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01
●柴山潟干拓の全景。水路で囲われた部分が湖だった。

さて、粗粗[あらあら]と加賀の農地の歴史を眺めてきた。


これらは、いずれも私たちの社会が近代的農業土木の技術を得る以前。鍬[くわ]やノミによる工事、竹ざおによる測量の時代の話である。


私たちの時代は、高度な大型土木機械を持ち、コンピューターを駆使できるまでになった。とりわけ、戦後の土地改良は、これまでの先人の業績をはるかに凌[しの]ぐ成果をもたらしたとも言えよう。ともすれば私たちは昔の技術が稚拙[ちせつ]に思え、あたかも今、土地に対して万能であるかのような錯覚に陥[おちい]る。


しかし、私たちは、探査機を火星に飛ばす技術は得ても、未[いま]だ木の葉がどこに落ちるかさえ計算できない。嵐を弱めることも、雨を降らせる術[すべ]も得てはいない。自然という巨大な営みを前にしては、江戸も今も、人の無力に変わりはないのである。


土地改良に終わりはない。

人が生き続ける限り、あういは自然を制御できない限り、それは永遠に挑み続けなければならない人類の課題ではなかろうか。


02
●邑知潟干拓の全景。

昭和23年に着工された邑知潟[おうちがた]の国営干拓事業。それは、15世紀から延々数百年と続く邑知潟埋立て、吉野屋村の彦助の「川流し」、吉崎新聞、道下村丹治、村松標語左衛門らによる幻の全面埋立計画、それらの計画の一過程に過ぎない。

そして、現在行われている「邑知地溝帯[おうちちこうたい]農地防災事業」も、その正しい延長上にある。

あるいは、風光明媚[めいび]ながら、洪水の度[たび]にあたり一面泥海と化し厄災[やくさい]をもたらし続けた加賀三湖。

昭和27年より、柴山潟の60パーセント、今江[いまえ]潟の全面を整備する加賀三湖干拓事業が着工された。この地に住んだ幾万という農民の悲願達成ではあった。

しかし、事業が完成しても、堤防は波浪による浸食を受け、地震などで沈下する。水門や排水施設も老朽化は免[まぬが]れない。

現在、「加賀三湖干拓事業」として、リフレッシュがなされているが、これもまたこの地に数百年と続いている「大地への刻印[こくいん]」の終わりなき闘いである。


その他、いちいち記さないが現在行われている様々な県営事業、市町村や土地改良区による農業農村整備も、この何百年とたゆみなく続く国土形成の歴史を受け継いでいるのである。


--- 大地が語り継ぐもの


高度な科学技術を得てなお、私たちはそこに人間の誇りを見る。

巨[おお]きな希望の源泉を見る。

あるいは、崇高な精神の在処[ありか]と、永久[とわ]に称えるべき人の生き方を見る。


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