天界集落の煌き[History of Takase]

【第五章】仁淀川山村文化の光彩


四国の山村に多い安徳天皇や平家の落人伝説は貴種流離譚の一種であるとする識者もいる。近江の木地師は惟喬親王を祖とし、大和では護良親王、信濃では宗良親王と山岳系の民はそれぞれの地域ごとに高貴なる祖を奉り、その血筋を誇りとして生きてきたと。
大川村の筒井家や真田家をはじめとする各地の有名武将の末裔伝承も、山の民の矜持として、あるいはこの「貴種流離譚」的心理がもたらしたものかもしれない。日本茶の起源を空海や最澄らの高僧に求めるのも、こうした心理とは無縁ではなかろう。
しかし、伝統や文化とは、歴史上の事実云々ではあるまい。
精神生活にかかわる人間の知力、知性、感性、品性、誇りといったものによって作り上げられ、地域や人々の間で伝えられ、時代という激しい風雨にも色褪せず、練り上げられ、昇華され、結晶体となった様式、もしくは社会的規範といったものではなかろうか。
以下、代表的なものだけ簡単に紹介する。

神社

長州大工の傑作 河嶋山神社
(仁淀川町百川内)

驚くべきことに、この地域はどんな小さな集落も上の写真のような重厚な神社を持っている。各神社は、小ぶりではあるが国宝級の寺社に匹敵する精巧な意匠がほどこされ、森の中で苔むしながらも峻厳とした気品を放っている。
この地区の神社はすべて長州大工の手によるものという。長州大工とは周防大島出身の大工のことで、江戸末期から大正にかけて各地を渡り歩き、数多くの神社仏閣を建てた宮大工である。特に四国が多く、長州大工の作品は高知県約120、愛媛県約20と言われている。特に彫り物が得意らしく、仁淀川町にある神社には数多くの見事なレリーフを見ることができる。中には仁淀川町長者の日吉神社のように「明治の左甚五郎」と謳われた門井宗吉・友助兄弟の作もある。

それにしても、わずか数十戸の村でこれほどの文化財を維持してきたことには驚嘆せざるを得ない。

祭り

秋葉まつり
平家の落武者佐藤清岩が遠州秋葉山から勧請したという秋葉神社。土佐三大祭に数えられる秋葉祭は、当時の衣装を身にまとった総勢約200人が仁淀川町別枝集落内を練り歩き、2万人の人出で賑わう(毎年2月11日)。

花鳥踊り
戦国時代、敵を油断させるために舞ったという勇壮な武者踊り。

平家の落武者であった佐藤清岩が遠州秋葉山から勧請したという秋葉神社。この神社で行われる秋葉まつりは、ホラ貝を響かせて集まってきた村人総勢約200人が当時の衣装を身にまとい、中太刀、小太刀を携えて岩屋神社、市川家、法泉寺、中越家などを経て秋葉神社へ練り歩く豪壮な祭りであり、土佐三大祭りに数えられている。
また、仁淀川町大植にある川又神社では花鳥踊りが不定期ながら行なわれている。戦国時代、須崎新荘の城を一条氏が攻めたが容易に落城せず、そこで花鳥踊りを踊って油断させ一気に攻めたという由来を持つ。大太刀は長い鳥毛を、小太刀は烏帽子をかぶる。太鼓、ホラ貝等により真刀をもって円陣で踊る勇壮な武者踊りである。
祭りではないが、仁淀川町津江の片岡家に伝わる「長宗我部陣太鼓」なども重要な文化財と言えよう。片岡氏は武田勝頼の家臣らが落ち延びたという旧吾川村大崎の領主であり、同家には長宗我部氏に由来する多くの遺品が残っている。

神楽

名野川磐門神楽
平家の伝承と言われる神楽舞。
「白開の舞」など特異な演目。

池川神楽
出雲からの由緒を持つ。剣舞は秀逸。
土佐三大神楽のひとつ。

安居神楽
南北朝で京を落ち延びた神主の子孫が伝えた。
演目は16と多彩な舞。

正確な資料ではないが、高知県の神楽の多さは全国一かも知れない。「土佐の神楽」として、県境近くの奥深い村々に点在する旧八村の神楽が国の無形文化財に指定されている。
仁淀川町には名野川磐門神楽、池川神楽、安居神楽があり、由来はそれぞれ異なるが、いずれも戦国期や江戸時代から継承されてきた。演目は13~16を数え、数時間にわたって演じられる。今でこそ観光客も少なくはないが、地元民だけを相手に400年も続けてきた事実は、この地の文化に対する熱度の高さを示していると言えよう。

