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戦後の国営事業



 

 

 


はじめに

 鈴鹿山麓から伊勢湾に展開する北勢地方は、気候温暖で降水量も多く、古くから農業が営まれていたが、地区内の水利用は十分ではなく、しばしば干ばつに見舞われる状況であった。
 このような中にあって、昭和25年頃から用水を確保するとともに、水道用水、工業用水を併せて供給する三重用水事業が三重県において構想され、これが契機となって農林省による調査が開始された。同時に地元では事業の促進をはかるため、昭和26年8月に三重用水改良事業既成同盟会を発足させ活動を開始した。
 これらの変遷を経て昭和41年、農林省は国営三重用水事業に着手した。
 一方、昭和36年水資源開発促進法が制定され、昭和43年に木曽川水系水資源開発基本計画が決定されたことにより、事業は水資源開発公団が実施することになり、昭和46年農林省から事業の承継を受けて工事を開始した。
 事業は多くの関係者の協力を得て、中里ダムをはじめとする5つのダム、8カ所の取水施設、125キロメートルの水路工事を行い、平成5年3月に無事完成したものである。  これより、その経緯等を以下に記するものである。

三滝川と鈴鹿の山々

1.用水地域の自然

気候・干害・その他の災害
 北勢地方は、北部の藤原・北勢の一部を除き、愛知県や静岡県の平野部と共通した東海型気候区に区分されており、気候は温和なところである。気候的には恵まれた北勢地方であったが、干天が続くとすぐ干ばつの被害を受ける常襲干ばつ地帯であった。
 安定した水源を持っていなかったこの地方では、降雨を神仏に祈る「雨乞い」の儀式が残されており、また、乏しい水源をいかに長期間保たせるかの方策や死者の出る水争いの歴史もあった。
 一方、干ばつもさることながら、水害による被害も少なくなかった。台風による被害は勿論であるが、鈴鹿山脈と養老山地に囲まれたこの地方は、夏季の南東風により集中豪雨を受けやすいため、大きな被害を受けたこともまれではない。
 また、大きな地震の発生により地盤沈下がみられた。たとえば、明治24年(1891)10月28日に発生した濃尾地震(M8.4 )では、桑名付近の一等水準点の沈下量は8cm、四日市では約4cmであった。
   三重用水事業は、このような気象条件下で、地区内の渓流から下流水利に支障を与えない範囲で余剰水を取水し、貯水池等に貯留するなどして安定した水源を確保し、この地方の農業や都市生活の発展に貢献するために生まれたものである。

用水地域の河川
 三重用水区域に於ける一級及び二級河川は、鈴鹿山脈に源を発する員弁川、朝明川、海蔵川、三滝川、天白川、鹿化川、内部川、鈴鹿川及びこれらの支流が地区を横断して東に流れ、伊勢湾に注いでいる。
 何れの河川も流路延長が短く、勾配も急峻なため流出時間が短いのが特徴である。

用水地域の水利用

マンボ

 三重用水の受益地域では「マンボ」といわれるこの地方独特のかんがい施設が無数に点在し、小規模な水田かんがいの水源として利用されている。
 このマンボは、素堀りのトンネル型式のもので、延長は長いものでは約1.5kmにも達する。

図―1 マンボの模式断面図(「農業用水大規模地下水調査鈴鹿東部」より)

 トンネルの大きさは、人が一人で掘削するこ とから、幅は2尺5寸(0.83m)、高さ3尺 5寸(1.16m)前後である。掘削は図−1に示 すように、かんがいする水田面を基準に山側 にトンネルを設けるもので、約20間(36m)ご とに換気と掘削土を搬出するための「日穴」 と呼ばれる立坑を設ける。この日穴は完成し た後も残され、これを利用してマンボの維持 補修が行われる。
 但し、マンボはかんがい期間に干ばつが発 生すると、この貧弱な水源は、すぐにその影 響を受け枯渇することになる。しかし、扇状 地や段丘地形のような水源の乏しい所では、 このような貧弱な水源でも頼らざるを得なか った。
 マンボの湧水量については、昭和31年(1956) の3月〜7月にかけて三重県が三重用水計画樹立のため既設水源の調査を行った資料から、北勢町奥村地区の奥村マンボについては、平均湧水量が0.0033m3/s、他のマンボでは 0.006m3/sで、前者の受益面積は6.1ha、後者のそれは3.4haであった。

溜池

 三重用水事業計画の受益11市町でみると溜池総数は495カ所、受益面積は4,400haであった。これを市町別にみると、計画から除外された亀山市域が158カ所で最も多いが、次いで多いのが鈴鹿市の103カ所、四日市市の98カ所、員弁町の97カ所となっているが、受益面積が5ha以上の溜池数でみると、四日市市が67カ所で1番多く、鈴鹿市の66カ所、菰野町の35カ所の順となっている。
 次に、溜池の受益面積を昭和30年(1955)の各市町耕地面積で除した溜池依存率についてみると全体で16.6%である。
 これを市町別でみると、最も依存率の高いのは員弁町で、その依存率は95.7%に達しており、ほぼ全町の耕地が溜池掛かりといっても過言ではない。2番目に依存率の高い市町は朝日町であるが、その依存率は24.6%しかなく、員弁町の依存率がいかに高いかがわかる。
 次に貯水量では最大を誇るのが員弁町の員弁大池の65万m3で、その受益面積は230haあり員弁町のほか東員町にもこの池から灌漑用水の供給が行われている。次いで大きな溜池は鈴鹿市の津賀池で50万m3であるが、受益面積は80haと員弁大池の約3分の1である。
 これらの溜池の能力は、その殆どが年間の水稲作においても水量の不足を生じることから、これを補うための安定水源が必要であった。

河川・渓流

 河川および渓流取水について、取水施設の構造が明示されているものは、表−1のとおり、全体では193カ所あり、その灌漑面積は9,007町歩、取水量は15.025m3/sとなっている。 
 灌漑面積の比較的大きな取水施設はわずかで、相対的に灌漑面積の小さな取水施設が多数であった。また、その構造も木製堰が全体の39.4%を占めることでわかるように、取水施設自体が貧弱で、かつ、零細なものであったことから、安定取水できる水源が必要であった。

表−1 取水施設構造別緒元

その他の水源

 前述した河川や溜池のほか、揚水機や湧水がある。  まず、揚水機であるが、関係地域では24カ所の揚水機場があり、ほとんどが1機場ポンプ1台である。これらの揚水機場は朝明川と三滝川に挟まれた菰野町の旧鵜河原村と四日市市の旧県村に分布しているが、設置時期が戦後の食料不足から抜け出す為に増産が叫ばれていた昭和25年(1950)から昭和26年(1951)にかけ設置されたものが15カ所あり、最も古いポンプは昭和10年(1935)に設置されたものである。
 次に、湧水であるがその総数は不明であるが、渇水になると他の水源と同様に水不足を引き起こすため、恒久的安定水源の確保は、農民にとって切実な問題であった。

2.用水地域の産業

農業概観
概要
 京都農地事務局が昭和27年(1952)3月に取りまとめた『三重用水改良に伴う農業経営改善計画中間報告書』引用しながら昭和20年代後半における北勢地域の農業を紹介する。
 なお、本報告書では北勢地域を表−2及び図−2に示すように7地帯に分類しており、三重用水事業区域外となっている一部も包含して調査されたものである。

表−2 調査区域の区分

図−2 調査区域区分

 この地域の農家戸数は、3万8,339戸で、 うち専業農家は、2万1,913戸、兼業農家 は1万6,426戸で、専業農家率は約57% を占めており全県平均の約47%よりも 10%も高い。
 これら農家の経営耕地面積は7地帯全部 で2万8,135haであった。
 この耕地に作付けされた作物は稲を代表 として、4万552haとなっていた。
 これを耕地面積で割ると1.44となり、稲 を取り入れた後放置しないで麦類やナタネ などの作付けが行われ二毛作または三毛作 が行われていたことがわかる。
 水稲の収量は10a当たり約330kgを超え る地域は少なく、昭和60年(1985)2月現在 の三重用水受益11市町の10a当たり平均収 量440kgより100kg少ない収量であった。

