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東北の卑弥呼!?…まほろばの里



【写真】日向洞窟 
写真提供:Webサイト「山形温泉案内」
  山形県高畠町には、旧山形鉄道の廃線を利用した「まほろばの緑道」(7km)というサイクリング・ロードが整備されており、春には桜の名所として賑わっています。
「まほろば」の名が示すとおり、この付近には大立洞窟、日向洞窟、火箱岩洞窟、一の沢洞窟と縄文時代の遺跡が並んでいます。とりわけ日向遺跡(写真1)は約千年にわたって利用されていたらしく、その始まりは縄文時代草創期(約1万年前)にさかのぼることが明らかになりました。青森県の三内丸山遺跡が5500〜4000年前といわれているので、それより5000年も古いことになります。
この遺跡群の北側には「大谷地」と呼ばれる約1000haの広大な低湿地帯が広がっており、古代には湖であったと言われています(その痕跡は「白竜湖」として現在も残っている)。山の幸に湖の幸、確かに縄文人にとっては「まほろば」だったに違いありません。
この地の古代的豊かさは弥生時代になっても続いていたらしく、近くの稲荷森古墳(南陽市長岡)は4世紀頃のもので全長約96m(写真参照)。山形県最大の古墳で、東北地方でも6番目の大きさであり、前方後円墳としては北限とも言われています。
  また、稲荷森古墳から10kmほど離れた戸塚山(米沢市浅川)からは約200基の古墳群が見つかっています。山頂には長さ56mの前方後円墳。山頂にこれだけの規模の古墳を造るには約1万人の労働力が必要とされ、また地形的にも渡来人が住み着くとも考えにくく、原日本人による強大なクニが成立していたことを示しています。
さらに山頂の古墳の東側には長さ24mの帆立貝式古墳(5世紀後半)があり、石棺の中からは女性の人骨一人分がほぼ完全な形で発掘されました。年齢は40〜50歳。全体的には骨が細くきゃしゃな体つき、22本残っていた歯のうち7本が虫歯であることから、甘い物が食べられ、重労働をしないで育った、身分の高い女性と想像されています。発見当時、「東北の卑弥呼か!?」と話題になりました。
しかしながら、奇妙なことに、吉野ヶ里(佐賀県)、出雲(島根県)、吉備(岡山県)など古代豪族が栄えた地は、時代が下がるにつれ農耕の条件は悪くなるようで、多くの地は排水不良や低湿地など近世では苦労の絶えない地域になるようです。
これは、弥生人があまり大きな水路を必要としない低湿地を選んで水田にしたためと思われます。また、人口が多くなって過密になったのかも知れません。あるいは鉄器の出現によりかんがい技術が向上し、扇状地などの開発が可能になったことなどが考えられます。
いずれにせよ、この米沢平野(置賜盆地とも言う)も、平安時代以降になると農耕条件の悪さが顕在化してきます。それは、この盆地独特の地形的要因に帰すものです。

【写真】稲荷森古墳 写真提供:南陽市


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