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三河の恵み―矢作川の流れ -矢作川農業水利事業・矢作川第二農業水利事業・矢作川総合農業水利事業-
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三河を潤す大河



矢作川流域マップ
矢作川の流域
 
地形図(国土交通省河川局)
出典:愛知県「県土レポートあいち'99」(一部加筆修正)
 長野県の木曽山脈に発し、愛知県の西三河地方を大きく蛇行しながら、三河湾へと注ぐ矢作川。
 矢作川は、古くは御川(みかわ)とも呼ばれていました。「御川」とは「美川」の意であり、「三河国」の地名も矢作川の流れる地域を指して付けられたものといわれています。(
 矢作川の上流部は、大半が崩れやすい花崗岩でできており、沿岸には矢作川の運ぶ土砂による沖積平野が発達しています。この肥沃な土壌は、農業の好適地として、古くから人々の生活の場となってきました。
 しかし、右下の地形図を見てわかるとおり、西三河の大部分には、丘陵地と台地が広がっています。低地との高低差はわずか十数メートルですが、水路の引くことのできないこの台地上の開発は、明治になるまで手をつけられることはなく、広大な未開地のまま放置されてきました。
 また、一方、開発の進んだ沿岸部の沖積平野や下流部の低地では、上流から流れてきた土砂が溜まり、河床が上昇してしまうため、乱流が起こりやすく、長い間、水害に悩まされてきました。そのため、主に江戸時代以降、堤防の築造や河川の付替えなど幾多の治水事業が行われます。
 この西三河が豊かな農業地帯となるためには、上流ではかんがい、下流では治水という二つの大きな問題を解消する必要がありました。
 
 
※・・・ 「三河国」の国名は、大化の改新の際につけられたもので、矢作川の西を流れる境川を国境として「三河国」と「尾張国」が分けられました。国境を流れるところから「境川」の名はつけられています。
現在の「矢作川」の名は、岡崎市の矢作橋周辺にあった矢を作る部民の集落に由来しているといいます。
 


愛知県 ―矢作川農業水利事業・矢作川第二農業水利事業・矢作川総合農業水利事業