都市化の進展(水道の普及)
 水道用水は、供給区域である四日市市、鈴鹿市、菰野町であり、昭和40年(1965年)の行政人口は約341千人であり、普及率は全体で92.7%で、内訳は上水道75.3%、簡易水道11.5%、専用水道5.9%である。
 人口の増加を推定すると表−3のとおりで、昭和63年度(1988年)は473千人となり、 人口増加率は139%で高いものとなった。これは大工場立地、小規模住宅開発、四日市市及び名古屋市のベットタウンとなる等によるものである。
 このような、人口増加や生活様式の向上、多様化により水道の需要が増加するため、安定した三重用水から供給することが求められたものである。

表−3 三重用水から供給する2市1町の給水人口と普及率

木曽川右岸地区

工業の発展
 工業用水は、明治維新に始まる日本の近代化とともに、海運業にも近代化の波が押し寄せる中で、四日市港は1884年(明治17年)5月完成した。
 その後、1899年(明治32年)8月に国際貿易港となり、紡績工場、重化学工業の振興により発展したが、第二次大戦で打撃を受けた。
 戦後、1950年(昭和25年)に港湾法が制定され、1952年(昭和27年)に特定重要港湾の指定を受け、わが国で有数の石油化学工業地帯に発展し、四日市産業の万古焼、ナタネ油、漁網、製紙、製茶などを運搬した。また、鈴鹿工業地帯は、明治以後、現JR関西本線、現近鉄名古屋本線が開通し、1937年(昭和12年)頃から鈴鹿海軍基地が開設され、静かな農村地帯から軍都へと移行していった.  戦後、軍用施設用地は遊休地と化したが、1950年(昭和25年)市条例を制定し、積極的な産業誘致政策を打ち出し、紡績、コンクリート工場、自動車工場、重機工場等の誘致に成功した。その後、1986年(昭和61年)に、東名阪自動車道の開通により、各種産業が進出した。
 工業用水使用量が増加するに伴い、井戸の地下水汲み上げによる地盤沈下が生じ、揚水規制地域指定の実施、1975年(昭和50年)当時、回収率は70%程度まで上昇したが上限に達した。

3.用水の胎動と計画

国土総合開発法

国土総合開発法の公布

 三重用水事業は、昭和25年(1950)5月に公布された国土総合開発法(昭和25年法律第205号)が事業の直接の発端となった。
 同法は、「国土の自然的条件を考慮して、経済、社会、文化等に関する施策の総合的見地から、国土を総合的に利用し、開発し、及び保全し、並びに産業立地の適正化を図り あわせて社会福祉の向上に資することを目的」とし、その開発計画の内容は、
 @ 土地、水その他の天然資源の利用に関する事項
 A 水害、風害、その他の災害の防除に関する事項
 B 都市及び農村の規模及び配置の調整に関する事項
 C 産業の適正な立地に関する事項
 D 電力、運輸通信その他の重要な公共的施設の規模及び配置並びに文化、厚生及び観光に関する資源の保護、施設の規模及び配置に関する事項であり、このうち、戦後復興のメインとなるものは、@の食糧増産、Aの治水、Dの電源開発であった。
 総合開発計画には、全国総合開発計画、都府県総合開発計画、地方総合開発計画、都府県が内閣総理大臣の指定する区域(以下「特定地域」という。)について作成する総合開発計画の4種類に区分され、国土審議会、都府県総合開発審議会及び実施に関して必要な事項を調査審議した。

木曽特定地域総合開発計画

 木曽特定地域は、他の18地域とともに昭和26年(1951)12月に地域指定を受け、昭和27年(1952)12月26日、総理府告示第298号をもって、特定開発計画地域の開発目標が表−4のように指定された。
 この開発目標を受け、長野、岐阜、愛知、 三重4県からなる木曽特定地域開発審議会は 国の出先機関の協力を得て、計画の策定、調 整を行い、地方審議会の専門部会の調整を経 て、昭和28年(1953)7月に木曽特定地域総 合開発計画案が内閣総理大臣に提出された。
 しかし、政府は木曽特定地域の事業費が1,400 億円をこえ、利根地域に次ぐ規模であり、また、 4県にまたがるため、国土総合開発審議会に特 別委員会を設けて慎重に審議したため、昭和31 年(1956)3月になって、ようやく閣議決定され た。
 昭和31年(1956)4月20日付け総理府告示第212号で公表された木曽特定地域総合開発計画の要旨は、次のとおりであった。

1 開発の基本方針
 1-1 開発計画策定の基本方針を、地域内における農産を中心とする各種資源の開発による生産の増強と民生の安定並びに工業の振興による雇用の増大をはかり国民経済の発展に寄与することに置く。
 1-2 開発計画における開発目標は、特定地域の開発目標(昭和27年12月26日総理府告示第298号)によるものとし、その重点を地域内主要河川の災害防除、農産、林産、電力資源の開発並びに名古屋港、四日市港を中心とする工業立地条件の整備に指向する。
 1-3 開発計画達成機関の目標をおおむね10カ年とする。

2 開発計画の大綱

2-1

国土保全(略)

2-2

農産資源開発

 

2-2-1

愛知用水事業を記載(略)

 

2-2-2

木津、宮田、佐屋川及び羽島の4用水の改良事業を記載(略)

 

2-2-3

用水源に乏しく開発が十分行われていない三重県北部平野に三重用水事業を計画し、開田約300町歩、畑地かんがい約1,900町歩、用水補給田約14,000町歩合計約16,000町歩をかんがいし、米石換算約105,600石の増産を期する。これがため、揖斐川その他よりの導水を計画する。

 

2-2-4

尾張農業水利事業を記載(略)

 

2-2-5

開墾事業及び干拓事業を記載(略)

2-4

林産資源開発

2-5

工業立地条件の整備

 

2-5-1

工業立地条件の整備は、名古屋港及び四日市港の修築に重点を指向し、これと関連して名古屋市西部、南部、四日市等に土地造成を行い、愛知用水、町屋川用水、三重用水等による工業用水の供給、発電の増強と相まって工業の振興を図る。

 

2-5-2

道路整備の強化を記載(略)

 

2-5-3

工場排水処理を記載(略)

2-6

交通の整備

 

2-6-1

以上の資源開発の関連及び一般産業の振興を図るため、一級国道1号線、19号線等の幹線道路の整備強化を図る。

 

2-6-2

輸送力の強化を図るため、中央線の電化をはじめとする鉄道の整備を行う。

用水計画の進展

概要

 この地方の農業は、乏しい水源を利用し血と汗によって営まれてきたが、昭和19年(1944)及び昭和22年(1947)の2度の大干ばつを受け、地元の用水事業実施の機運は高まりを見せてきた。そして、三重県は、昭和25年(1950)に至り、ついに県営事業として調査を開始した。
 一方、前述したように国土総合開発法が公布され、昭和26年(1951)12月には、同法に基づき木曽特定地域の指定が行われ、農産資源開発の一環として「用水源に乏しく開発が十分行われていない三重県北部平野に三重用水事業を計画、揖斐川その他からの導水による三重用水事業の実施が法的にも確立された。

