明治という名の壮挙 ― 疏通千里・利澤萬世 命を育む明治用水 [Meiji-Yousui  Rural Resources for Future Generations]

【第六章】水を使う者は自ら水をつくれ

水源かん養林

台地という立地条件での苦渋をいやというほど味わった歴史的経緯からであろうか、明治用水土地改良区の水への想いは深い。
早くから治山と治水は一体であるという考えに立ち、用水完成後、間もない明治22年には、すでに矢作川流域の官林840haの払い下げに反対し、これを中止させている。
明治39年には、用水管理組合によって森林経営が議決され、候補地を物色。明治41年に、水源かん養林として上流の山への造林事業を始めている。決して経済的に余裕があったわけではない。しかし、上流の山林こそが、明治用水にとっての生命線、その想いは強く、現在では長野県を中心に合計、約525haもの水源かん養林を所有し、管理を行っている。
平成20年度からは、水源地と農業の関わりについて啓発する農業用水水源地域保全対策事業を実施し、森林整備の大切さや森林が果たす役割など、小学生を中心とした流域住民への啓発活動を展開している。

流域はひとつ運命共同体

(上)矢水協による愛知県庁への陳情(昭和46年)
(下)工場排水の独自調査。
水質汚染の状況がよく分かる(昭和49年)

流域単位での水資源確保の取り組みはそれだけではない。都市化と水質汚染が顕在化してきた昭和四十年代には、土地改良区自ら水質分析室を設置し、工場・事業所の水質監視とデータの収集に努めている。これらの資料を基に関係官庁に陳情を重ね、昭和45年からの用排水分離事業は実現に至った。
水質管理は、明治用水地域にとどまらない。昭和44年には矢作川の水を使っている農業団体、漁業団体、水道管理者に呼びかけ、19団体が結束した「矢作川沿岸水質保全対策協議会(矢水協)」を発足させた。昭和46年に水質汚濁防止法が施行されると、汚濁源である工場、事業所に対し調査、パトロールを精力的に行い、昭和47年には、同法違反による全国で初めての摘発が行われた。世論へのアピールの成果もあり、矢作川水域の浄化は目に見えて成果をおさめた。
また、「流域はひとつ運命共同体」を合言葉に、最上流の山村の子どもたちを潮干狩りに招いたり、三河湾で捕れた新鮮なイワシを上流山村に直送して朝市を行ったりと、上下流の住民の交流も盛んに行われている。
こうした矢作川における民間主導の水質保全の活動は、広く知られることとなり「矢作川方式」と呼ばれている。現在では、矢水協の加入団体も流域40団体となり、流域全体が協力して矢作川の清流を守っている。
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