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江戸から続く用水と、霞ヶ浦をめぐる水利の競合 茨木県 ―霞ヶ浦用水事業
関東エリア
戦後の国営事業










豊かに見えた霞ヶ浦の水



 
 茨城県における河川・湖沼は、県総面積の35%以上を占め、南東部には琵琶湖に次ぐ日本第2の大湖・霞ヶ浦、西部には我が国最大の流域面積を誇る大河川・利根川が流れています。これらに流入する水量は年平均135億トンにものぼり、2500を越える全国のダムの総貯水量202億トンと比較しても、茨城県の水量の膨大さは容易に実感できます。
この水郷景観が広がる日本古来の農業地域は、一見すると、豊かな水と自然の恩恵を受けているかのようですが、実は、非常に偏った利水形態ゆえに、ある地域では洪水に、ある地域では干ばつに苦しむ歴史であったと言えます。
河内村などの利根川と霞ヶ浦に挟まれた地域や、北浦と霞ヶ浦に挟まれた低平地は洪水に悩まされ続け、広範な排水不良地を持つ人々にとって、湿田を乾田化させることは長い間の夢でした。

一方で、 県南西部の鬼怒川・小貝川の末流部にある台地や谷地は長い間干ばつに悩まされます。利根川流域の降水量が他の大河川に比べて相当少なく、水源は主に台地からの浸出水と天水であるため、干害は常習化していました。この地域での水利開発は江戸時代初期から中期にかけて行われ、数多くの用水路と取水堰が築かれる中で、複雑な水利秩序が築かれてきました。そのため、鬼怒川と小貝川が貫流しながらも、そこからの取水は既存の水利施設が競合し、新たな水利配分を得るにはとても困難な状況でした。
霞ヶ浦用水事業は、この地域を潤すための水源を模索することに多大な時間を要することになります。

  霞ヶ浦用水事業受益地域


茨木県 ―霞ヶ浦用水事業