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01
鳴鹿大堰

鳴鹿堰堤完成後も、越前平野の農地は圃場[ほじょう]整備事業などによって、近代化されていきました。

そして、水田化の波はこれまで水の届かなかった坂井北部丘陵地にも及んできます。昭和47年から始まる国営坂井北部地区総合農地開発事業では、鳴鹿堰で取水した九頭竜川の水を、40数メートルも標高の高い丘陵地の上までポンプで運ぶというものです。灌漑面積は2,653ha。昔から見たら、これもまた夢のような話です。

しかし、さしもの威容を誇った鳴鹿堰堤も完成後40年が経過して老朽化が目立ってきました。また、戦後もたびたび平野を襲った洪水対策のため、もっと洪水流下能力を高めた新しい堰の建設が望まれるようになり、農林・建設の両省が協議の結果、建設省(現在は国土交通省)が河川改修の一環として鳴鹿大堰を建設することになりました。

新しい堰は、旧堰の下流160m、堤長311m、魚道なども含め6門の可動ゲートを設置した堂々たる大堰であり、平成12年に完成しました。


02
平野を流れる水路網
(十郷用水下流部)

さて、この平野には、もうひとつの大きな課題が残っていました。千年という長い歳月をかけて網の目のように築き上げてきた水路網。こちらも老朽化は避けられず、あちこちで水漏れが発生するようになりました。また、米の生産調整などにより水田の面積も減ってきました。さらに、都市化によって住宅地が拡大し、かつて一面の水田であったところにも住宅地が建ち並ぶなど、家庭の雑排水が農業用水に流れ込むようになり、水質の悪化が深刻化してきました。

昭和50年、芝原用水では「農業用水合理化事業」の達成という快挙を成し遂げています。これは農業側が水管理の合理化を図り、余剰水を都市用水に転用するというもので、全国でも非常に数少ない事例です。

03
水路に溜まるゴミ

先人たちが文字どおり血みどろになって守ってきた農業用水を都市のために使う。断腸の思いがあったはずですが、関係者の英断により福井市は毎秒約1トンという上水を得ることになったのです。

水路の再編、そして農業用水の合理化。言うは易く、行うは難し。それは鳴鹿堰の統合よりも難しいことかもしれません。

とりわけ水質の悪化など、農業者以外の一般の市民の方々の理解や協力が不可欠になってくるからです。




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