三重県の調査

 昭和25年度に検討された県営事業調査地区の計画骨子は、多度町袖井地内の揖斐川右岸から取水し、多度山の中腹の標高95mまでポンプアップし、延長45kmに及ぶ用水路によって標高80m以下の受益地に補給し、末端の鈴鹿郡北東部の標高150m以下の受益地には、途中に加圧ポンプを配置してかんがいするものであり、標高30m以下の低位部の受益地には、高位部の用水を反復利用する計画であった(図−3参照)。
 しかしながら、この計画案については、2つの問題点があった。
 第1点は、施設の維持管理費が2万5,000kwの電力を必要とすることから、受益者の負担能力に限界があること。  第2点は、用水源としての揖斐川は、揚水量の確保は可能と思われるが、渇水期の塩分濃度が2/1,000となることから、揖斐川のみを水源とすることは、不安定であることであった。
 昭和26年(1951)10月、木曽川水系土地改良調査管理事務所(以下「木曽調」という。)が開設され、三重用水の調査に着手した。そして、同年12月には、四日市市市内に木曽調の出先機関である三重用水調査事務所が開設され、三重県が行っていた調査、計画資料を移管し、国営事業の調査地区として新たに調査に取りかかった。  三重県は、これに対応して、四日市市内に三重用水調査事務所を設け、従来の調査に引き続き現況利用状況、とりわけ減水深、取水量、用水不足等の調査を実施するとともに国営調査業務の協力を行った。

3.用水の胎動と計画

図−3 計画概要(三重県)

木曽調の調査

木曽調の手によって昭和26年から調査が開始された。年代を追って下表に記述する。

計画の概要

 昭和36年(1961)2月木曽調は農業用水単独の三重用水事業計画を取りまとめた。その概要は次のとおりである(図−4参照)。

「三重用水土地改良事業計画概要書」 
計画の要旨

 本地域は三重県の北勢と称されている地域で、2市3郡に跨り受益面積7,812.7haの内、既成田4,982.7haの用水補給、2,800.0haの畑地かんがい及び30.0haの開田を行うため、これに必要な貯水池及び用水路を新設して、土地利用の高度化による農業経営の安定化を図るため、員弁川支流の相場川上流三重県員弁郡藤原町かなえ地内に中里貯水池(有効貯水量17,900,000m3の土堰堤)を築造し、岐阜県牧田川及び三重県田切川より導水貯留して取水源とし、これより用水幹線及び支線水路を新設して地区内に配水するものとする。尚貯水池の水没補償用として山林からの開田30haを行うものである。
補給水量
 計画受益地への最大補給量は5.873m3/s、年間補給用水量の総量は20,014,992m3である。

用水路計画

 幹線用水路は、中里貯水池より鈴鹿山麓を縫って南下し、鈴鹿市庄野付近で鈴鹿川を横断して鈴鹿用水地区上流端の水路に連絡するものである。その延長は以下のとおりである。
  

  国営幹線用水路

45,142m

  県営支線用水路

95,458m

  団体営用水路

87,370.5m

事業費

  6,710,000千円

効用

 農業単独の計画書であり、本計画では投資効率が0.5以下と非常に悪く、このため、今後都市用水を含めた多目的な計画に変更し、水資源の利用と事業の経済性を拡大させることが必要とされた。

図−4 地区概要図

国営土地改良事業計画

都市用水の追加

 三重県は、農林省の意向を受けて都市用水を供給し、投資効率を上げるべく検討を行い昭和36年(1961)11月に四日市地区の水道用水として昭和45年目標の日量6万m3の「三重用水改良事業上水道配水計画(案)」及び北伊勢臨海工業地帯の鈴鹿・亀山地区、南四日市地区の工業用水として昭和45年目標の日量10m3を供給する「三重用水改良事業工業用水配水計画(案)」を作成し、農林省と協議を行った。
 木曽調は、三重県の都市用水供給計画を受け、水源計画を検討し
 @ 中里貯水池の増強
 A 宮川・北谷の2調整池を新設
 B 牧田川取水の見直し
 C 渓流取水のうち、田切川取水のほか貝野・二之瀬・員弁の各河川からの取水が追加され、青川は除外
 D 牧田川取水の影響を受ける同川山間部の農地に対して50万m3を補給する牧田川ダムが 検討された(このダムはその後、貯水量220万m3の打上ダムとして建設される)。
 以上のとおり検討を行ったうえで事業計画をまとめ、昭和38年(1963)12月に全体実 施設計地区として採択され、昭和39年から全体実施設計に着手していった。
 昭和39年度から作業を進めてきた受益各筆調査の最終取りまとめと国営三重用水改良事業並びにこれに関連する県営かんがい排水事業の施行申請及び三重用水土地改良区設立申請に必要な同意の取得作業を県及び関係市町村の協力を得て行った。
 昭和41年(1966)3月30日、同盟会の努力によってまとめられた同意書を添付し、東川徳蔵ほか31名により国営及び県営事業の施行申請と改良区の設立認可申請を行った。  これらの申請に対し、県営事業については、昭和41年(1966)5月1日付けで三重県から関係市町村に事業内容の協議があり、関係市町村は、それぞれ意義ない旨の回答を行った。また、土地改良区の設立認可は、昭和41年(1966)8月8日付けで知事からなされた。
 一方、国営事業については、昭和41年(1966)10月1日に三重用水農業水利事業所が開設され、着工に向けての諸調査を開始したが、土地改良法に基づく手続きに、なお、時間を要した。

水資源開発二法の制定

 昭和30年代の後半に入り、人口の増加と生活の向上に伴う生活用水や経済の高度成長に伴い製鉄、パルプ工業などの工業用水の水需要がますます拡大の一途をたどり、その開発促進は、日本の経済開発にとって重要な課題となってきた。しかし、わが国における水資源は、従来から水田農業を中心として開発が行われてきたので複雑な様相を呈し、水行政は、所管各省にまたがって行われてきたため、水資源の総合開発は様々の問題をはらんでいたと言える。
 このような状況下にあって、昭和36年(1961)11月、「水資源の総合的な開発及び利用の合理化の促進を図り、もって国民経済の成長と国民生活の向上に寄与することを目的」とする水資源開発促進法及び水資源開発公団法の二法が制定された。
 これらの法律は、わが国の主要河川(利根川、荒川、木曽川、淀川、吉野川、筑後川)を対象として水系指定し、当該水系の水資源基本計画を決定して、事業の促進を図る一方、これらの実施機関として水資源開発公団が設立された。

木曽川水系の水系指定

 木曽川の水系指定については、関係機関から速やかな指定を望まれていたが、水資源開発公団と農林省所管の愛知用水公団との統合問題が長引き、その水系指定は遅れたが、この間においても、関係機関では木曽川総合用水事業、三重用水事業及び長良川河口堰事業計画などの具体的な水資源開発計画の検討を進めていた。
 一方、木曽三川協議会において木曽川水系の将来の水需要の取りまとめ作業が精力的に進められ、ようやく昭和40年(1965)6月25日に至り水系指定の閣議決定が行われた。

