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「農民」が造りし大地を生かす 佐賀県 ―嘉瀬川農業水利事業
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日本一の干満差を持つ有明海



 実は、吉野ヶ里に大集落があった弥生時代、海岸線は、現在と比べ佐賀平野のはるか内陸部に位置していました。当時の海岸線は、現在の国道264号線とほぼ一致しています。
 佐賀平野は、約2000年の年月をかけて、沖へ沖へとその面積を広げてきました。そして、この平野の拡大に大きく関わってきたのが、日本一大きな有明海の干満差()です。

当時の海岸線は、海抜4mの等高線沿い。現在の国道264号線とほぼ一致しており、この線に沿ってたくさんの集落遺跡や貝塚が見つかっています。


有明海の干潟
有明海の干潟
薄い灰色となっている部分が干潟です。現在でも、干潟は最大で海岸から約7kmに及び、1年間に約7mの割合で成長を続けているといわれています。
  佐賀平野では、東の筑後川、中央の嘉瀬川、西の六角川が、上流から大量の土砂を運び下流へと積もらせてきました。有明海の大きな潮の満ち引きは、干潮時、この土砂をはるか沖へと運び、満潮時に海岸へと押し戻します。結果、沿岸部には広大な干潟が形成されることになります。
 干潟は、長い年月を経れば自然に陸化します。しかし、それだけで、平野が広がったわけではありません。佐賀平野は、大部分が「干拓」、つまり農地の造成でできたものでした。上流から運ばれた肥沃な土砂が積もってできる干潟は、農業に最適な土壌となります。“50年に一干拓”という言葉を生むほど、この地での干拓は必然的なことでした。



※干満差: 満潮時の海水面の高さと、干潮時の海水面の高さの差。



佐賀県 ―嘉瀬川農業水利事業