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昭和まで続いた戦国の奇習・餅ノ井落し -湖北農業水利事業-
近畿エリア
戦後の国営事業





戦国時代から続いた奇習



戦国時代から続いた奇習
 水田が白く乾き、いよいよ亀裂が生じはじめると右岸大井組の各集落は合議の上、「餅ノ井落し」を決行することになります。神社の鐘を合図に各集落の半鐘が乱打され、水利役員は白装束に紋付羽織陣笠、一般農民は白襦袢、白帯、白鉢巻をなし、神社参拝の後、6尺棒を手に餅ノ井へと向かいます。これを裸で迎える餅ノ井の役員。
大井組「旱魃になったので水をまかし(開放)に来た」
餅ノ井組「欲しければ力づくで取るがよい」
かくしてクライマックスの「餅ノ井落し」が始まります。まず、餅ノ井堰を切り落し、さらに松田井堰も落し、自分達の集落へ水が流れるのを見届けると、歓声を上げながら引き上げます。
 その後、餅ノ井組の集落は堰の修復に取りかかりますが、これも大井組隊伍の列が井明神橋から消え去った時という取り決めがありました。したがって、大井組は一滴でも多く水を得るため白装束の隊列は数百人、時には千人を超えたと伝えられています。
 また、両岸に水田を持つ集落は微妙な立場であるため、紺の法被、黒帯、豆絞りの鉢巻姿で樫の花棒を担ぎ、山陰にひそむ形で参加したと言われています。


滋賀県 ―湖北農業水利事業