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1.讃岐地方の概況
2.讃岐平野の水の歴史
3.地域の農業
4.事業に至る経緯と沿革
5.事業概要
6.事業の特徴
7.事業実施の効果

1. 讃岐地方の概況


 
 香川県は瀬戸内海に面した四国の北東部に位置し、小豆島をはじめとする瀬戸内海の諸島を含め総土地面積が1,87km2と日本一小さな県である。瀬戸内気候に属し温暖な気候で暮らしやすさはあるが、少雨であり、干ばつが発生しやすく、農業にとっては古くから水不足に悩まされた土地でもある。  
 半月系をした地形は、南部に讃岐山脈が連なり、北部に讃岐平野が広がっている。県南の河川は唯一の一級河川である土器川をはじめとしておおむね讃岐山脈に源を発し、北流して瀬戸内海に注いでいる。総土地面積は全国最少ではあるが、平野部が県土の半分を占めるため、耕地率は16.1%(平成30年)と比較的高く、全国9番目に位置する。  
 平野に恵まれた讃岐地方は古くから農地が開けたが、これらの農地開発はため池の開発抜きには語れない。讃岐の農業を支えた満濃池に代表されるため池はピークには2万余りを数えたといわれるが、香川の農地が安定した水を得ることができるようになるのは、吉野川総合開発計画の一環として計画された香川用水の完成により、吉野川の水が香川県に導水されるようになってからであった。

2. 讃岐平野の水の歴史



 (1)古代讃岐の開拓と治水利水

ため池の点在する丸亀平野と金刀比羅宮のある象頭山(著者撮影)
 讃岐平野の農地開発の歴史は古く、古墳時代から奈良時代にかけて古代条里制開拓が行われ、奈良時代末期には22,000ha余りの水田が開かれていたと推定されている。平成30年の統計によれば、香川県の耕地面積は30,200haであり、現在の7割強の耕地がすでに奈良時代末期には形成されていたことになる。条里制は讃岐平野を形成するほぼすべての沖積平野にみられ、一番大きな丸亀平野ではその83%が条里遺構地域に含まれている。
 これらの条里制開拓では、それに先行して河川の安定を図るための治水工事が行われたと考えられており、これら治水工事の痕跡が丸亀市飯山町及び同市綾歌町を流れる大束川をはじめ県下の河川で発見されている。また、すでに飛鳥時代には近畿地方では水路やため池を整備する地溝かんがい開発が行われており、讃岐でも条里開発と相まって中小河川を水源とする水利開発が行われていたと考えられる。

 

 香川の水利と切っても切り離せないため池の開発は、稲作が日本の各地に伝播し始めた弥生時代まで遡ることができる。当初は海岸沿いや洪水氾濫原といった低湿地帯で営まれた稲作は、その拡大に伴って、干天が続くと乾燥が進む準乾田的な湿地に広がり、洪水路線に沿って不足する水を補給するための小規模なため池が作られた。条里制開拓の時代に入るとため池は堤防の嵩上げを繰り返しながらその規模を拡大させていったと考えられている。

 (2)満濃池

 弘法大師空海が修築したことでも知られ、香川県民が誇りとしている満濃池も条里制開拓が行われた大宝年間(701年~704年)に時の国司道守朝臣(みちもりのあそん)によって現在の池地内に小規模なため池が創築されたのがはじまりだと伝えられている。

満濃池全景 提供:満濃池土地改良区
 弘仁12年(821年)の空海の手による改修は、その特徴として満水時の水圧に対抗するため堤防の形をアーチとし、堤防の南西端の岩盤を掘り下げた堅牢なお手斧石(ちょうないし)と呼ばれる堅牢な余水吐と池堤の護岸設備としてしらがみと呼ばれる護岸工を設置したことである。堤高22m、堤長118m、堤体積94,000m3、貯水量は500万m3を超えていたと推定されており、当時としては非常に大きなため池であった。

  
 満濃池は地方政治の乱れや洪水により、何度かの決壊と修築を繰り返したようであるが、平安時代末期の元歴元年(1184年)の洪水により破堤した後は、約450年間修復されることはなく、ようやく藩政時代に入った寛永8年(1631年)に西島八兵衛により空海の修復を踏襲する形で再建された。   
 池の揺(ゆる)(樋管)は木製であったので、その後30年毎に揺替普請(ゆるかえぶしん)が行われた。幕末に至るまで計17回の普請が行われたが、底樋の取り換えのため堰堤を開削し再度盛り立てるという大土木工事のため、讃岐の全域から百姓が徴用され満濃池の揺替は百姓にとって大きな苦役であった。百姓の負担を軽減するため、嘉永3年と6年(1850年及び53年)に底樋が木製から石樋に改められたが、翌年の大地震が引き金となり堤体が崩壊した。幕末の動乱期とあって復旧は進まず、ようやく榎井村(えないむら)(現在の琴平町内)の豪農長谷川佐太郎の奔走と私財を投じた尽力によって明治3年(1870年)に再建された。底樋を恒久的な石樋に改めるため、岩盤に56mの隧道が掘削された。その後、明治39年(1906年)、昭和5年(1930年)、昭和34年(1959年)と3度の嵩上げ工事が実施され、貯水量1540万m3の現在の姿となった。

