木下藤吉郎が大名として初めて領地をもらい、羽柴筑前守秀吉を名乗ったのは琵琶湖湖畔の長浜城であった。
織田信長もまた、琵琶湖を望む安土山に巨大な天守閣を築き、天下統一を図った。
明智光秀は坂本を拠点とし、石田三成も佐和山(彦根市)を領地とした。
日本史における近世の幕開けは、まさにこの琵琶湖湖畔から始まったと言っても過言ではなかろう。
近世とは、土地利用における近世をも意味するのではなかろうか。
それまで天与の地形にへばりつくように生きてきた社会が、土木技術という力を持って、社会に合わせた地形を造り始めた時期にほぼ一致する。
むろん“農”という富のためである。
さらに雑駁な物言いをすれば、近代とは“工”という富のためにも地形を変え始めた時代ということになろうか。
この場合、地形を変えるとは、すなわち水の流れを変えることと同意語である。
近世の幕開け、天才的武将が揃ってこの琵琶湖に居を構えたのは、けだし偶然でもなかろう。
水を治めるものが天下を治める。後世、史家の多くは、この群雄割拠[ぐんゆうかっきょ]した時代の特徴として治水をあげる。しかし、治水と利水は紙の裏表をなしている。言い換えれば、水を利するものが天下を利するのである。
貨幣は財を交換する経済的システムに過ぎないが、水は、優れて社会的な資源である。水の流れが富を変え、富の流れが社会を変えてきた。
とりわけ、この巨大な淡水の水瓶は、いかに時代が変われど、なにものにも替え難い国家的財産である。
それにしても、この淀川流域には初物が多い。初の水力発電、初の国営河川改修、初の国営干拓、初の大規模農業水利・・・、そして初の大規模逆水灌漑。今また、湖国・滋賀県では、全国に先駆けて様々な環境保護対策を実施している。常に、川と社会との関わりにおいて日本をリードしてきたことになる。
さて、古代から近年まで、わずか75kmの川を流れた歴史は、あまりに多く、あまりに重い。
ほとんどのことを書けないまま、終章まできた。
最後に蛇足ながら万感の意を込めて、書き添えておきたい。
確かに、川の流れが社会を変える。しかし、今日、どうであろう。
もはや、水の流れを争う時代でないことは誰の目にも明らかである。
もし、変えるとすれば、川の色ではなかろうか。
紫式部が描いたこの王朝色の河川は、その後、たびたび色を変えてきた。戦国絵巻では赤い血で染め、大雨が降るたび黒い濁流が田畑や町を襲った。そして、黄色い溶剤が流れた時代もあった。
私たちは、おそらく戦国期同様、後世の歴史家がターニング・ポイントと名付けるであろう時代に生きている。
──火(石油)と機械の時代から、水と生命[いのち]の世紀へ。
日本が誇るべきこの王朝の湖水。
願わくは、私たちの時代に、変えたいものである。
世界一澄みきった碧[あお]い流れに。