基本計画の決定

 木曽川水系水資源開発基本計画は、昭和43年(1968)10月15日閣議決定され、10月18日官報により公示された。その内容は次のとおりである。
(抜粋)
1 水の用途別の需要の見とおし及び供給の目標  水系に各種用水を依存する長野県、岐阜県、愛知県及び三重県の諸地域に対する将来の水需要の見とおし及び供給の目標については、この水系及び関連水系における今後の調査をまって順次具体化するものとするが、昭和50年度におけるこの水系の水の用途別の新規需要の見とおし及び供給の目標は、おおむね次のとおりである。なお、この水系の水の需要及び供給については、今後調査をすすめるものとする。
(1) 水の用途別の需要の見とおし(略)
(2) 供給の目標
 これらの新規水需要に対処するため上流のダム群、中、下流部の堰、多目的用水路。
 専用水路等の水資源の開発または利用の合理化を図る施設を建設するとともに、これらの施設との関連における既存施設の有効利用等、水資源の合理的な利用を図る措置を講じて毎秒73立方メートルを供給する見込みである。
2 供給の目標を達成するため必要な施設に関する基本的な事項
 上記の供給の目標を達成するため、とりあえず必要な施設(施設能力毎秒65立方メートル)は継ぎのとおりである。
(1) 木曽川総合用水事業(略)
(2) 三重用水事業
 名称 三重用水
 事業目的 この事業は、牧田川沿岸のかんがい用水等の水需要及び既得利水の確保について 必要な措置を講じつつ、中里ダム、取水施設及び水路等を建設し、水資源の開発ま たは利用の合理化を図ることにより、北伊勢地域において必要なかんがい用水の補 給を行うとともに上水道用水及び工業用水を確保するものとする。
 なお、この事業の実施にあたっては水産業に及ぼす影響について十分配慮するものとする。
 事業主体 水資源開発公団
 なお、この事業は農林大臣が現在施行中のものを承継するものである。
 河川名 牧田川
 中里ダム
 新規利水 約16,200千立方メートル(有効貯水容量約16,200千立方メートル)
 容量
 予定工期 昭和39年度から昭和48年度まで
(3) 長良川河口堰事業(略)
 なお、上記(1)から(3)迄の事業費は洪水調節等及び発電に係る分をあわせて約600億  円である。

基本計画の変更

 経済企画庁は、昭和60年度におけるこの水系の水の用途別の新規需要の見通しと供給の目標を計画すべく、昭和47年(1972)4月から木曽川水系水資源開発基本計画の変更作業に着手し、昭和48年(1973)3月23日に至り、木曽川水系水資源開発基本計画の全部変更が閣議決定され、同月28日付けで内閣総理大臣より公示された。
 その供給目標水量は表−5に示すように三重県では25.47m3/sである。

表−5 昭和60年度目標水需要量

事業実施計画

事業実施方針の指示

 公団は、木曽川水系水資源開発基本計画の決定を受け、昭和43年(1968)10月16日に三重用水事業を担当する三重用水調査所を開設し、事業の承継、工事の準備に着手することとなった。
 公団が事業を行う場合、主務大臣から事業実施方針の指示を受け、それに基づき事業実施計画を作成して主務大臣の認可を得て行うこととなる。
 三重用水事業の主務大臣は、昭和43年(1968)10月18日総理府告示第36号により厚生大臣、農林大臣及び通商産業大臣として内閣総理大臣から公示された。
 このため、主務大臣は、昭和45年(1970)12月26日付けで三重用水事業に関する事業実施方針案により関係省庁及び関係各県知事に意見聴取を行った。
 主務大臣は、意見を取りまとめて定めた三重用水事業に関する実施方針を昭和46年(1971)2月20日付けで公団に指示した。

事業実施計画の作成

 公団は、主務省の事業実施方針の作成作業と平行する形で三重用水事業に関する事業実施計画の作成に取りかかり、手続きをスムーズに運ぶため、主務省には事業実施計画の事前審査を依頼するとともに、昭和46年(1971)1月から関係県知事に対して事前説明を行った。これと前後して公団総裁から三重用水土地改良区理事長に特定利水者の意見聴取及び費用の負担同意を依頼した。この照会に対し三重用水土地改良区は昭和46年2月23日付けで意見聴取に関しては「依存ありませんので事業の促進につき格別のご配慮をお願いします。」との回答を行うとともに、費用負担の仮同意も合わせて提出された(費用負担の正式な回答は昭和46年3月5日付けで総代会の議決謄本及び同意書名簿を添えて行われた)。
 公団は昭和46年3月5日付けで主務大臣に対し、事業実施計画の認可申請を及び関係県知事への協議を行った。
 そのうち、岐阜県知事からは「昭和46年3月5日付け水公計計第6号で協議のあった、みだしの事業計画の各項目については、次の条件を付して同意します。」とし、「本事業の実施について、牧田川取水に関し、水資源開発公団総裁と岐阜県知事との間において、別紙覚書案の通り協定するものとする。」との条件付き回答が出された。この覚書の主な内容は次のとおりである。
 @牧田川取水に係る取水・分水・管理等の方法については、双方協議の上決定すること。
 A牧田川取水に係る河川法手続及び工事の着手については知事と協議したうえ行うこと。
 BAの手続きは、各種補償に関し、関係県及び漁業組合等の了解が成立したことを確認したうえ行うこと。  C牧田川取水実施に関して、地域内に各種の障害が生じた場合の措置。
 公団総裁は、これらの意見を取りまとめ、主務大臣と協議のうえ条件の付せられた岐阜県知事に対して3月10日付けで了承した旨の回答を行うとともに、同日付けで「三重用水事業の牧田川取水実施に関する覚書」を締結した。
 このような経過を経て、昭和46年3月10日付けで主務大臣から認可され、3月11日付けで公示された(詳細は別紙計画変更の変遷を参照)。

事業の進捗及び事業計画の変更

 公団は、昭和46年3月10日に農林省から三重用水事業を承継し事業の進捗を図っていくことになる。しかしながら、それより前の昭和45年段階で、通商産業省は鈴鹿・亀山市における新規工業用地計画を、用地取得の困難さ、企業誘致の不成功等から全面的に検討した結果、工業用水の需要量を日量15万m3から日量7万m3に半減縮小せざるを得なくなったとし、農林省に計画変更の申し入れを行った。
 これに対し農林省は、牧田川分水問題がようやく解決に向かった時期でもあり、さらに時間を費やすことは回避しなければならないとし、現計画で事業実施方針を指示し、工業用水の変更は、その他の変更とあわせ、将来の事業実施方針の変更時に処理することし、昭和45年(1970)12月26日主務3省間で「三重用水事業の事業実施方針に関する了解事項」を確認した(「三省了解事項」)。
 計画変更の作業を進めていた昭和48年(1973)11月、三重県知事は農水省に対し、四日市公害訴訟も影響し、企業誘致がことごとく不成功となり、工業立地が困難であるとし、 三省了解事項で削減する工業用水日量7万m3を全面的に見直し、鈴鹿市の既設企業に対する日量2万4,000m3に再削減の計画変更を要望し、遺憾ではあるが了解された。
 一方、牧田川取水は、昭和46年(1971)2月に東海農政局長と岐阜県知事との間で三重用水事業の牧田川取水に関する覚書が交換され「牧田川沿岸の必要水量の確保ならびに三重用水取水調整のため」有効貯水量220万m3の打上調整池を建設することが決定された。
 しかし、同調整池の性格等をめぐり関係者間で解釈の違いがあり、このため、主務大臣は今後の計画変更で具体化することを岐阜県と協議し、打上調整池を含めないままで公団に事業実施方針の指示を行った。
 他方、計画変更を前提とする三重県との水需給調整の打合会では、懸案であった桑名・多度の受益地編入について協議されていた。
 このように大きな水利計画、施設計画の変更要素のほか、調整池の位置変更、幹線水路の路線変更等さまざまな変更要素があることから、公団は、事業承継直後の6月14日、中部支社長を委員長とする「三重用水計画変更委員会」を発足させ、検討を行うこととした。

水利計画の変更(農業用水)

 受益面積の見直し(当初計画7,363.9haから7,685.0haに増加)、かんがい期間、植付率、単位用水量及び現況利用水量の変更(河川渓流・溜池・湧水・鈴鹿川・樋管)

水利計画の変更(都市用水)

 水道用水は当初計画の日量6万m3から8万6,400m3に増量
 工業用水は当初計画の日量15万m3から2万4,000m3に減量

調整池計画の変更

 当初計画の宮川調整池及び北谷調整池を、宮川は当初計画通りとし、幹線水路から離れていた北谷調整池を廃止し、菰野調整池に変更。工業用水の専用施設で事業化されていた加佐登調整池を農業用水との共用施設として、三重用水事業に取り込むこととした。

