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悠然と連なる奥羽山脈の一角に毅然と佇む焼石連峰、ここに水を発して滔々と流れる胆沢川、この青山白水が数十万年の時をかけて広大な胆沢平野を誕生させた。

そこには、急流に堰を築き、荒野に用水路を開さくした先人の偉業があり、この遺産を継承した農民の汗と涙の結晶がある。からだを縦横に走る血管のように今に残る用水堰は、その歴史の証である。

乾いた大地に生命を育む至極の水、それは血の一滴であり、営々と続けられてきた水とのなりわいは、豊かに大地を蘇らせ、多くの生命を養い、ゆったりとした農村景観と馥郁とした農耕文化を育んでいる。


しかし、大穀倉地帯を支えてきたこの遺産は、農業や農村の変化に伴い、農民だけの力だけでは守っていくことが困難な状況になりつつある。

我々は、胆沢平野の歴史と恩恵に目覚めながら、先人が残した偉大な財産を、都市と農村の調和・協力といった新しい相互関係を築き、次世代へ継承していかなければならない。


時は刻々と流れ、二十一世紀という新しい時代が間もなくやってくる。我々は安穏としてはいられない。大自然の偉大さと、胆沢平野に注がれた先人の功績や、弛まない農民の孜々とした励みを忘れずに、新しい視点で見過ごしていた胆沢平野の素晴らしさを再発見しよう。

小川のせせらぎや風にそよぐ木々の音、虫や鳥、魚などの活き活きとした姿、農の演出による水と土と緑の共演、エグネに囲まれた散居集落や秋のホニオの群れ、四季折々の田園風景が織りなすシンフォニーが奏でられている。

我々に新鮮な感動と新しい感性を呼び起こす歴史の大自然がここにある。この地を舞台に、新しい水と土と緑の文化を一歩また一歩と築いていこうではないか。




それにしても大地に即して歴史を見ることの、何と大切なことだろう。そして「土木」の、何とロマンに満ちた世界であることだろう。考えてみればつい三代前まで、日本人は男も女も子供たちも、みな水の土木技術者であった。水の技術者だから、森林のことも土壌のことも分かっていた。それがあっという間に断絶してしまったことが、現代社会の国土への無関心さや無理解、「土木」の語への誇りの喪失につながっている。農業の衰退が日本人を、水の世界からも土木の世界からも、追放したのであった。

そうしたことを思うにつけ私は、自然とのつきあい方を次代に伝えるという情報伝達のためにも、日本列島にあっては農業は、小数の大規模農家に任せるのではなく、兼業でもよい、一家の誰かは農業者であるような、そんな家々が各地に根を張っていることが、大切であることを思わずにはいられない。


富山和子著「日本の米」―環境と文化はかくつくられた―(中公新書)より


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