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「農民」が造りし大地を生かす 佐賀県 ―嘉瀬川農業水利事業
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「佐嘉」と「栄」



 
 かつては「佐嘉」と称され、肥前国風土記には「樟(くすのき)の栄(さか)える国」と記されている佐賀県。元々「佐嘉」とされてきたのは、南部に広がる佐賀平野一帯です。縁起の良い文字が示すように、ここは古代から豊かな平野でした。
 佐賀平野からは、日本最大の弥生遺跡、邪馬台国()をも彷彿とさせる「吉野ヶ里遺跡」が発掘されています。古代中国の影響を色濃く残した大規模な集落跡は、当時の豊かさの象徴であり、また、有明海を窓口にした交易範囲の広さを証明するものでした。
 しかし、右の地図を見た人は、少し不思議に思うかもしれません。有明海を窓口に交易を行ったにしては、海岸から遠すぎはしないかと。実際、吉野ヶ里遺跡は、現在の有明海の海岸線まで直線距離にして約20km。整備された道も自動車もない古代、吉野ヶ里の人々は、この距離を海まで歩いていたのでしょうか。

※・・・ 邪馬台国は、古代日本の様子が記された最古の文献、中国の『魏志倭人伝』に登場し、その所在地や後の大和政権との関係などが、多くの考古学者の興味を引き続けてきました。現在でも、吉野ヶ里を邪馬台国と確証づけるものは見つかっていませんが、物見櫓(ものみやぐら)や環濠、土塁跡といった遺跡群は、先の文献に出てくる邪馬台国の様子に酷似しているといわれています。



佐賀県 ―嘉瀬川農業水利事業