那賀川平野「農」の礎 Nakagawa Plains - Foundation of Agriculture

【第二章】国内無双の暴れ川

怒涛のような豪雨とおびただしい土砂の激流。これが怒り狂ったときの那賀川の姿である。

昭和16年の台風15号による桑野川の氾濫。
阿南市新町橋付近は一面が冠水状態となった。
(写真提供:阿南市)

まずは、この川の凄まじさを知っておくべきであろう。
豊臣時代、蜂須賀家政が阿波に入国した頃の阿波は「『南海治乱記』によると、天正6年(1578)以来、兵乱・凶事・地震・洪水等の災害が打ち続き、この世の終わりかと思うほどであったと伝えられている」(『阿南市史』より)。

江戸260年間を通して、この平野が風水害に襲われた年は100回。
加えて、干ばつの被害が23回、病害虫の被害が13回、飢饉12回。ほぼ一年おきの災害である。
天明6年(1786)、未曾有の大水害。
慶応2年(1866)、絵馬に描かれ、「寅(寅年)の水」と呼ばれた大洪水。
明治25年(1892)、高磯山の大崩壊(土石流)による「赤水土」。
そして、近代的堤防が整備された昭和になってからも数年おきに平野は濁流に溢れている。

昭和28年、当時の那賀川町中島で、台風による大水が出たときの様子。
水田も道路も完全に冠水している。(写真提供:徳島県立文書館)

この惨状は、ひとえに那賀川上流部の気象と地形に由来する。

上流部、剣山周辺は天下の豪雨地帯。木頭村(現那賀町)の日早では、昭和51年9月、一日の雨量1,114mmを記録。これが長い間日本の最高記録であった。
そして、平成16年8月、この記録は同じ木頭村の海川で更新される。実に1日に1,317mmの雨が降った。ちなみに、高松市の年間平均降雨量は1,149mm。よその地の1年分を超す雨が1日で降ったことになる。

さらに降らない日が何日も続く。川はやせ細り、下流平野は干上がる。
文政4年(1821)、83日間も続いたという大干ばつ。
安政2年(1855)、6月から7月にかけ2か月に及んだ干ばつ。

全国の主要河川の最大流量と最小流量の比率
(出典:『悠久の那賀川』国土交通省四国地方整備局
那賀川河川事務所)

那賀川は、最大流量と最小流量の差が極端に激しい(表参照)。
加えて、那賀川上流部は「秩父帯」という非常に崩れやすい地質であり、高磯山の大崩壊が示すように土砂の流出が激しい。過去、いたるところで土石流が発生している。

怒涛のような豪雨とおびただしい土砂の激流。これが怒り狂ったときの那賀川の姿である。

平島、柳島、出島、色ヶ島、手島、中島など、この平野には島のつく地名が多い。上流の激しい雨とともに流れてくる大量の土砂が、当時は海とも川とも判別のつかぬ平野に堆積していったのである。

那賀川下流域で起こった主な風水害や干ばつ(近世~戦前)
(出典:『中野島村村史』中野島村村誌編纂委員会)

昭和9年の室戸台風による那賀川の大水。
那賀川橋の橋脚が見えなくなるほど水位が上がっている。
(写真提供:徳島県立文書館)


※ページ上部イメージ写真 : 那賀川町中島 台風による大水(昭和28年) 提供:徳島県立文書館


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