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水利慣行と近代化の相克 栃木県 ―鬼怒中央農業水利事業
関東エリア
戦後の国営事業










暴れ川 鬼怒川



 4世紀の末ころ、この地方に力を伸ばした大和朝廷によって、栃木・群馬の県域には「毛野国(けぬくに)」と呼ばれる国が成立します。古代、鬼怒川は「毛野河(けぬかわ)」と呼ばれており、「毛野国」の国名は毛野河、つまり鬼怒川の流れからきたようです。
 この「毛野(けぬ)」の語源には諸説ありますが、その一つに「崩野(くえの)」が転じたものとする説があり、頻繁に洪水を起こす鬼怒川の姿を表したものと考えられます。「けぬ」という音は、次第に「きぬ」へと転化し、明治時代に「鬼怒(きぬ)」の漢字が当てられますが、これも、測量に入った役人が「鬼が怒ったような」激しい流れに、この字を当てたとの話が残っています。名前からも、鬼怒川が古代から一貫して、容易には治められぬ暴れ川として恐れられてきたことがわかります。(※1
 毛野国は5世紀に入り、渡良瀬川を国境として、「上毛野(かみつけぬ)」(現在の群馬県)と「下毛野(しもつけぬ)」(現在の栃木県)に分割され、大化の改新以後はそれぞれ「上野(かみつけ)」「下野(しもつけ)」と呼ばれるようになります。(※2)以後、上野の地は、渡良瀬川の恵みもあり、古代、中世を通して開墾が進みました。しかし、下野、特に鬼怒川沿岸で大規模な開墾がなされたという記録はありません。山地から急勾配で下りてくる激流と広い川幅を持つ鬼怒川に堰を作り、水を引くことは容易なことではありませんでした。

※1・・・ このような氾濫河川に由来した地名は、栃木県には多く、鬼怒川の東を南流する小貝川も「壊(こか)」「井(い)」という、洪水被害の多い、決壊河川の意味を持つといわれています。また、栃木市内を流れる「巴波川(うずまかわ)」も、かつては水害が多く、河川の氾濫する様を示す「渦(うず)」と場所の意味の「間(ま)」から名付けられたようです。
現在、県名となっている「栃木」という地名も、接頭語である「ト」と「千切る」の「チギ」からできた地名で、洪水や河川氾濫によって、土地の崩壊がよく起きる、この地の特徴を示したものという説があります。
※2・・・ 「上野(かみつけ)」は、後に音便で「こうずけ」と呼ばれるようになります。



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