水土の礎 キッズページ サイトマップ ご意見・お問い合せ
水土の歴史年表 地域の礎 水土の成り立ち 大地への刻印 国土を創造した人々 礎の歴史的展開 近代日本の礎 水土の巧
地域の礎
カテゴリトップへ
戦争に翻弄されながらも築いた、水土の沃野 千葉県 ―大利根用水農業水利事業
関東エリア
戦後の国営事業










椿海の干拓



 九十九里平野の北部に東西12km、南北6km、その面積7,200ha、山手線エリアがすっぽりと入る巨大な湖沼干拓地、干潟地区。この地域は寛文10年(1670年)以前、椿海と呼ばれていた湖沼で、農民達は沼地廻りを少しずつ干拓し農地を拡げてきました。
 幕府にはじめて干拓願を提出したのは杉山三右衛門、この人物と干拓出資金が疑わしく幕府は許可を与えていません。つづいて、寛永年間(1624-1644年)に江戸の町人、白石治郎右衛門が干拓願を提出します。白石は約25年間にわたって幕府の吟味を受けています。この間、関東流干拓工事で幕府の信頼の厚かった伊奈忠克を派遣して椿海の検分をさせますが、その報告では「椿海干拓は八万石の耕地を造成できるが、椿海を用水源としている九十九里平野の村々は、水田の用水が不足する」という結論から許可には至りません。
千年前の関東平野 椿海開拓古図
千年前の関東平野 椿海開拓古図
(高木卯之助著「古城村史」)


千葉県 ―大利根用水農業水利事業