 (3)藩政時代の新田開発とため池の増加

 古代条里制開拓による大規模な開発の後、第二の開発のピークは藩政時代に入っての新田開発である。藩政時代の開発は地形条件や水利開発の条件が悪く古代には開発することのできなかった南部讃岐山脈よりの洪積層下位台地の一帯、河川水量が少なく水利の開発が困難であった観音寺市の大野原町、新田町の一帯、また、古代に河川の沖積による海退が十分でなく陸地化が進んでいなかった高瀬川、綾川、春日川、新川等の下流域ゼロメートル地帯で行われた。  
 豊臣秀吉により讃岐一国を賜った生駒氏の記録によれば、初代藩主親正が天承15年(1587年)讃岐17万石の藩主になってから約半世紀を経た四代藩主高俊が改易になるころには、その石高は23万3千石に増加していた。これらに併せ、干ばつに備えたため池の整備も進められていった。生駒藩改易の後、東・中讃を治めることとなった松平氏高松藩の記録によれば、藩内のため池の数は天保2年(1645年)の1,372から152年後の寛政9年(1797年)には5,568に増加している。  
 半世紀のため池築造や新田開発で卓越した土木技術を駆使して、数々の業績を残した人物として名高いのは前述した満濃池の修復でも知られる生駒家家臣西島八兵衛である。八兵衛は満濃池の他にも小田池、三郎池など90余りの主要なため池を築造したほか、弟子とも呼べる多くのため池築造技術者を育て、その後のため池開発に多大なる貢献をした。

 (4)水利慣行の変遷
 
 もともと雨の少ない讃岐地方では、藩政時代の新田開発はため池の増築を行いながら進められたが、そのため古田と新田の間で水をめぐり多くの紛争が発生した。それらの解決のため、池への水の取り入れ、水路間の分水あるいは各水田への配分などに関してさまざまな水利慣行が生み出された。ため池の貯水のルールは承水慣行と呼ばれ、主としてため池の上流域の水利組織との間で取水期間や取水方法が取り決められた。下流水田へ水を運ぶ用水路の分水工構造や分水方法についての取り決めが分水慣行である。更に個々の水田への配水慣行があり、特に渇水の際の配分方法については「番水」と呼ばれる時間を計って各水田に水を順序良く公平に分配していく仕組みが藩政時代から現代に至るまで続いてきた。時計のなかった時代には、線香や抹香の燃える長さで時間を計る「線香水」「香ノ水」と呼ばれる道具を使った番水が行われていた。  
 田ごとの線香の長さは「水ブニ」と呼ばれたことから「線香水」は「水ブニ慣行」とも呼ばれた。ブニとは讃岐地方の言葉で「持ち分」という意味である。この「水ブニ」は売買の対象になっていたため、売買により田んぼごとの水の持ち分には差が生じることとなった。地域によっては地主が水ブニをすべて買い取り「地主水」慣行があったところもあり、本来、水を公平に分配する「番水」慣行が「水ブニ慣行」へと変容し、讃岐平野独特の不公平感の強い水利慣行へと変化していった。このため第二次大戦前の地価は水ブニに左右され固定資産税評価にも影響していたそうである。  
 戦後になると、食料確保のための緊急開拓やそれに続くかんがい排水事業によって前述の満濃池の嵩上げや内場ダム・長柄ダムの建設といった水源開発や幹線用配水路の改修・新設が行われた。当事業で回収された農業用水路群もこの時期に関係者が水利慣行の調整の苦労を重ねたうえ、県営事業により整備されたものである。  
 これらの土地改良事業の実施により、水事情の改善の兆しが見られるとともに、農地改革による自作農の創出により水ブニ慣行が是正されていった。しかし、水不足の抜本的な解消には程遠く承水慣行や分水慣行は根強く維持された。水不足に対する抜本的な解決は1981年の香川用水の完成を待たねばならなかった。