施設計画の変更

 受益面積の変更により用水路・支線水路に変更が生じ、工業用水供給量の削減によって幹線水路の通水断面に変化が生じた。また、水利計画の変更によって、調整池計画に差異が生じた(詳細は巻末の別表計画変更の変遷参照)。

総事業費の改定

 当初事業実施方針では102億1,400万円(昭和40年度単価)であった。昭和47年(1973) 10月、公団は昭和48年度単価で約432億円の総事業費を取りまとめ、三重県及び農林省に意見を聴取した。
 これに対して三重県からは「県としての負担限度は約300億円であり、432億円は負担限度を大幅に超えている。」として、三重用水事業計画変更案に対する三重県の考え方」を公団に示した。
 その内容は受益面積を削減し、水源の中里間接流域を3カ所に削減。さらには宮川調整池の除外等を含み、総事業費を309億円とする内容であった。
 これらの調整に時間を要することとなり、昭和49年(1974)2月7日、公団中部支社長と三重県農林部首脳との間で合意に達し、次のような内容の三重用水事業計画変更調整メモが作成された。
 @ 事業費は432億円を約394億円とする。
 A 水利計画については、工業用水は日量7万m3を2万4千m3とし、その差を農業用水に振り替える。
 ただし、農業受益面積約7,700haは調整しない。
 B 調整の基本方向は、下記のとおりとする
 イ 貯水・調整池及び渓流取水等の水源施設については、水利計画の基本に係るもの についての調整はしない。
 ロ 調整に当たっては、なるべく農業専用施設で配慮するものとする。
 ハ 調整する工種は、工事工程上、なるべく事業の進捗に支障のないよう配慮すること。
 二 事業費の432億円と約394億円の相違の内容を明確にしておくこと。

実施方針の変更指示

 計画変更の内容が概ね固まったことから、主務3省は昭和51年12月3日付けで関係行政機関の長への協議、同日付けで関係県知事の意見聴取を行った。
 各々の回答を取りまとめた主務大臣は、昭和52年(1977)1月7日付けで、公団総裁あて「三重用水事業に関する事業実施方針の全部を別紙のとおり変更したので、水資源開発公団法第19条第1項の規定に基づき、これを指示する。」との文書を発進した。

実施計画の変更認可

 実施方針の変更指示を受けた公団は1月19日付けで特定利水者である三重用水土地改良区理事長及び三重県企業庁長に対して、意見聴取を行うとともに同日付けで三重用水事業に要する費用の負担同意を依頼した。
 これに対する回答は、昭和52年(1977)10月11日付けで両者よりよせられたが、このように時間を要したのは土地改良区の組合員の費用負担同意が困難であったことがあげられる。
 同土地改良区の負担同意は組合員の3分の2以上の同意が得られていたが、大字別に見ると、一部の地域で3分の2に達していなかった。
 主務省はこれを指摘し、大字別でも3分の2以上の同意を得るよう指示した。このため、三重用水土地改良区、公団、三重県及び地元市町村が一体となって全力を上げて取り組み、10月になって、ようやく主務省の指示に基づく同意取得率が確保されたためであった。
 公団は、これらを取りまとめて、昭和52年(1977)11月28日付けで変更実施計画の関係県知事協議を行うとともに回答を待って、昭和52年(1977)12月20日付けで公団総裁から主務3大臣あて事業実施計画の認可申請を行い、昭和53年(1978)3月1日付けで認可された(詳細は別紙計画変更の変遷を参照)。

昭和52年3月に完成した中里ダム

第2回事業計画の変更

第2回計画変更の背景

 昭和53年に認可された事業実施計画の変更内容は、総事業費が圧縮されていたため、将来に不足が生じることは明白であり、事業工期も昭和56年(1981)3月が予定されており、認可時点から完成までに3カ年の期間しかなかった。
 一方、渓流取水を行うのに必要な関係河川使用者の同意の取得については、全体で245件あるものの、昭和52年度末までの取得は105件で、約43%であり、見通しは決して明るいものではなかった。
 他方、昭和48年(1973)10月6日に勃発した第4次中東戦争によりOPEC(石油輸出国機構)は原油公示価格を70%値上げするとともに、生産削減と供給制限を開始した。いわゆる第1次オイルショックにより世界経済は大混乱を来たし、わが国の諸物価も著しく高騰した。
 昭和55年(1980)5月に「三重用水事業全体の検討について」として、全体計画の検討の必要性とそれに対する三重県の意見の骨子および計画変更の方法を取りまとめ主務省に説明した。また、6月には三重県に対して、三重用水事業の現状と問題点等を説明し、三重用水事業の進め方について、三重県の方針を早急に検討するよう要請した。
 この時点での問題点は、最終事業費が1,000億円を超える見込みとなること。及び工期的には昭和62年度以降になること。関係河川使用者の同意取得、用地取得について関係者の協力が得られない部分があるなどの内容であった。  このため、東海農政局、三重県及び公団の三者で「三重用水事業連絡調整会議」を設立して検討を進めることとし、昭和55年(1980)11月18日に初会合を開いた。
 同年11月30日に開催された調整会議において、今後の三重用水事業の基本となるべき「了解事項」が三重県企画調整部技監と公団中部支社建設部長との間で東海農政局計画部長を立会人として確認され、以後、この了解事項の線に沿って検討を進めていくこととなった。その内容は次のとおりである。
 1 事業費概算額は約910億円(55年度単価)であるが今後協議する。完了予定年度は昭和62年度とし、計画内容は現計画を踏襲する。
 2 公団は当面、下記の施設について昭和60年度までに完成させ、一部通水の実現に努めるものとする。

 3 公団は、事業の実施にあたり極力経費の節減し、事業費の軽減に努める。
 4 事業の計画変更に関する実施方針の指示が、昭和57年度内を目途に行われるよう協力して、所要の調整等を進めるものとする

確認書の締結

 上記内容に沿って県との調整を進めてきたが、昭和58年(1983)2月の昭和58年第1回定例議会でも取り上げられ、三重用水土地改良区理事でもある、三重郡選出の県議会議員伊藤作一は次のような質問を行った。
 「事業費の増嵩と事業工期の遅延の原因として経済情勢等の変化もあるが、水資源開発公団にも責任の一端がある。公団事業の進め方を今後どうするのか。事業費が莫大なものになることから、工期を短縮し、事業費の歯止めをかけることが必要」
 これに対し、知事の答弁は「基幹施設については昭和60年度には完成して通水すると いう回答を公団より聞いている。」また、「・・・この問題は、本県にとって大変大きなこれからの課題であり、県議会の皆様方の的確なご支援とご協力が必要」とした。  公団は三重県の方針決定を促したが、昭和58年7月15日に次のような三重用水事業の進め方の一端を公団に示したが、この中で一番大きな問題点は、打上ダムの一時保留であった。それは、牧田川取水の根幹に触れる問題であり、表面化すれば、牧田川取水問題の再燃につながるものであった。
 その後も幾度となく調整が図られ、同年8月30日に「三重用水事業に係る昭和55年11月30日の了解事項及び議事録の細部運用について、関係者により「確認書」を締結してすすめることとなった。
 その内容はとおりである。

 1

議事録1-(2)の昭和60年度までに完成させる施設のうち昭和58・59年度に次の施設について実施し、通水を目指すこととする。

 

 

@ 西部及び南部渓流取水工

 

 

A 西部導水路及び南部導水路の一部

 

 

B 幹線用水路

 

 

C 員弁及び山本等の用水路

 

 

D 一部通水に関連する水路

 

 

