から始まる高度経済成長にともなって、わが国の農業や農村そのものが大きな変貌を遂げた。農村の労働力は都市に吸収され、流通の発達によって農業生産物も様変わりした。
川や水、大地といった生存基盤すら経済のサイクルに組み込まれてしまい、村を支えてきた秩序や倫理に代わって、自由主義経済を旨とする都会的価値観が農村社会をも支配するようになった。
安曇野とて例外ではない。
近年は高速道路も豊科まで伸び、豊科インターチェンジ周辺、広域農道沿いを中心に商業エリアとしての開発が広がり、沢山の住宅が建ち並ぶようになってきた。要するに、これまでの土地利用が、ここ4、50年で大きく変化してしまったのである。その主な変化として、以下のものがあげられよう。
当然のことながら、水の使用形態も大きく変わってしまった。
また、とりわけ山林の荒廃は降雨の流出を早めてきている。間伐がおろそかとなり、枝木の密生によって光が地表に届かず、下草の成長が鈍くなる。その結果、山林の持っている肥沃かつ保水能力の高いスポンジ状の地表が形成されにくくなるわけである。さらに、水田が保有している降雨の一時貯留機能が水田の減少とともに低下してきている。このために降雨の流出形態も変化し、水の流出率*2が徐々に高くなってきている。
雨が降ると、これまでよりも早く、しかも、多く流出してしまうようになった。
排水のバランスが崩れ、その排水が農地や農村生活を脅かすようになってきたのである。
もともと排水路を持たないこの地域は、大雨のたびに用水路から水が溢れ、被害をもたらしてきた。また全国的にも珍しいケースであるが、一級河川である黒沢川の流末が用水路に流入していることも、被害を広域的なものにしてきた。とりわけ昭和58年の台風10号の被害*3、平成11年の梅雨前線の被害*4等は記憶に新しい。
このため、現在、地域の排水対策として、長野県が行う黒沢ダム、万水川の改修とあわせて、国営「安曇野農業水利事業」(次頁参照)及び県営「かんがい排水事業」が実施されている。従来、この事業が実施される地域の雨水は、全体がすり鉢状になっているため、万水川と拾ケ堰を経由して、烏川、犀川へと排水されていた。この事業では、排水の分散を図るため、有史以来初めて梓川へも排水されることとなった。
一方、安曇野、いや松本平全体における水利の要である梓川頭首工、導水路(昭和25年完成)も施設が老朽化し、維持管理費は年々増加を続けている。また、田植えの時期が早まってきていたり、ビニールハウス栽培が盛んになってきていたりと農業の質にも変化が起こっている。これらにも対応した水利計画や施設の改修計画を樹立するため、地元の要請を受け、平成12年度から国による直轄調査が始まろうとしている。
1000余年をかけて偉大な先人達が築き上げてきたこの地の水土。その水土をめぐる闘いが終わったわけではない。昔と同じ闘いが、農業農村整備と名を変え、国や県、市町村によって続けられている。しかし、いかに近代農業技術の粋を投入しようと、これらの事業は万能ではない。今後とも、農業水利施設の不断の維持管理、適時適切な事業の更新は不可欠である。
今も、1000年変わらぬ役割を果たし続けてきている土地改良区。
この地方公共団体なみの性格を有している土地改良区こそが、町村界を越えた広域的な組織体制の強化を図り、この安曇野における水土の管理の中核的存在となることが期待されている。
いずれにせよ、何より重要なのは、この地の住民自身の手と責任による“土地利用計画の樹立”ではなかろうか。さらに今後とも、動植物との共生を重視した農業生産基盤の整備、使用農薬の縮減、肥料の多用を抑制する声が高まっていくであろう。
全国でも屈指の田園景観を誇る安曇野では、自然環境保全型の整備*5が強く望まれる。しかし、これらは農家や土地改良区、行政だけでできるものではない。安曇野の美しい田園景観が万人の財産であるなら、万人が安曇野の“農”を守らねばならない。“農”によって築かれた安曇野の危機は、人々が“農”を忘れた時にやってくるのである。
*1
昭和35年に比べて約1800ヘクタールの農地が減少。人口は約3万人の増加となっている。
*2
一定期間内における降雨量と河川への流出(排水)量との比率。
*3
昭和58年9月後半に西日本を襲った台風。長野県でも記録的豪雨となった。長野県の死傷者53人、被害額は約1500億円。安曇野地方でも作物被害7600万円、農業施設被害4億700万円、床下浸水88戸、床上浸水20戸(関係五町村)と大きな被害をもたらした。
*4
平成11年の梅雨前線は日雨量126ミリ(6月29、30日)を記録し、作物被害600万円、農業施設被害1億3100万円、農地の湛水2.4ヘクタール、床下浸水19戸等の災害をもたらした。
*5
「安曇野農業水利事業」でも、自然石利用の護岸、魚巣ブロック、植生ブロック、親水護岸など、景観や生態系に配慮した工事を行っている。