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国内初の国営干拓事業 ―京都府 巨椋池干拓事業
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巨椋池(おぐらいけ)



巨椋池の流域面積
巨椋池の流域面積
 現在、京都市伏見区の南部から宇治市の西部、久御山町の北東部にかけては、広大な田地が広がっています。今では、京滋バイパスの巨椋(おぐら)インターにその名をとどめるだけになりましたが、ここには、今から七十年ほど前まで、巨椋池(おぐらいけ)という巨大な湖が存在していました。
 その大きさは、およそ東西4km、南北3km、周囲16km。面積は約800haと、甲子園球場の約200倍もの広さがありました。
 京都盆地の最低地であったこの巨椋池のあたりには、北から桂川、南からは木津川、そして、東からは琵琶湖に発する宇治川の流れが集まってきます。この三本の川は、かつては巨椋池で合流し、淀川となって大阪湾へと注いでいました。 
 三本の大河川とつながる巨椋池には、増水時、膨大な量の水が流れ込み、周囲は洪水の常習地帯でした。



京都府 ―巨椋池干拓事業