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天竜川の激流との死闘 ―静岡県 天竜川下流農業水利事業
関東エリア
戦後の国営事業








「暴れ天竜」の激流



 天竜川は、長野県の諏訪湖を源流とし、愛知県をかすめながら、静岡県の遠州灘へと注ぐ日本有数の急流河川です。「天竜」という猛々しい名が表すとおり、古くから、暴れ川として恐れられ、水害の歴史を挙げれば、枚挙にいとまがありません。
 天竜川の流域には、中央構造線をはじめとする多くの断層が走っているため、土地が崩れやすく、大量の土砂が下流へと運ばれます。洪水時には、この土砂が激流によって押し流され、さらに壊滅的な打撃を与えました。殊に、下流部での被害はひどく、怒涛のような流れと、おびただしい土砂の流出で、流路すら変えることも、しばしばでした。
 天竜川には、「鹿玉川(あらたまがわ)」、「広瀬川」、「小天流」、「天の中川」など、時代によっていくつもの呼び名が残っており、奈良時代のあたりには、現在より西の三方原(みかたはら)台地側を、鎌倉時代には、東の磐田原台地側を流れていたようです。西に東に、激流が猛威をふるっていた様子が想像できます。
 古くは『続日本書紀』に、「山崩れて鹿玉河を塞ぎ水これがために流れず、数十日を経て敷地、長下、石田三郡の民家百七十余区を壊没する」との記述が残されています。古代や中世の人々の土木技術では、この「暴れ天竜」の激流に太刀打ちすることは到底不可能で、辺りには広大な氾濫原野が広がっていました。


静岡県 −天竜川下流農業水利事業