なお、上記用水路の実施については、用地買収補償の状況を勘案のうえ、県と協議するものとする

 2

河川協議は、県の水需要に対処できる措置が講ぜられるよう早急に協議を進めるものとする。なお、河川協議を早期に完了させるため、河川協議に必要な関係河川使用者の同意取得は県及び公団が双方協議、協力して進めるものとする。

 3

計画変更については、公団及び東海農政局の協力のもとに関係者の合意が得られるような基本方針を、昭和58年度末を目途に定めるものとする。

多度工水の変更追加

 工業用水は鈴鹿地区に対して日量2万4m3を供給する予定であったが、計画していた企業の誘致がはかばかしくなく、鈴鹿工業用水道事業の事業化は遅延していた。
 昭和57年(1982)8月、三重県は、電子機器メーカーの誘致計画を進めていた。この企業は、静岡県を含む東海地方に研究機関を主体とする工場を計画していた。
 この企業の立地条件は交通手段(名古屋空港への所要時間が約1時間)、工業用水については、水道並みの水質を持つ工業用水が多量に入手できることであった。
 このうち、交通手段について、三重県内で合致する候補地は多度町であり、町としても全力を挙げて取り組むこととなり、昭和58年(1983)8月9日誘致企業である富士通(株)と三重県及び多度町との間で立地協定が調印され、同年10月より多度開発公社の手によって工業団地の造成が開始された。また、この立地協定の中で「・・・県及び町は、昭和61年4月までに日量5,000m3の上水並みの良質な工業用水を富士通に供給」とあり、この供給計画が問題となった。
 これに対し、多度町は上水道からの供給、新たな水源開発及び北伊勢工業用水道第4期事業から供給することなどを検討したが、いずれも町単独で工業用水道を布設することは、財政上困難であった。
 このようなことから、町は工業団地に接近して通過する三重用水の員弁用水路から工業用水を供給する計画をたて、三重県に要請することとし、県からは前向きに検討する旨の積極的な発言を得た。
 一方、富士通は昭和59年4月25日、三重県に対し工場操業に必要な工業用水の必要水量日量1万5,000m3を供給するよう申し入れを行い、そのうち日量1万m3は三重用水からの供給を要望した。
 三重県は県内調整を踏まえて、通商産業省と折衝し三重用水事業により鈴鹿地区で確保 されている日量2万4,000m3のうちから日量1万m3を多度地区に振り向けることで了承され、昭和60年(1985)4月24日、県営多度工業用水道事業として事業届が通商産業省に提出され、同年6月26日に事業認可のうえ着手された。

計画変更委員会の設置

 三重用水事業は、調整会議において昭和56年(1981)11月30日の「了解事項」、昭和58年(1983)8月30日の「確認書」及び昭和59年(1984)7月23日の「三重用水事業の進め方」等に基づき、それらで決められた方針にしたがって検討が行われ、又、昭和61年(1986)3月11日に主務三省の間で「申合せ」が行われ、多度工水が、三重用水事業に組み込まれることとなった。
 公団は、前記の諸事項にしたがって工事等を進めるとともに、関係河川使用者の同意の取得が完了したことから、調整会議で河川協議の進め方等を検討し、全体一括協議を行うべく作業を進め、昭和61年(1986)3月、河川管理者に協議書を提出して協議を開始した。
 昭和61年(1986)6月3日、東海農政局、三重県農林水産部、公団の三者は、三重用水計画変更調査の打ち合わせを行ったが、その際、東海農政局は、「第1回計画変更に基づく事業計画を進めてきたが、次の事項について変更の必要が生じた。」として次の4点の主な理由をあげ、計画変更を行うこととし、計画変更を行うにあたっては、これを円滑に行うため、三重用水計画変更委員会(以下)「計変委員会」という。」を設置したいと提案した。

@

農業基盤整備事業の進ちょくによる受益面積の変動及び営農土地利用計画の変化に伴う用水計画の変更。

A

施設の位置、工種、構造等の変更、労務費、資材費及び地形、地質等の諸条件再検討による変更等に係る総事業費の変更。

B

既得利水の同意取得及び用地取得等の関係で事業の進ちょくが大幅に遅延したことによる工期の変更。

C

都市用水の一部変更(鈴鹿工水の一部を多度工水に変更する)。


 計変委員会の設立会議は、昭和61年6月24日に開催され、昭和61年度計画変更調査方針及び昭和63年(1988)12月末に事業実施計画の認可を受ける作業スケジュールを決定し、計画変更を進めることとなった。
 昭和61年(1986)9月8日、計変委員会の第1回幹事会を皮切りに、具体的に三重用水事業の計画変更について検討が開始された。
 昭和62年(1987)7月28日に開催された第4回計変委員会幹事会において、三重県から「三重用水事業に係る三重県の基本要望」が説明された。その要旨は

計画変更について

 

@

計画変更は、補助金返還等が起こらないようフルプランで行わざるを得ない。

 

A

全体事業計画のうち、早期に需要の発生する基幹施設については、昭和64年度完了、翌65年度通水とする。

 

B

基幹施設以外の施設については、水需要の発生状況に応じて実施するものとし、一次休止する。再会事業の施行については、公団から県への委託又は別途事業として行う。

管理事業について

 

基幹施設完了時点で管理方針の指示、管理規程の認可を受け、本管理を開始することとし、管理に係る必要経費の節減並びに利水者負担の軽減を図ること。

償還について

 

@

昭和65年度から償還開始が行われること。

 

A

償還条件の緩和措置が図られること。

 

 

償還利息の引き下げ、総償還額の軽減を図ること。

 

 

計画償還制度を適用し、償還期間の延長による年償還額の軽減を図ること。

 

 

需要発生に見合った段階的償還を行い、初期償還額の軽減を図ること。


 この基本要望は矛盾する点があり、公団法上、管理方針の指示があることは、三重用水事業が全て完了したことを意味することから、基幹施設以外の施設の一時休止はあり得ないものであった。
 このため、東海農政局と公団は、早急な方針決定を更に要請した。
 昭和62年9月1日になり、計変委員会の設立により、それ以降開かれないままであった調整会議が開催され、公団が地元醸成、事業の進捗状況等を説明したあと、東海農政局は、

@

三重県では、昭和65年以降一時休止期間を設けることを希望しているが、休止期間を設けることはあり得ない。

A

実施が困難である水源施設を残して今回計画変更を実施した場合、問題点を残すこととなり、再度、計画変更が必要となる。

B

第3回幹事会では、第3回目の計画変更についても対応せざるを得ないという判断であったが、実態として再度の地元同意は非常に難しい。

C

本省と打ち合わせの結果、地元状況等から、実施不可能な施設の打ち切りも含め、計画変更方式を決定する時期に来ている。


 という主務省としての判断を示した。そして、計画変更の基本方針として「全体計画のうち実施不可能な水源施設を打ち切り、これに見合う需要計画をもって事業を完了する。」ことが合意された。これで、三重用水事業の計画変更の方針が決定されたといっても過言ではない。

変更実施方針の指示

 平成元年(1989)2月20日に開催された第3回計変委員会において、三重用水事業の計画変更の内容が決定され、主務三省間の協議へ手続きを進めることとなり関係機関に対し事前説明を開始した。
 事前説明で合意が得られた平成2年(1990)7月6日、主務三大臣は、関係行政機関の長への協議及び関係県知事に意見聴取の文書を発し、法手続を開始した。
 主務三大臣は、同年7月25日付けで公団総裁に対して、変更実施方針の指示をした。
 計画変更の検討を開始してから約10年以上の歳月がたって、ようやく、三重用水事業の最終の形が整ったのである。

変更実施計画の認可

 公団は、変更実施方針の指示を受けた翌26日付けで特定利水者である三重用水土地改良区理事長及び三重県企業庁長に対して意見聴取、費用負担同意の文書を提出するとともに、同日付けで関係県知事と協議を行った。
 公団は平成2年(1990)8月4日付けで主務大臣に変更実施計画の認可申請を行い、8月30日付けで認可され、9月10日付けで主務大臣から公示された(詳細は別紙計画変更の変遷を参照)。

