常願寺川  農人の記憶  ― 山をも流した河[Jyouganji-River  Memory of the Farmers]

【第一章】霊山・立山

大伴家持の見たもの

立山に  降り置ける雪を常夏に 見れども飽かぬ 神ながらならし
歌聖・大伴家持は万葉集の編者として名高い。しかし彼は中納言まで勤めた役人であり、国司として5年間を越中の治政にあたっている。在任中、越中、能登の各地を視察し、歌人らしく各地の川を歌に詠んでいるが、奇妙なことに常願寺川の名はどこにも出てこない。
常願寺川の名が記録として登場するのは鎌倉時代。それまでは新川と呼ばれていたようである。新川とはこの地方の万葉時代から今に残る郡名である。しかし、家持の歌には、その新川すら川の名としては見当たらない。

にわかには信じがたいことであるが、その当時、今の常願寺川は存在しなかったらしい。新川の名が示すように、新しく川が形成される途中であり、熊野川へ流れていたり、雨のたびに流路を変えて幾筋もの派流をつくったりしていたという。
常願寺川は「若い川」であるという言い方もある。川が若いとは、すなわち流域の地形が変動しやすく、流路、川床がいまだ定まっていないことを意味する。現在この川の上流は日本屈指の砂防地帯として土砂の流出を止めてはいるが、依然、山中に2億トンの崩れた土砂を残したままである。この川が安定するには、あと数千年を要するのであろう。
その原因は、言うまでもなく水源地の立山連峰にある。とりわけ、常願寺川の水源地は立山カルデラという大昔の火山噴火によってできたすり鉢状の巨大な陥没地。安政5年の「山抜け」はこのカルデラの外輪山をなしていた大鳶山と小鳶山が山ごと抜け落ちたわけである。

立山地獄

富山といえば立山連峰。冬の晴れた日、都市のビル群のはるか上空3,000メートルに峻厳と浮かび上がる白い連山のパノラマは幻想的なまでに美しい。
日本の三大霊山のひとつでもある立山は、いわゆる立山信仰として古来全国より多くの信者を集め、現在もまた日本有数の山岳景観を誇るアルペンルートとして北陸屈指の観光地となっている。

しかし、この山は平安時代の中頃から地獄信仰と結びつき、日本中の亡霊が集まる地とされた。

越中立山開山縁起大曼陀羅 [江戸時代]
写真提供:富山県立図書館

今昔物語、本朝法華験記などにもたびたび登場し、「日本国の人罪をつくりて多くこの立山の地獄に墜つと云へり」などと記されている。さらに立山を舞台とした謡曲などによって京の僧侶や貴族の間で地獄の地として広く認識されていた。
山中にあるイオウの塔や熱湯の沸き出る池などが地獄を連想させたのであろうか。しかしながら、こうした風景は、火山の集中する日本では珍しくない。なぜ立山が地獄の地とされたのか。

列島大地の軋み

褶曲が顕著に見られる立山連峰ソーメン滝
写真提供:立山町 産業観光課

立山連峰は、富山湾からわずか30数キロしか隔てていないにもかかわらず、3,000メートル級の山稜が鋸の歯のように聳え立つ大山塊である。さらに富山湾は深さ1200メートルに達する深海であり、立山から深海部まで高低差4,000メートルという急斜面を形成していることになる。いかに日本の国土が急峻だとはいえ、これ程の地形は他にない。立山の隣には、黒部川の深い谷間を挟んで白馬岳から槍ヶ岳、穂高岳と続く北アルプス。日本の屋台骨とも言われる山岳地帯である。
こうした地形は日本という国土の成り立ちと深く関係しているようである。
近年のプレートテクトニクス理論によると、日本列島は4つのプレートがぶつかり合うところに形成されており、東日本と西日本は別な大陸プレートに乗っているらしい(その境目が糸魚川‐静岡構造線)。それらのプレートの複雑な動きによって大陸から離れていく過程で東日本と西日本では逆回りの力が働いて「く」の字型に折れ曲がった。その2つの大陸系プレートが衝突し地殻が激しく隆起したところが立山連峰。さらに、潜りこんだ海洋プレートの上ではマグマ溜りができ、火山帯が形成されるという。
立山山中には落差日本一の称名滝(350メートル)、雪解け時に現われるハンノキ滝(落差500メートル)、あるいは高さ500メートルの絶壁が2キロにわたって続く「悪城の壁」など、巨大な断層や大地の褶曲を示す場所が多く見られる。日本で最も激しい地殻変動の起こった場所とも言えよう。いわばこの山脈は動くべからざる列島大地の軋みが炸裂した場所であり、加えてマグマという地球の燃焼エネルギーが噴出したところであった。
古代の人々は立山に登るたび、その山々の神々しい美しさの中に乱気とも妖気とも区別のつかぬ地殻のエネルギーを感じ取り、身体中の粘膜が凍りつくような実感を伴って、だれかれともなくその地を霊界に通じる山として喧伝したのではなかろうか。
ともかくも神代の昔ではなく、家持が歌集を編むほどの文化的国家ができてはるか後に、立山地獄から発し、落差2,000メートルの斜面を荒々しく駆け落ちてくる羅刹天のごとき川がひとつ誕生したことになる。
  • *浸食により拡大した浸食カルデラであるという学説もある。
  • ※ページ上部イメージ写真 : 絵図:越中立山開山縁起大曼陀羅 [江戸時代] 写真提供:富山県立図書館

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