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ケネディも称えた鷹山が育てイザベラ・バードが絶賛した里 山形県 ―米沢平野農業水利事業
東北エリア
戦後の国営事業






米沢平野の地形的特性



 
  東北地方には、横手、北上、山形、会津、福島など形状のよく似た盆地が多くあります。これらの盆地はいずれも四方の山から流れ出た川がきれいな扇状地を造り、いわゆるすり鉢状の複合扇状地となっています。
  しかし、図1でも分かるように、米沢平野はこれらの東北の盆地といささか様相を異にしています。図1で盆地全体が緑色になっているのは標高が高いためですが、福島盆地の標高が50〜90m程度、山形盆地の標高が100〜150mであるのに対して、米沢平野は200〜300mとなっています。このことは相対的に山が浅く、盆地に流れ込む川が短いことを意味しています。したがって、大雨の際には洪水が発生しやすく、逆に渇水期にはほとんど流水が見られないほど川がやせ細り、取水には非常に苦労を強いられることになります。
  さらにこの盆地では、南から北にかけて扇状地らしい傾斜が見られるものの、図2のように等高線は非常に入り組んでいます。特に北東部、南陽市から高畠町にかけての一帯は扇状地がまったく見られず、太古には湖であった「大谷地」(白竜湖周辺)は、広大な浮島状の泥炭湿地となっています。
  このため、各河川は洪水のたびに流路を変え、古くから幾度となく河川の付け替えなどの工事が行なわれてきました。
  記録に残る最も古い工事は天平宝字2年(758)。出羽の国司の配下であった四村という人が鬼面川に堰を設けて用水路を造ったとあります。ところが大同2年(807)の大雨で川の全量がその用水路を流れて本流となり、以前の東へ流れていた本流は廃川になったとのこと。今も鬼面川の両岸には、藤原、江股、平柳など東西の地区に分かれた地名があり、かつてはひとつの村だったものが新しい流路によって二分されたものと思われます。
  この置賜の地は「日本書紀」にも登場し、条里制を示す地名も残っていることからある程度の発展を見たようですが、やはりこの地が本格的に開発されるのは江戸時代を待たねばならなかったようです。



山形県 ―米沢平野農業水利事業