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老朽化した那須疏水の復興と、さらなる発展をめざした壮大な総合開発 栃木県―国営那須野原開拓建設事業―
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戦後の国営事業








結集する地元の力と悲劇の証明



着工新聞記事
着工新聞記事
 
 那須疏水土地改良区は、このような大規模かつ地域総合開発的な構想を具現化するには地元の力を結集する必要があるとして、昭和30年代に入るとまず、地元選出の国・県会議員、各自治体首長に顧問委嘱を行います。次いで、それまで各々に活動していた水利用・管理団体の連携を強化するため、8つの土地改良区によって構成された「那須野ヶ原水利開発協議会」を発足。この時期には、那須野ヶ原の総合開発を掲げて県会議員に出馬した渡辺美智雄議員が顧問として県政の場で活躍し、強力なリーダーとして衆議院議員に当選すると、事業はいよいよ実現への道を突き進みます。こうして第3期調査が終了した翌年の昭和41年には、予算案原案に採択されたのです。また地元の熱心な推進活動は国・県からも認められることとなり、事業費においても利子のかからない「一般会計事業制度」が採用され、さらに高い補助率が適用されています。水利開発協議会が発足してから約10年、地元土地改良区と市町村が一丸となって事業採択のために奮闘した努力がようやく実を結んだのです。
 しかし、事業採択の喜びに明けた矢先、その悲劇はおこりました。昭和41年6月にこの地区を襲った台風による増水で、木ノ俣用水の土砂が崩壊。木ノ俣隧道内の復旧工事で、照明のために持ち込まれたエンジン発電機の排気ガスによって25名が命を落とし、後遺症の恐れのある多数の重傷者を出す大事故となりました。水を求めることの厳しさを示すには余りにも大きすぎる犠牲です。このニュースは「水との闘いに悩む農民の悲劇」として全国に衝撃を与え、多くの救援が寄せられました。そしてこの事故は、総合開発へ向けての地元の結束をより強固なものにしたのです。協議会は国・県に対して早期着工へ向けての波状陳情を展開。事故の翌月には渡辺美智雄議員が国会本会議において緊急質問を行い、地域の実情を訴えて国営開拓パイロット事業の繰り上げ実施を要請しました。こうして国営那須野原開拓建設事業は、昭和42年12月、通例よりも繰り上げての着工を迎えたのです。



栃木県 ―国営那須野原開拓建設事業