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「疏通千里・利沢万世」。苔むした明治用水記念碑に書かれた宰相・松方正義の言葉である。疏通(水路を通す)すること千里、その利沢(恩恵)は万世におよぶ。水利事業の真髄は、この短い言葉で言い尽くされよう。 御囲堤の築造に端を発した近世・尾張の水の歴史。それは<動かざるための技術>をめぐる矛盾との闘いであったのかもしれない。

しかし、何よりも水が豊富であったからでもあろう。もし川の水が少なくなれば、矛盾どころの話ではない。近年、頻発する渇水。荒廃が進む水源地の山林。増大する生活水の需要。そして、水路に投げ捨てられる数々のゴミ。 木曽川、矢作川、豊川・・・。愛知を支え続けてきたこれらの母なる大河。そして、そこに築かれた多くの用水や水利施設は、“万世”に継承すべき地域のかけがえのない歴史的資産として、現在、国、県、あるいは水資源開発公団によって様々な改修事業が進められている*1

しかし、私たちはその恩恵にあずかるだけでなく、大河の上流、とりわけ水源地にも目を向けるべきではなかろうか。

長野県の王滝村、三岳村、木祖村、岐阜県の金山町、馬瀬村、あるいは、愛知県の下山村、鳳来町、豊根村、富山村、東栄町・・・、いずれの水源地もダム建設などで、大きな犠牲を払っている。いわば、愛知の発展はこの水源地によってもたらされたといっても過言ではない。にもかかわらず、これらの地は、現在、過疎や高齢化、産業の衰退など大きな問題をかかえている。 私たちは、確かに「疏通千里」の技術は持ち得た。しかし、水を生む技術はない。都市と農村、工業と農業の共存は果たし得たとしても、水源地と受益地、自然と人間社会との共存はまだである*2

「利沢万世」は、どうやら技術の領域を越えた、私たちの社会のあり方に関わる問題になりつつあるのではなかろうか。 


*1 国営では、「新濃尾農地防災事業」として犬山頭首工の補修や濃尾用水水路の暗渠化など、「新矢作川用水農業水利事業」として同じく頭首工や水路の改修、さらに、「豊川総合用水農業水利事業」として大島ダム(新規水源の確保)、4つの調整池等の建設が進められている。また、水資源開発公団では、「愛知用水二期事業」として水路の改修や水路を利用した親水公園のプロジェクトも進行中である。また、豊川用水や木曽川用水についても、改築事業が実施されている。


*2 明治用水土地改良区では、「水を使うものは、自ら水をつくるべきた」との理念に基づき、明治41年より、水源涵養林として上流の山の造林に取り組んでいる(現在、525ha)。また、同改良区が本部となっている矢作川沿岸水質保全対策協議会(通称、矢水協)の民間活動は、水質保全、上下流の住民交流など、いわゆる「矢作方式」として世界的に注目された。明治用水の高い志とその先進性は、いささかたりとも風化していない。


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