 (5)香川用水

 香川用水は吉野川総合開発計画の一環として計画された。四国三郎と称される吉野川の上流高知県本山町に建設された早明浦ダムを水源として徳島県三好市にある池田ダムから分水され、讃岐山脈を貫く8kmの阿讃トンネルを経由して年間2億4,700万m3の水を香川県に供給している。供給された水は農業、上水及び工業用水に利用されており、農業用水は4割強の1億500万m3を占める。香川県内の農業用ため池約1万4,600カ所の総貯水量は約1億4,600m3であり、香川用水の供給が農業用水のキャパシティを一気に引き上げたことがわかる。阿讃トンネルを抜けた水は東西分水工で東西に分水され、讃岐平野のほぼ全域を潤しており、かんがい面積は約3万haにおよぶ。
 香川用水の特徴は、県内の既存のため池を調整地として活用した計画となっていることと、県下の南北に流れる全河川水系を東西にくし刺しにする形で計画されているため、香川用水の配水調整によって水系間の水需要供給調整を行うことができる機能を備えていることである。 ため池を調整地として使うことにより、農業用水の需要がピークとなる代掻期の供給にため池の貯留水を優先利用することにより、幹線水路の通水断面を経済的なものとすることができた。また、これによって台風や大雨などの気象変動に伴う供給調整がやりやすく、異常渇水時に早明浦ダムの貯水量が激減し、激しい取水制限が課せられた場合も、ため池に一旦貯留した水を必要な時期に最小限供給して、讃岐地方に伝わる伝統的な節水かんがい手法を使って限られた水を最大限に利用できる。
 水系間の水需給調整機能も、渇水期の需給調整に大きな役割を果たす。香川用水には農業用水の分水工が179カ所あり、香川用水土地改良区が毎年の配水計画書に基づき、参加の81の水利組織と連絡を取りつつ配水を行っている。渇水となって水事情が厳しくなった場合も、各水系の水不足の状況は一様ではないため、水利組織間の合意形成を図りながら、より厳しいところへの配分を融通するなど水系間の水需要のバランスをある程度までとることが可能である。

     
図-1 吉野川総合開発計画
(出展:吉野川総合開発香川用水計画概要 香川用水事業推進協議会 2014.11) 

 このように、香川用水の完成をもって讃岐地方は、水不足との戦いに一応の決着をつけた。しかしながら、早明浦ダムの水が底をついた平成6年の異常渇水のような事態が今後も起こらないとは限らず、常に節水を心がけ水を大切に使わなければならい状況に変わりはない。

3.地域の農業



 本地区は、香川県の中西部に位置し、一級河川土器川沿岸に広がる3市4町(丸亀市、坂出市、善通寺市、宇多津町、琴平町、多度津町、まんのう町)にまたがる水田4,996haの地域である。瀬戸内海に面した温暖な気候や京阪神市場に近いという恵まれた地域特性を活かして、水稲を中心に、水田の畑利用による麦、大豆、野菜等を組み合わせた土地生産性の高い複合経営を展開する県内有数の農業地帯である。


4.事業に至る経緯と沿革


 
 当事業は、丸亀平野を流れる香川県内唯一の一級河川土器川の両岸に広がる水田約4,000haへかんがい用水を送る農業水利施設の改修を対象としているが、前述のとおりこれらの水路群は、主として第二次大戦後、県営事業等により整備されたものである。
 土器川左岸地域では、県営満濃池用水改良事業(昭和15~34年度)により、新たな水源確保のため天川頭首工と天川導水路の新設、満濃池の嵩上げが行われた。また、県営金倉川沿岸用水改良事業(昭和28~44年度)や満濃池土地改良区単独事業(昭和28~33年度)により幹線用水路等が新設された。
 一方、土器川右岸地域では、県営土器川右岸土地改良事業(昭和27~41年度)によって、土器川を水源とする大川頭首工をはじめ導水路や幹線用水路が新設された。
 その後、これも前述のとおり、吉野川から新規取水する香川用水(昭和45~55年度)によって、地域一帯が吉野川からの用水補給を受けられるようになった。これにより、当事業地区の農業用水は、土器川をはじめとする地区内河川水、地下水、ため池と香川用水からの補給により賄う体系が確立された。
 しかしながら、造成された水路群は、無筋コンクリート構造で、平成に入ると造成後40年以上を経過するものも増え、老朽化が著しく、漏水が発生するなど農業用水の安定供給に支障をきたすとともに、維持管理に苦慮する状況となっていった。
 このため、平成11年に国営事業に向けた地区調査が始められ、平成15年度から全体実施設計が行われた。この間、地域内の利水調整が関係者の尽力により整えられ、平成20年度から国営かんがい排水事業の中の農業用水再編対策事業(地域用水機能増進型)「香川用水土器川沿岸地区」として着工されることとなった。
 慢性的な水不足に悩まされてきた当地区の農業用水路は、農機具や農産物の洗浄等洗い場としての利用及び防火用水としての活用が図られ、さらには水路沿いを周辺住民が散歩するなど親水・景観機能を発揮しており、地域用水として利用が高いものとなっている。
 また、地区内では土器川をはじめとする河川、満濃池を含む溜群、農業用水を導水する幹線水路、水田への配水のための水利網が有機的に連携し、水系ネットワークを形成しており、魚類群の移動経路としての機能を果たしていることなどから、関係市町の田園環境整備マスタープランでは、これら水系ネットワークの保全・管理、生態系に配慮したため池・水路の整備が掲げられている。
 以上の点から、農業用水再編対策事業(地域用水機能増進型)が本地域で採用されることとなった。