棚田

長者の棚田(仁淀川町)

仁淀川町の棚田景観は、マチュピチュの遺跡を凌駕するものであろう。下の写真は長者地区だが、この石垣棚田の中にかつては映画館やパチンコ店が並ぶ繁華街があった。棚田博士こと中島元早稲田大学教授は、「他に類を見ない見事な景観」として、同氏著『日本の棚田』のカバーグラビアを飾っている。また、文化財担当の学芸員も「高知城の石垣よりも価値がある」と評したという。造ったのは集落の農民である。彼ら一人ひとりが川や山から石を運び、何百年とかけて造り上げてきた生きるための資産。この棚田が何万人という人の命を養ってきた。
城やピラミッドとは次元の異なる先人の遺産でもある。
コンクリートの寿命は100年もないが、こうした石垣は何百年の風雨に耐えて、歳月のみが醸し出す抒情美にあふれている。人間の技術の奥深さを思わずにはいられない。

炭焼き

土佐の山々は明治までほとんど原生林で覆われており、炭焼きは昔からの重要な仕事であった。太平洋戦争が勃発すると木炭は急激に需要を伸ばし、山林の多い土佐は燃料王国として西日本一の木炭生産を誇るようになる。当時はトラックやバスさえも木炭ガスで走る時代。木炭は「黒いダイヤ」とも呼ばれ、土佐の山村最大の産業に成長するが、やがてプロパンガスに押され、衰退していく。

焼畑

焼畑は切畑(あるいは切替畑)とも呼ばれ、江戸時代も年貢の対象から外されていた。多くは自給のための農地であった。作物は多彩である。アワ、ヒエ、キビ、野菜、サツマイモ、大豆、小豆、蕎麦、コンニャク、茶、煙草……、そして、換金作物として紙幣の原料である楮、三椏。この山村がいかなる大飢饉でも生き延びられたのは、こうした多彩な作物を栽培する技術を持っていたからであろう。

茶堂

茶堂
土佐は茶どころ。各集落にはこうした茶堂があり、道往く人に茶をふるまう習慣が残っている。

土佐の山村であちこちに見かける茶堂。お盆近くになると村人が交代でこの茶堂に詰め、通りがかりの人を茶や漬物などでもてなす。「おせったい」とも呼ばれる古い慣習らしく、長宗我部検地帳には83ヶ所の茶堂が記されている。茶堂や茶屋には境界越えといった古い信仰があり、堂の中には弘法大師や地蔵仏などが安置されている。先祖の供養や旅人との情報交換を目的とした素朴かつ合理的な慣習である。

娯楽

その他、仁淀川町には、「鍬初め」「山の口あけ」「七草雑炊」「かいつり」「栗棒」「金剛草履」「作試し」「初午」「虫送り」「七夕」「盂蘭盆」「重陽の節句」「日待祭」「水神祭」等々といった農事とも娯楽とも区別のつかない風習が月に1、2度ある。また、仁淀川町には農耕馬を使って行われる競馬場が2ヶ所にあり、特に星が窪競馬場は出場馬100頭と草競馬では西日本一の規模を誇っていた。

七夕
長者集落の長者川を天の川に見立てた七夕。この地方独特の風習。柳田國男もその大きさに驚いたという。
出典:『写真が語る仁淀村』(発行 高知県仁淀村)

谷山の火回し
毎年お盆に行われている火回しの行事。先祖の霊が帰ってくる目印に松明を回すという。

草競馬場
仁淀川町には山の尾根に松尾、星が窪と2つの競馬場があった。数万の人出で賑わったという。
出典:『写真が語る仁淀村』(発行 高知県仁淀村)


※ページ上部イメージ写真 : 秋葉まつり

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