湖北の祈りと農 [Prayer and agriculture  of Kohoku]

【第八章】湖北の祈りと農

木之本町杉野中のおこない(写真提供:長浜市長浜城歴史博物館)


この土地では1月から3月にかけて「おこないさん」と呼ばれる神事が集落ごとに行なわれる。湖北の「おこない」は民俗学の論文にも多く取り上げられているが、奈良・東大寺の「お水取り」と起源が同じらしく、仏教行事の意味合いが薄れた今も、集落の人によって綿々と受け継がれ、雪深い村の年頭行事として、五穀豊穣を祈る祭りとなっていった。

「お水取り」とは言わずと知れた東大寺二月堂の行事。3月某日、堂の傍にある「若狭井」の香水を本尊(十一面観音)に捧げる儀式である。752年から今日まで、1度も絶えることなく続けられてきた。
その「お水取り」の10日前に若狭・小浜市の神宮寺一帯では「お水送り」という行事が行われる。伝説では若狭の水を10日かけて奈良に届けるという。

このことについて白洲正子が『十一面観音巡礼』でこう述べている。「十一面観音のお堂を造った時、優秀な土木の技術者を若狭から招いて、井戸を掘らせたのではなかろうか」。
そして、この井戸は「東山の山麓には、つい最近まで田圃があり、用水として不可欠のものであった。(中略)その泉が山崩れか、旱魃で涸れたのを、若狭の人々(おそらくは帰化人)が改築し、再びいい水が出るようになった」と、若狭から奈良に至る灌漑技術の伝播を示唆している。

我が子同様に体温で温めるようにして守ってきた多くの観音像。「ただ愛情深く奉仕し、敬愛の心をもって守っているとしか思われない」と井上靖を驚かせた観音信仰は、この地の水への想いと深く重なってくる。

菩薩は、平安時代から静かにこの地を見守ってきたに違いない。豪族が跋扈した時代、貴族が雅を競った時代。田を血で染めた多くの戦さも黙して見つめ、いわれなく争う農民たちの哀しい姿も見てきた。そして、時代が過ぎ行く。衣服や生活が変わり、車や新幹線が走る。あらゆるものが姿を変えながら流れてゆく歴史をただ黙って見つめてきた。

しかし、寺社と田んぼだけは、平安の昔からほとんどその姿を変えず今もある。祈りと農。こうしたことは、なにかとてつもなく大きなことを示唆しているのではなかろうか。

十一面観音の起源は、天候や雨水を支配し、一旦怒れば生き物や草木をも滅ぼす十一荒神だという。その十一荒神が「血の中を流れるもろもろの悪を滅して、菩薩の位に至った」らしい。どこかこの平野の水利をめぐる歴史と恐ろしいほど重なってきはしまいか。
昭和62年、旧国営事業が完成し、真新しい水路を流れてくる豊かな水を見て、ある老人は手を合わせ、涙をためながら言ったという。「観音様が願いをきいてくれはった」。

事実云々よりも、その解釈は疑いようもなく正しかろう。
またそういう敬虔な心のありようこそが、紛れもなく十一面観音の里・湖北の風土であるに違いない。

  • ※ページ上部イメージ写真 : かつての湖北平野(昭和46年8月)内藤又一郎写真集『消えたハンノキの里-懐かしの田んぼの風景-』平成13年10月20日より
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