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1.はじめに(概括)
2.地域の概況
3.国営事業の概要
4.営農の基本構想と推進体制
5.土地改良施設の管理と処分
6.最後に

icon 1.はじめに(概括)



 国営農地開発事業豊北地区(以下、本地区という。)は、本州の西端、山口県豊浦郡豊北町(現在は下関市豊北町。以下、豊北町という。)に位置し、中国山地の支脈が丘陵性の小規模連山を形成し、西は響灘、北は日本海に面する農山村地域である。
 豊北町の農業は、農林水産業のいわゆる第1次産業が主体で、なかでも農業はその就業人口で全体の36%、生産額で19%を占めており、町の重要な産業である。しかしながらその経営を見ると、水稲を基幹とし、畜産と果樹(温州みかん、梨)等を組み合わせた複合経営が主流をなしているものの、戸当たり経営規模は0.9haと零細。そのため農家所得は、約5割を農業以外からの収入に依存している。  (注)前述の統計値は国営事業地区調査時の数値。
 このような情勢のなか、農地造成と幹支線用水路等の整備により農業所得の増大と自立経営農家の育成等を図り、地域農業の発展に寄与することを目的に、昭和53年に国営豊北開拓建設事業(以下、本事業という。)が着手された。
 事業着手後、社会情勢並びに農業情勢の著しい変化に伴い、当初計画の縮小(受益地及び営農計画の見直し、畑地かんがい計画の再検討等)を余儀なくされ、平成5年に計画変更を行い、平成6年3月に本事業は完工した。
 ここでは、当時の国営事業の計画概要について紹介するとともに、大きく見直した水源計画について触れてみたい。


icon 2.地域の概況



(1)地形
 豊北町の地形は、中世代白亜紀の堆積岩類・火山岩類及び第三紀の堆積岩類よりなる丘陵地・山地と、狭い範囲で点々と分布する更新統の台地・段丘群、さらに二級河川粟野川及びその交流である滑川等の形成した沖積低地等より成っている。
 標高は、200m以下の小起伏面を持つ丘陵地・山地が大部分を占め、崖錐性の堆積物(角礫~亜角礫)が分布している。また、台地・段丘群では玄武岩が分布、沖積低地等では砂・砂礫等が分布している。

(2)道路状況
 響灘沿いに国道191号線が南北に走り、それぞれ長門市及び下関市に通じている。また、豊北町を東西に縦断する国道435号線が豊浦郡豊田町(現在は下関市豊田町)及び美祢市に通じており、地区付近には県道が4路線通過している。この国道及び県道が本地域の主要路線網を形成し、さらにこれを軸として町道等が配置されている。

(3)気象
 山口県の地勢をみると、三方に海をめぐらす半島状をなし、また、南北をさえぎる分水山地が比較的低いため、気温や降水量は、ほぼ地形の等高線に似た分布を示している。したがって、本州の他の地方と違って、日本海側と瀬戸内海の気候差が少なく、概して温和な気候を呈している。地方気象台の資料(1941~1970)によれば、本地域の年平均気温は15℃前後と比較的温暖で積雪は少なく、年間降水量は1,930㎜程度である。

