「嬬恋地区」評価結果基礎資料』、農水省、2008

「嬬恋村・大笹・田代・干俣」『角川日本地名大辞典・群馬県』、角川書店、1988

嬬恋西部開拓建設事業」『利根川水系農業水利誌』、p617〜622、農業土木学会、1987

「 小野勝康「国営嬬恋西部地区の思い出」、森田啓次郎「大地を拓く」、桑原源一郎「農地開発事業の思い出」、『群馬県土地改良史』、群馬県土地改良事業団体連合会、1990

『嬬恋開拓建設事業概要(地図平成10年版)』、関東農政局嬬恋開拓建設事業所

10

『国営嬬恋開拓建設事業完工記念写真集』、関東農政局嬬恋開拓建設事業所、2002

11

『1/50,000地形図:草津・軽井沢・上田・須坂(昭和37年版)』、国土地理院

12

『1/50,000地形図:草津・軽井沢・上田・須坂(平成9年版)』、国土地理院

13

『1/25,000地形図:嬬恋田代・北軽井沢・大前・四阿山(平成19年版)』、国土地理院