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国道1号線の上を流れる草津川

国道1号線を琵琶湖沿いに走ると、草津市あたりで小さなトンネルに差しかかる。上を走っているのは、道路ではなく草津川。JR線もこの草津川の下を通っている。

湖東の山々は花崗岩が多く、川から土砂が流出しやすい。土砂は川床を浅くし、川は氾濫する。両岸の堤防は徐々に高くせざるを得ない。かくして、この川は平地より数メートル高い所を流れるようになる。いわゆる天井川。湖東地方ではめずらしくもない風景である。

こうした川の下流では、水は地下に浸み込みやすく、表流水の利用は困難を極める。


この地方では、昔から伏流水を集める独特な灌漑法が工夫されている。

また、湖面近くの低湿地では、内湖からクリーク状に水を引き、それを龍骨車(または踏車)と呼ばれる水車で田に上げていた。

いずれにせよ、琵琶湖という日本一の水瓶を目の前にしながら、貧水地帯であり、淀川下流の平野と極端な対照をなしている。

150haという広いエリアを琵琶湖からポンプ(蒸気機関)で揚水したのは明治38年(1905)、奇しくも南郷洗堰が竣工した年である。

いや、奇しくもというより、むしろ洗堰の完成に合わせたのであろう。琵琶湖の水位が低下することは目に見えていた。

これを契機に電動機を動力とする揚水や地下水の汲み上げによる灌漑が急激に広まっていく(当然のことながら、発動機や燃料代等が必要になる)。

琵琶湖の水位のわずかな上下が、湖岸に暮らす人々の死活問題となるのである。

琵琶湖総合開発をめぐる調整で、最後まで論議の焦点となったのはこの水位をどうとるかという問題であった。

「逆水灌漑」というこの地域独特の言葉が定着するのは、昭和4年に始まった県営童子川沿岸農業水利事業からであろう(国による50%補助の適用を滋賀県で初めて受けた事業)。

これは、童子川河口近くで琵琶湖の水を揚水し、川を逆流させて遠く上流536haの水田を潤すという奇抜な灌漑方式であった。

さらに国営野洲川農業水利事業によって上流に大規模なダムが造られ、この地は、逆水、地下水、溜め池、河川水と様々な取水方式が混在する複雑かつ精緻な水利システムができあがっていくのである(下図参照)。


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野洲川下流域における灌漑システム 1980年(昭和55年)頃
※宗宮功編著『琵琶湖』(技報堂出版)より転載

琵琶湖、あるいは淀川流域という大きな水系にありながら、逆水灌漑は、その地域だけで水循環を完結させていることになる。いわば、水のリサイクルという発想である。


その発想を最も大胆かつ大規模に具現化したのが湖北農業水利事業。

琵琶湖北端、秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳古戦場近くに余呉湖という小さな天然の湖がある。

この南部に位置する約5,000haの水田は、取水を高時川他数本の河川に頼っていたが、水源流域も狭く、貧水地帯であった。


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余呉湖 航空写真
(左下に琵琶湖と補給揚水機場が見える)
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この事業は、ポンプによって琵琶湖の水を余呉湖に貯え、導水路で各河川に分配するというものである。 厳密なリサイクルではないが、下流である淀川の水量には何の影響も及ぼさないという地域循環型の水利用と言えるであろう。  この他、5,200haの受益地をかかえる日野川農業水利事業では、毎秒7.3m(最大)を揚水補給するという大規模なものであり、さらに愛知川農業水利事業では、ダムを主な水源として、上流の排水を再び逆水するという反復利用などを行なって約8,000haという広大な地域を潤している。  この琵琶湖におけるこうした大小の逆水灌漑を総計すると、推計であるが毎秒約80mを超えるという(琵琶湖総合開発では66.6mを前提)。 関東の大平野を潤す見沼代用水が毎秒37.5m、埼玉用水が34.0m。 実に、関東平野に匹敵する膨大な量の農業用水が、琵琶湖でリサイクルされているのである。


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