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児島からの眺望は雄大である。

それはこの平野に繰り広げられてきた人々の営みの雄大さでもあろう。


しかし、古代から吉備に富をもたらせ続けてきたタタラも綿も塩も、すでにこの地の風景にはない。


儒学に裏づけられた経世・水土の思想も解体され、私たちの社会は、近代文明という児島よりもはるかに高い懸崖[けんがい]を築いてきた。

だが、その懸崖を支えてきた地盤そのものが、文明の持つある種の毒素によって腐食されれば、私たちの社会は文明もろともかつての瀬戸の穴海へ沈んでしまう。


この児島からの展望は、今日の環境問題、人間と自然の共生という難しい課題を幾重にも象徴している。

この地の行く末は、今後の私たちの社会、農業、工業、土地利用、その他諸々のあり方をしめす試金石ともなるであろう。


岡山の至宝 ――― 永忠と蕃山。

開発と環境の保全という相反する願いを、今、この2人ならどう示してくれるであろうか。

その解決は、この平野に住む私たちひとりひとりの手に委[ゆだね]られているのである。


さて、源平が戦った藤戸海峡は、今なお倉敷川として青い深みを残し、かすかながら海であった頃の昔を偲ばせてくれる。そして、同じ地で、私たちは別な闘いを迎えている。


そして、この児島の頂きに佇[たたず]むとき、眼下の大地を築き上げてきた偉大な歴史は教えてくれるであろう。

真の闘いはまだ終わっていない ―――この平野が、高い文明を支え得る健全な大地、たわわに実る緑の大地に変わるまで。

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