施設計画の変更

 平成2年の第2回計画変更は、三重用水事業の最終の姿を目標に行われたが、農業用水関係では畑地帯の開発計画樹立の遅れ等から下表のとおり、畑地かんがいの受益地をもつ内部用水を含め8用水路、狭間支線水路ほか13水路が事業から除外された。これらの用水路及び支線水路については、別途県営かんがい排水事業で公団事業と同様の国及び県の補助により施行することとされた。

別途事業化予定施設

平成元年10月に完成した菰野調整池

4.事業の概要

 三重用水事業で建設された施設は、中里貯水池、打上調整池、宮川調整池、菰野調整池並びに加佐登調整池の5カ所の貯水池、調整池と揖斐川水系牧田川、員弁川水系冷川・河内谷川・員弁川、朝明川水系田光川、三滝川水系三滝川、鈴鹿川水系内部川・御弊川の5水系8河川の取水施設及び導水路と幹線水路(中里〜弓削)、員弁幹線水路、朝明・竹谷等5用水路(国営級農業用水専用水路)、員弁・田口等6支線水路(県営級農業用水専用水路)と管理施設である。
 本事業の特色は、水源を地区内の中小渓流に依存していることである。
 北勢地方には、三重用水の全水需要量を1つの河川で賄うような大河川がないため、牧田川という県外の河川の水を流域変更して利用する一方、地区内において図−5に示すような取水制限流量を設定し、取水地点において河川流量が取水制限流量を上回った場合のみ、計画取水量の範囲内で取水し、導水路及び幹線水路により貯水池、調整池に導入・貯留する計画である。
 これにより、三重県北勢地方の農地7,312haに対して最大5.99m3/sのかんがい用水を補給するとともに、四日市市等を中心とする都市用水に対し、水道用水最大0.67m3/s、工業用水最大0.19m3/sを供給するものである。

図−5 河川流量と取水制限流量及び、取水量の関係(基準年の例)

工種別の概要

1 堰堤工
 5ダムの諸元を表−6に示す。

表−6 貯水池、調整池の諸元

2 渓流取水工
 渓流取水工は、図−6に示すように、河川に設けた取水堰(バースクリーン)で取水し、取水制限流量を下回る場合は河川に戻し、取水制限流量を超える場合は、その超える範囲内の水を導水路に導入する。
 最大取水量を超える水は、最大取水量規制施設により自動的に規制され、余水吐から河川に放流される。

図−6 渓流取水工の模式図
田光川取水工(チロルU型)

3 水路工

(1)

幹線水路

 

幹線水路は、表−7に示すように中里から末端の弓削分水工間の約41.9km、員弁幹線水路約17.4kmのあわせて約59.3kmである。

表−7 幹線水路諸元

(2)

用水路

 

用水路は国営級の農業専用水路で、表−8に示すとおり、その総延長は約22.6kmである。

表−8 用水路の諸元

(3)

支線水路

 

支線水路は県営級の農業専用水路で、表−9に示すとおり、その総延長は約41.4kmである。

表−9 支線水路の諸元

5.暫定通水

暫定通水の開始

 三重用水の受益地内では、ほ場整備事業が広く行われ、その進捗と公団事業による施設整備の進捗により、地元では、早期に通水を行うよう強い要望が出された。
 公団が通水を行うには、河川法に基づく河川管理者の完成検査を受ける必要があり、この検査は中里貯水池、幹線水路の中里から宮川間及び宮川調整池を一括して、昭和58年(1983)6月に行われ、同年12月1日付けで合格し、通水は法的にも可能となった。
 昭和59年(1984)1月27日三重用水土地改良区理事長が、同年2月16日には三重県知事が、それぞれ公団総裁に暫定通水の要望書を提出し、公団は、これを受け、公団法第18条第1項第4号の付帯業務として位置付け、昭和59年(1984)4月1日から、農業用水の暫定通水を開始した。

区域の拡大と都市用水の追加

 昭和61年度に入ると、工業用水も暫定通水を開始した。昭和61年(1986)3月富士通(株)の工場が完成し、同社から三重県企業庁長へ工業用水の申し込みがなされた。
 三重県企業庁長は多度工業用水道及び員弁幹線水路を共用施設として位置付ける計画変更前ではあるが、昭和61年(1986)4月1日からの給水を依頼した。
 これを受けて、昭和61年度からの暫定通水は農業用水のほかに、将来、事業実施計画を変更することとして関係機関の合意を得て、工業用水の暫定通水を開始した。
 一方、水道用水も、平成3年(1991)3月1日付けで三重県企業庁長から公団総裁に依頼を行った。富士通(株)三重工場へ引き続き工業用水を給水するとともに、平成3年4月1日から北勢水道用水供給事業(拡張)として四日市市・菰野町へ水道用水の供給を開始したものである。

6.農業用水負担金償還制度等の新設

概要

 従来、公団が行う水資源開発施設の新築又は改築の工事でかんがい排水に係るもの(以下「かんがい排水等工事」という。)の土地改良区負担金の支払方法等については、農家が当該かんがい排水等工事の実施により発生する利益のなかから、毎年、無理のない一定額を支払っていくことを原則として施行令第24条の2第4項および第5項の規定に基づき、事業完了年度の翌年度から17年元利均等年賦支払(うち2年据置)とされていた。
 しかしながら、近年、労務・資材費の増嵩、工期の長期化に伴う建設利息の増嵩等により事業費が増大し、農産物価格の低迷、需給調整の強化、輸入農産物の増加等厳しい農家情勢の下で、土地改良区の負担金について、従来の支払方法および支払期間の再考並びに助成等による軽減措置等の検討が課題となっていた。
 このため、平成2年(1990)10月に施行令が改正され、かんがい排水等工事の全体が完了する以前においても、一定の要件を満たす工事が完了した場合には、当該工事の部分に応ずる負担金の支払を開始させることができる制度が創設された。
 創設された制度は、指定工事制度、申出に基づく早期支払制度および工種別完了制度の3つからなり、事業実施期間中であっても償還を開始することが出来る支払始期の特例措置が講じられたことにより、農家負担の計画的、かつ、円滑な償還が図られることとなった。

市町村負担の導入

 かんがい排水等工事の都道府県負担額は、従来、国庫補助金控除後の都道府県農業分担額に100分の50(ただし、都道府県と土地改良区が協議して公団に申し出たときはその申し出た割合)を乗じて得た額およびその額に対応する利息の額を基本とし、土地改良区の負担額は、都道府県が負担した残りの額とされていた。
 しかしながら、平成3年(1991)5月2日に土地改良法等の一部改正が行われ、土地改良事業に係る市町村の事業費負担が明確化され、あわせてかんがい排水等工事にかかる負担金についても市町村による負担が導入された。

地方財政措置

 従来、農業農村整備事業に対する地方交付税は、都道府県分については耕地面積、市町村においては農家戸数に応じて「単位費用」により算入されていたが、投資的経費として認められていなかったことから、必ずしも、各地方公共団体の負担の実態が反映されているとはいなかった。
 平成2年度になって、国営土地改良事業の都道府県および市町村負担金が、この投資的経費として認められたものの、公団事業の負担金については、対象外であった。  この原因としては、公団法に市町村負担の規定が明確にされていないことによるものと考えられる。
 しかし、前述の通り、公団法が改正され、市町村負担が導入されたことに伴い「普通交付税に関する省令」が平成3年(1991)8月27日に改正され、かんがい排水工事等についても表−10に掲げるようなダム等公共性の高い工種に係るものについては、投資的経費である事業費補正の対象となることが決定され、次のとおり地方交付税措置が講じられた。

