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陸奥の先進地を潤す新たな水がめ 宮城県 ―迫川上流農業水利事業
東北エリア
戦後の国営事業






陸奥の先進地



 
  現在の東北地方は、旧国名では「陸奥(みちのく)」と呼ばれていました。これは「みちのおく」から転じたもので、いわゆる五畿七道の行政区分のうち、東山道の最奥地だったことに由来します()。畿内の都からすれば辺境ともいえるこの陸奥のなかで、最も南に位置し、古代から先進的な地位にあったのが現在の福島県にあたる地方でした。
 福島県は、会津地方、中通り地方、浜通り地方の3地方に分けられます。このうち県庁所在地の福島市や新幹線の駅がある白河市、郡山市といった主要都市はいずれも中通り地方に位置しています。しかし、少なくとも江戸時代までは、会津地方、特に会津盆地が、福島県域はもちろん東北地方の拠点ともいえる地域でした。
 四方を山が囲む会津盆地には、猪苗代湖(いなわしろこ)から流れる日橋川(にっぱしがわ)や、北部の山地から流れる濁川(にごりがわ)、南部の山地に端を発し、盆地の川を全て合流する阿賀川(あががわ)など、数多くの川が集まります。これらの川は上流の山から肥沃な土砂を運び、長い年月をかけて会津盆地に積もらせてきました。豊富な川と、川によって造られた肥沃な土地が、この地の発展を支えることになります。

古代の律令制以降、日本は畿内、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の大きく8つの地域(五畿七道)に分かれ、それぞれの地域はさらに数国ずつに分かれていました。東北地方は東山道に属しており、文字通り“道の奥”という意味で陸奥国になったものと思われます。


福島県 ―会津北部農業水利事業