(4)地域農業
(a)土地利用
 豊北町の全体面積のうち、耕地は約14%で山林・原野その他が約85%を占める。

100

(b)産業別就業者数の推移
 豊北町の就業者総数は年々減少し、1次産業である農業も同じ傾向にある。一方、2次・3次産業は増加が見受けられる。


(単位:人)
200

(c)農作物作付面積の推移
 米や野菜は現状維持、果樹及び飼料作物は増加が見受けられる。

(単位:ha)
300

icon 3.国営事業の概要



(1)事業の経緯
 当時の山口県政は、“花と緑と太陽”を旗標に掲げているように、県の大部分が中国山地末端の丘陵性山地で耕地に適した平野が少ないこともあり、棚田・段畑をつくり、干拓を進め、防長米や大島みかんに代表される農業県に発展させてきたが、すでに既耕地の利用は限界にきていると云える。豊北町においても、町全体の面積16,919haのうち農用地は僅かに1,993haと11.8%に過ぎない。生産基盤や生活の基盤として利用されている優良な土地は極めて少なく、かつ、僅かな平地も中小河川の流域に散在し、中心となる平野がなく、山間棚田や段畑が多いのが本町の特色である。
 昭和30年、地域の発展を期して町村合併が実現し、当時県下きっての雄町として豊北町が誕生し、新町の発展施策として、一貫した農林水産業の振興に努めてきた。昭和36年に農業基本法が制定され、新しい農業への作目転換が示唆され、本町では温州みかんの新植等農業構造改善対策となる事業を積極的に導入し取り組んできた。土地基盤の悪い条件のもと、水稲を中心に農業を推進し、海岸部に水稲+温州みかん、山間部に水稲+畜産(肉用牛、酪農)を勧め、合わせて近代化事業の導入と経営規模の拡大による農業所得の増大を図ってきた。
 しかし、昭和40年代後半には早くも温州みかんは生産過剰ぎみ、次いで新植抑制、昭和45年から実施された水田の減反は、米価の据え置きと相俟って農業情勢の先行きが不安視される中で、土地基盤の悪い零細農家は農業の将来に不安を感じ、農外所得を求めて兼業化に拍車をかける結果となった。
 このような情勢下にあって、中国四国農政局は昭和45年度新規調査地区として、山口県西北部の豊浦郡豊浦町(現在は下関市豊浦町)、豊北町、大津郡油谷町(現在は長門市油谷。以下、油谷町という。)及び大津郡日置町(現在は長門市日置。以下、日置町という。)を対象とした約2,000haの大規模な農地開発構想を検討しつつあった。この構想について山口県当局と協議に入り、両者で関係町と幾度かの折衝の結果、油谷町・日置町はそれぞれ既耕地の整備を主にした県営かんがい排水事業として単独事業を希望したことから、豊北町に限定した農地開発計画に縮小されることとなった。
 順次、豊北町内の各集落別に関係者と具体の協議を進めたが、農家の不安は大きく容易に関係者の了解を得るに至らなかった。しかし、度重なる会合を経て、“過疎化と高齢化の進む本町の活性化の方途は、耕地の拡大と優良農用地の確保が不可欠である”との意見が賛同を呼び、関係者の同意をうる段階まで漕ぎ着けることができた。
 その後、事業化に向けて開発地域の範囲設定の作業に入ったが、本町の地形・地質が複雑であることから最大400haが限度と見込まれた。なお、昭和36年に創設された国営開拓パイロット事業が造成面積500ha以上となっていることから、国営開拓事業の採択基準を400haまで下げることの陳情と本地区の新規調査地区採択に向けた運動を、地元選出の諸先生の協力を得て展開することとなった。
 その結果、昭和47年に国営農地開発新規調査地区として採択され、昭和51年に全体実施設計の策定、昭和53年2月に土地改良法第85条に基づく申請~同年7月に同法第87条に基づく計画確定を行い、昭和53年度より事業着工の運びとなった。

(2)事業計画の要旨
 昭和53年度に本事業がスタートした以降、社会情勢並びに農業情勢の著しい変化に起  因して当初計画の変更を行う必要が生じた。具体には、農地造成工法の変更をはじめ、複雑な地形・錯綜した地質と土壌による防災施設の工法変更、支線道路のアスファルト舗装等の変更は、事業費の上昇に伴う地元負担金の増加となり、かつ畑作営農の変化により、農地造成予定地の脱落や新規地域の取り込みなど造成面積の変更となった。よって、畑地かんがい計画は段階的に整備することとし、基本的には飲雑用水に変更し、これらに係る主要工事計画の見直しと事業費の改定を行うこととした。
 昭和61年より計画変更に係る一連の作業を進め、土地改良法に基づく所要の手続きを経て、平成5年2月に変更計画を確定した。

・造成工(改良山成工)

・整備された道路

(a)事業計画の対比
400

<備考欄の凡例>
① 農地の営農系態変更の希望による。団地の脱落や新規追加による。
② 農地造成工法の変更。
③ 町道計画との調整により一部ルート変更。アスファルト舗装の追加。
④ 農業情勢の変化や負担金の負担能力等を勘案し、かんがい施設は飲雑用水施設に変更。
(参考)造成工の勾配基準は、山成工8度以上、改良山成工8度、テラス工5度。

(b)改良山成畑(変更計画)
500

(c)防災施設(変更計画)
600

(d)水源計画の変更
 ①畑地かんがい事業を取り巻く情勢
 昭和60年代に入って用水計画を検討する際、畑地かんがい事業を取り巻く情勢が大きく変化していたことから、本地区の水源計画を見直す必要が生じた。
 取り巻く情勢の経過及び本地区の検討概要については、以下のとおり。

