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難治の国、八代平野を穀倉地帯に 熊本県 -八代平野農業水利事業-
九州エリア
戦後の国営事業







日本三大急流 ― 球磨川



 山形県の最上川、静岡県の富士川と並び、日本三大急流の一つに数えられる、熊本県の球磨川(くまがわ)。球磨川は、山間部に広大な流域を持ち、県南部の人吉盆地を流れた後、再び山間部の渓谷へと入り、不知火海へと注ぎます。
 本事業の舞台はその球磨川下流部に開けた、八代平野。右の地形図を見てもわかるように、ほとんどこう配のない真平らな八代平野の背後には、南北に日奈久断層崖が走り、この崖を境に、山々が広がっています。
 八代平野は、現在では熊本県でも有数の穀倉地帯が形成され、安定した農業が営まれています。しかし、本格的に農業が営まれるようになったのは、江戸時代以降。江戸時代以前の八代平野は、農業はおろか、平野すら少ししかなく、その大部分は海の底でした。
 古代・中世における八代の海岸線は、この地域で発見された遺跡からうかがい知ることができます。八代平野からは、10箇所もの縄文時代の貝塚が発見されました。それら貝塚はすべて標高5mの等高線沿いに分布しており、この等高線が古代の海岸線であったことが推測できます。
 その後、八代平野は長い年月をかけて、沖へ沖へとその面積を広げていきました。



熊本県 ―八代平野農業水利事業