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受け継がれる最北の弥生水田



垂柳遺跡の弥生水田
垂柳遺跡の弥生水田
垂柳遺跡の弥生水田
 昭和30年代、青森県南津軽郡田舎館村の垂柳(たれやなぎ)遺跡において土器と共に黒く焼け焦げたようなコメの痕跡が多数見つかりました。この地方では明治時代より、縄文晩期から弥生前・中期の遺跡において、多数の土器が出土していましたが、実際のコメの痕跡が見つかったことで全国的な話題となりました。当時、ほとんどの学者は、このコメは南の暖かい地方から運ばれてきたもので、この地方で生産したものではないと考えていました。しかし、昭和56年、同遺跡において、弥生時代中期の水田跡が発見され、さらに、昭和62年には弘前市三和の砂沢遺跡から垂柳遺跡のものより200年も古い弥生前期の水田跡が発見されたことにより、最北の弥生水田として大きな話題を呼びました。   
 弥生時代の津軽地方は稲ができるほどの温暖な気候であり、豊かな暮らしぶりであったことが想像できます。

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