磐南平野の金字塔[Monumental Achievement of Bannan Plains]

【第四章】不滅の農聖・名倉太郎馬

彦島報徳社の結成


西島報徳社の報徳訓
出典:『磐田の記録写真
第二集 磐田の産業』

耕地整理の租・名倉太郎馬は「新池 彦島 松袋井 雨が三粒 降りゃ花筏」と唄われた赤貧地帯の出身。幕末は凶作が続き、あちこちで一揆、打ち壊しなどが発生、彦島村も借財が3000余円に達するなど貧困の極みにあったのです。
この三村は伊奈忠次による太田川・原野谷川の合流の犠牲になった地域とも言えそうです。三村とも両川に挟まれて合流する地点にあり、Vの字のように広がった上流地域の水が全部集ってきます。中央を流れる蟹田川は放流先である太田川より水位が低く、この地で大きく蛇行し、毎年のように氾濫を繰り返していました。村人はことごとく怠惰におちいり、働く気力すらなく借財を重ねるという有様でした。
しかし、成人した太郎馬は家財を建て直し、牛耕を試みたり、二宮尊徳の「報徳思想」を実践したりする篤農家に成長します。
明治3年、30歳の若さで百姓総代。村の救済のために派遣された遠江国報徳社などに指導を仰ぎ、同5年、自分と有志の耕地、米などを基本財産とする「彦島報徳社」を結成、社長に任ぜられます。
そして遠江国報徳社の指導者から教わった筋植えを生かすために、自分の水田約5反(0.5ha)の曲折した道路、畦畔(アゼ)を改良し、直線状の水田区画にしたのです。

全国初の耕地整理

この効果は絶大でした。直線化することによって耕作がしやすくなり、用水や排水がスムーズになる。除草作業がはかどる。風通しが良くなり病害虫の被害が減少、肥料の分解が進むため作物の成長が良くなる。肥料や収穫の運搬が楽になる。むろん収穫も向上。これを見た村人は驚き、翌6年から彦島村全域44町歩の耕地整理が始まります。
太郎馬は同時に蟹田川の改修に乗り出します。自ら測量し計画案をまとめ浜松県庁の許可を受けます。川幅を広げて掘り下げ、放流先を4キロ延長して太田川から原野谷川に付け替えるという工事を自らやり遂げたのです(明治8年)。これでこの地の水害は激減しました。
河川改修や道路改良といった公共工事と土地改良(農地の交換など地権者の調整を含む)を一体的に行った例は全国でも初めてでした。

飛びぬけた先進性

この頃はまだ刀を差した侍がいた時代です(廃刀令や武士の廃止は明治9年)。神風の乱や西南戦争で世の中は騒然としていました。さらに言えば、太郎馬が耕地整理を始めた年はまだ農民が年貢を納めていた頃です(地租改正は明治6年)。そうした中にあって太郎馬の、現代にも通用する近代的な合理精神には目を見張るものがあります。
ちなみに、石川県の耕地整理の祖と言われる高田久兵衛が始めて田区改正を行なったのは明治20年です。西洋の土地整理法が初めて我が国に紹介されたのが同21年。
太郎馬の手法は明治20年、富岡村(現磐田市)の鈴木浦八によって改良され、静岡式耕地整理として全国に広がってゆくのです。
そして、耕地整理法が制定されるのが同32年。その頃には彦島他五ヶ村が合併した田原村全域、285町歩という広大な農地の耕地整理に取り掛かっていたのです。(完了は同36年。図8下図参照)。

偉大なる業績


今も当時の耕地整理の面影が残る彦島の水田

太郎馬が行なった仕事は耕地整理だけにとどまりません。彼は百姓総代、村長、村会議員、勧業委員、社山疏水工事(後述)の議員などの要職につき、寝食を忘れるほど地域のために尽くしました。
まず二宮尊徳の報徳訓を広めて村人の生活改善を指導、貯蓄や副業(縄ないなど)の奨励、資金の貸付なども行い、児童の教育として彦島に分校を設置、自ら教師を務めています。
さらに各地の老農に指導を仰ぎ、筋植えや牛馬による深耕、堆肥作り、塩水による種もみの選別、短冊苗代など新しい農法を村人や近隣に広めました。また太郎馬は駿河、伊豆、甲府や千葉などで学び、先進地の養蚕事業(蚕による生糸の生産)を導入しています。
太郎馬のおかげで村の農業生産はようやく安定することになり、借財3000余円をすべて返済、なお800円の積立金を得ました。村人の生活は立ち直り、租税を滞納するものもいなくなりました。
後に旧河川敷の約1haを農地にしたり、1キロ以上におよぶ新規の堤防も築造したりしています。また同17年頃には世の中がたいへんな不景気であったことを、彦島の農民は誰も知らなかったといいます。

農業の近代化には2つの側面があります。土地改良(水路や耕地整理などのハード的整備)と営農(耕作法、品種改良、経営などのソフト的進展)。太郎馬は、日本の近代化に先駆けて、この両面を成し遂げたのです。袋井が生んだ偉大なる農聖と言うべきでしょう。
そして、この太郎馬の時代と平行して、磐南平野は巨大な土地改良のプロジェクトに挑戦しようとしていたのです。

*報徳社……江戸時代末期、二宮尊徳により設立された農民扶助を目的とする相互融資機関。農民の自立を目指す結社として、尊徳の死後も各地に設立された。

※ページ上部イメージ写真 : 右写真:名倉太郎馬


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