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水利資産と近代水利技術の融合 大分県 -駅館川農業水利事業-
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古代宇佐



赤塚古墳
赤塚古墳
宇佐平野の遺跡分布図
宇佐平野の遺跡分布図
 駅館川下流に広がる、広大な平野の湿地帯は、古代の人々にとって魅力的な土地だったのでしょう。そのことを示す数多くの遺跡が、平野部の各所で発見されています。
 駅館川の河口から4qほど上流の右岸にある川部遺跡や、その上流の東上田遺跡からは、大規模な環濠集落が発見されました。同じく川部・高森古墳群からは、3世紀〜6世紀頃の古墳が6基見つかっています。なかでも、赤塚古墳は県内最古の古墳で、奈良の大和国で見られる前方後円墳の形状となっています※。(※他の5基も、前方後円墳)
 また、川部・高森古墳群や東上田遺跡の周りから、弥生時代中期を中心とした、数百基にも及ぶ小規模の古墳が見つかっています(野口遺跡)。その他、別府遺跡、上原遺跡、小向野遺跡からは、銅鐸や銅鏡などの青銅器他、多数の遺物が発見されました。(右図)
 これら遺跡群の発見によって、駅館川流域には、弥生時代全期にわたって有力な豪族によって支配されていたことが明らかとなっています。
 この地域は周りを山に囲まれているため、-他の九州地域との交流はそれほど盛んではなく、どちらかというと、瀬戸内海を通じて本土との交流が深かったと考えられています。そのことは、上で述べた、大和によくみられる古墳の形状、様々な青銅器の発掘が、雄弁に物語っています。


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