表−10 地方交付税措置対象工種

@

平成元年度以降に完了する地区の対象工種の地方負担に係る償還額の一定部分について事業費補正を行う。

A

措置の対象は、都道府県分および市町村分について、ガイドラインに基づく負担割合   と実負担割合のどちらか低い率により算定される一定割合(算入率:35%)を交付税の対象とする。

B

対象工種に係る地方負担額の事業費補正残分および対象工種に係る地方負担については、交付税の単位費用に算入される。

C

普通交付税の配分方法は、毎年度、基準財政需要額が基準財政収入額を超える(財政力指数=基準財政収入額/基準財政需要額<1)地方団体に対し、その財源不足額(基準財政需要額−基準財政収入額)に応じ交付されることとなる。

D

総合償還対策事業に係る地方負担については、特別交付税により行う。総合償還対策事業のうち平準化事業と円滑化事業については、毎年1月1日から12月31日までに都道府県が負担する利子補給金について、その全額を措置する。助成事業については、都道府県の要件助成額(実際の県負担額−従来の県負担額)については、その全額を措置するとされた。

工種別精算額

 工種別完了制度を適用するため、三重用水事業全体の昭和39年度から平成元年度までに完了していた工種を下表のとおり取りまとめ、その事業費を取りまとめて第一次精算額とした。

表−11 完了した工種

 なお、表に記載のない田光川取水工及び同導水路、三滝川取水工及び同導水路、下大久保用水路、鞠ヶ野用水路及び山田支線水路については、平成元年度で工事中であるため、平成4年度に精算し、第二次償還として、第一次償還と同様の取扱で平成5年度から償還が行われた。

三重県の助成措置

 昭和62年(1987)7月28日に開かれた第2回三重用水計画変更委員会幹事会において三重県は、県内調整は終わっていないと前置きし「三重用水事業に係る三重県の基本方針」を説明したが、このなかで、償還については昭和65年(平成2年度)から開始することおよび償還の緩和措置を図ることとし、この時点で三重県は、次の3点の県独自の助成措置を考えていた。

@

国営級施設の国の補助残額に対し、県が22%負担し、地元負担を20%とする。

A

国営級施設の建設利息については、全額県負担とする。

B

国営級施設の償還期間中の利息(6分5厘)については、1分5厘を県が負担し、地元負担を5分に軽減する。

償還開始までの経緯

 平成2年(1990)10月、施行令の一部改正が行われ、指定工事制度、申出に基づく早期支払制度及び工種別完了制度等の諸制度が発足した。
 この施行令改正に伴い通達されたかんがい排水実施要領において、工種別完了制度については「負担金の支払を開始する年度の前年度の原則として5月末日まで」に諸手続を行うこととされているが「平成2年度から支払を開始する事業にあっては、原則として平成3年2月15日まで、平成3年度から支払を開始する事業にあっては、原則として平成3年9月末まで」に諸手続すればよいとする経過措置が設けられ、三重用水事業は、これが適用され、農業用水の一時償還を開始することとなった。
 このような経過を経て、三重用水事業は、工種別完了制度と計画償還制度の併用、地方財政措置等により、農業用水の一次償還を開始することとなった。

計画償還計画の概要

 三重用水土地改良区は、平成2年(1990)10月31日の施行令が改正され、新制度が創設されたため、12月3日に臨時総代会を開催し、工種別完了制度の適用申請と計画償還制度および助成事業の地区指定申請を行う旨議決した。
 土地改良区理事長は、平成2年(1990)12月10日付けをもって工種別完了制度の適用申請を行うとともに、同日付けで当該工種別完了部分に係る負担金について、計画償還制度および助成事業の適用申請を三重県知事あてに申請した。
 申請を受けた三重県は、県の償還計画を作成のうえ平成2年12月14日付けで公団総裁に計画償還制度適用および工種別完了制度については厚生大臣、農林水産大臣および通商産業大臣に、助成事業地区指定については、農林水産省構造改善局長に、それぞれ経由して申請するよう依頼した。
 公団総裁は、この依頼を受けて同年12月17日付けで厚生大臣、農林水産大臣および通 商産業大臣に工種別完了制度適用申請を送付するともに、「・・・三重用水事業については、平成2年度に工種別完了を行うことが適当」とする結論を付した同制度の申請内容について報告した。
 また、助成事業地区指定申請も、同日付けで農林水産省構造改善局長に進達した。
 このような経過を経て、施行令第24条の2第5項および第26条の3第1項の規定に基づき、平成2年度から負担させる部分の支払方法等を内閣総理大臣および主務大臣が定め、平成3年(1991)2月8日、総理府、厚生省、農林水産省、通商産業省告示として平成2年度から負担させる部分の利子率が定められた。
 また、同日付け厚生省、農林水産省、通商産業省告示第1号として「水資源開発公団法施行令(昭和37年政令177号)附則第5項、第6項及び第7項の規定に基づき三重用水事業に係る水資源開発施設の新築に係る土地改良区負担金及び都道府県の負担金のうち平成2年度から負担させる工事の部分に応ずる部分並びに当該部分についての支払期間及び支払い方法が告示され、平成2年度より負担金の償還を開始した(支払期間:25年)。
 この告示と同日付けで農林水産省構造改善局長は、公団総裁に対し助成事業地区指定通知を発し、この旨を三重県知事あて通知するよう依頼するとともに、資金協会理事長および東海農政局長あてに助成事業地区指定通知を送付した。

7.三重用水の管理について

基本的事項

 三重用水は、各取水工から豊水時に取水した水を各貯水池・調整池等へ導水して、各利水者へ分水するとともに、幹線水路を利用して上流の調整池から下流の調整池に順次送水しながら調整池間の水配分を行うことにより、効率よく、また、上下流のバランスを保って利用することが必要である。
 その根幹である水源は、急峻な山岳地帯での渓流において、地区内の水源状況、気象状況(降雨強度、降雨時間)、河川特性、周辺環境(第三者状況を含む)、水利使用規則等を総合的に勘案・考慮の上、臨機な対応により取水することが必要である。

施設(事業)の特徴

 

@

水源地と受益地が一体である。

 

A

他県からの流域変更導水とともに、県内7つの渓流取水、5カ所の貯水池や調整池に貯留して行うので数多くの施設が存する。

 

B

水路は、広大な受益地に農業用水の補給や都市用水の供給を行うべく、幹線水路(約60km)、用水路及び支線水路(約64km)及び分水工など多数の施設から構築されている。

管理の基本

 

三重用水施設の管理計画は次の事項を基本に策定されている。

 

@

施設は多目的であり、各利水者に対して公平かつ適切な配水ができること。

 

A

数多くの取水工から水利使用規則に基づき、適切かつ確実に取水できること。

 

B

数多くの施設の機能が十分発揮され、かつ施設の安全性が十分確保できること。

 

C

施設管理費及び人件費が総合的に低廉になること。


 上述のとおり、広大、多岐にわたる施設を合理的かつ有効に活用することが重要である。
 なお、管理施設の模式図を図−7に示す。

図−7 管理施設模式図

8.管理に要する賦課金

 三重用水の農業用水は、既設の水源を利用し、不足する分を補給する計画であるため、全ての分水工には、瞬時流量と積算流量が測定できる流量計が設備されている。
 三重用水土地改良区は、この補給水という立場に立って管理費の賦課を使用水量によるものとして検討した。これは、他の多くの土地改良区が行っている管理費をかんがい面積で除した賦課の方法とは異なり、水道料金のような賦課方法としている。
 この使用水量方式は、契約水量を超えた場合、超過料金を徴収することとなるため、かんがい用水の無駄遣いが抑制され、三重用水事業計画にも合致した賦課方法であると言える。

賦課額