700

 ②さく井による地下水依存
 本地区の営農実態を踏まえつつ最小限必要な営農用水を検討し、水源を地下水案、河川水案、既設ため池の嵩上げ案の組合せにより比較検討し、最終的に地下水案に決定した。
 なお、本地区の地質・水理状況等を踏まえた水源計画の検討概要は、下表のとおり。

施設計画:団地別にさく井→揚水ポンプ→貯水槽→末端圃場への配水 
揚 水 量:1水源(井戸)当たり30ℓ/min、40t/日を目標
用水区分:防除、飲雑+播種又は施肥

800


icon 4.営農の基本構想と推進体制



(1)営農の基本構想
山口県西北部の中核的な農業振興を目的とする本事業が始まって以来、山口県豊田農業改良普及所(現在は、山口県下関農林事務所農業部)では、豊北町、豊北町農協(現在は、山口県農業協同組合)等の関係機関との緊密な連携のもと、開発地の営農推進、農業振興に取り組んできた。
 営農の基本構想は、丘陵型山地の開発により新たな優良農地を得て、梨、ぶどう、晩柑、無臭にんにく、たばこ、野菜、飼料作物等を導入し、経営規模の拡大と大規模畑作営農への取り組みを進め、地域の農業生産構造を改善し、地域全体の農業生産と所得の増大を図り、豊かな農村社会を建設することを目的とした。
 このため、「開発農地における基幹作物による専門経営」及び「開発畑地と背後地の稲作との複合経営」など、経営規模の大きい専業農家を育成するとともに、基幹作物による生産団地化を図り、市場の需要動向に対応できる大型生産団地の形成を推進することとした。
 その経営は、大規模な個別経営体や組織経営体としての農業生産法人が主体となって行うこととし、施設や大型機械の導入は作業・労働力の省力・合理化を、さらに、その共同利用は経営の低コスト化を進め、望ましい経営体像のモデル的育成・展開を図ることとした。
 また、本事業による各団地の造成工事の実施に当たっては、対象となる作目により使用する機械器具を異にするため、圃場の区画形状、造成勾配、深耕程度、地下水排除、石礫除去の範囲など、営農関係者や関係土地改良区との密接な調整を行うこととした。

(2)営農推進体制
 〇重点営農指導方針
 本地区の実態と参加農家の意向に即した効果的な土地利用によって、産地間競争や消費者ニーズに対応できる産地の形成を促進し、生産性の高い開発地営農の早期安定と地域農業の活性化を図るための指導等。
 〇営農定着化推進
 土づくり、作目選定、輪作体系など営農や生産性面での技術確立が遅れており、開発農地での大規模経営の早期実現を図るため、生産技術実証を兼ねた技術展示、試作圃を設置し、技術確立を図るとともに、入植農家及び周辺農家の研修等を実施し、地域の特性を活かした開発地営農の定着化を図る。

900

(3)現在の営農状況
山口県営農部局及び地元関係機関等との綿密な連携と営農推進に係る恒常的な取り組み等により、地域の特色を生かした営農が展開されている。





icon 5.土地改良施設の管理と処分



(1)農地
各団地において造成工事が完了すると、直ちに造成農地の一時利用指定を行い、入植者等による初期営農の開始、農地の有効活用を図ることとした。また、国営事業完了前の最終的な換地処分により造成農地が入植者等の所有地となり、個々の受益者に適正な維持管理を委ねることとした。

(2)土地改良施設
 本事業により造成された土地改良施設は、幹線道路(全幅6m-有幅5m)、支線道路(A)(全幅4m-有幅3m)、支線道路(B)(全幅3m-有幅2.5m)、飲雑用水施設等である。
 アスファルト舗装された幹線道路及び支線道路(A)については、道路法第8条による認定された道路となり、同法第90条により豊北町に譲与することとした。また、支線道路(B)及び飲雑用水施設等については、管理使用契約を締結して豊北町の土地改良区に譲与し、適正な維持管理を行って貰うこととした。

icon 6.最後に



 本地域の長年の悲願であった本事業は、事業所開設以来16年の歳月と146億円余の事業費をもって平成6年3月に完成した。
 それから約25年が経過した現在、農業を取り巻く情勢は依然厳しいものがあるが、引き続き、地元関係者により造成施設等が有効活用され、足腰の強い農業経営と地域農業の持続的発展がなされることを心より祈念する。

【引用文献等】
・豊北開拓建設事業誌 / 平成6年3月 中国四国農政局豊北開拓建設事業所
・写真-1~10 / 山口県農林水産部農村整備課保有

【参考添付】
・国営農地開発事業豊北地区 一般計画平面図

(参考添付)

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