5.事業概要



 (1) 事業名・地区名

事業名:国営農業用水再編対策事業
地区名:香川用水土器川沿岸地区

 (2) 事業の目的

 当地区の農業水利施設は、平成18年時点で、造成後40年以上を経過しており、用水路やゲートの老朽化が著しく、漏水の増大など、農業用水の安定供給に支障をきたすとともに、施設の維持管理や水管理に要する労力が増大していた。
 このため、本事業では、老朽化した農業水利施設の補修・改修を行い、農業用水を安定的に供給し、維持管理の負担を軽減することにより、農業生産の維持・増大と農業経営の安定化を図る。併せて、地区内の農業用水が従来から有している地域用水機能の増進を目指すものである。

 (3) 受益地域

関係市町: 香川県丸亀市、坂出市、善通寺市、宇多津町、琴平町、多度津町、まんのう町
受益面積: 3,996ha (水田)(事業開始の平成20年時点)


(4) 事業期間
平成20年度~平成28年度


(5) 事業費
150億円 (平成18年度単価による平成25年度時点の事業費)

図-2 地区概要図
(出典 国営農業用水再編対策事業(地域用水機能増進型)香川用水土器川沿岸地区刊行記念誌)



(6) 主要工事

①用水路の補修・改修(57.9km)
   土器川左岸 :天川導水路        3,286m
          丸亀幹線水路       4,560m
          蓮池幹線水路       7,070m
          吉野幹線水路       4,070m
          買田幹線水路       2,350m
          金倉幹線水路       3,900m
          竜川幹線水路       2,620m
          金蔵寺幹線水       3,900m
          北鴨幹線水路       1,380m
          金倉川左岸幹線水路    3,550m
          五條幹線水路       2,260m
   土器川右岸 :打越池導水路       3,800m
          仁池導水路        3,070m
          小津守池水路       1,900m
          飯野幹線水路(上流)   3,870m
          飯野幹線水路(下流)   4,940m
          大久保池水路       1,400m
 
②用水路の新設(3.4km)
          大久保池・小川幹線水路  3,422m
③水管理施設の改修・新設
          ゲート改修、水管理施設新設

(7) 共同工事
  共同事業者 :丸亀市、善通寺市、まんのう町の各水道事業者
  対象施設  :天川導水路、丸亀幹線水路、買田幹線水路、水管理施設
  受託費   :約5億円(国営事業費の外数)

6. 事業の特徴


 
 本事業では、地域環境整備計画に基づき、幹線水路に7カ所の環境配慮拠点が整備された。これらの拠点では、水生生物に配慮した生態系水路が整備された。  
 生態系水路の設計では、マツカサガイ、アブラボテなどの配慮対象種の生息環境を創出するため、標準構造として以下のような配慮がなされた。

① 緩流域(水深25cm、流速35cm/s以下、底質は砂)の形成
・水路底は計画底高より35~40cm掘り下げ、二枚貝の生息域となる堆砂スペースを確保
・堆砂スペースに割栗石を15㎝敷均して堆砂を促し、洪水による砂や二枚貝の流亡を軽減
② 隠れ場の創出
・水路側壁に、魚類の隠れ場として魚巣を設置
・魚類が生息しやすいよう、魚巣内に割栗石を投入
③ 生態系水路内へのヘドロやごみの体積を防止
・掘り下げ部の下流端をスロープ形状(勾配1:4)

図-3 生態系水路の標準構造
(出典 国営農業用水再編対策事業(地域用水機能増進型)香川用水土器川沿岸地区刊行記念誌)

生態系水路の施工写真

 この他、ゲンジボタルの生息域では、その生活史の中で、幼虫が上陸し蛹となるために、水路壁に凹凸構造を施して上陸を容易にし、水路壁直上に蛹場となる土の空間を残すような配慮がなされた。

打越池水路におけるゲンジボタルへの環境配慮事例
(出典 国営農業用水再編対策事業(地域用水機能増進型)香川用水土器川沿岸地区刊行記念誌)
 

7. 事業実施の効果



(1) 農業生産
 事業実施により、老朽化していた水路が刷新され、維持管理費、水管理に要する労力の軽減に繋がった。地域特性を活かした稲作、裏作の麦、大豆、野菜等の土地生産性の高い複合経営が継続される。
 共同工事により、丸亀市、善通寺市、まんのう町に年間720万m3の水道用水を供給するライフラインの更新が図られた。

(2) 地域用水機能の増進
 本地区は、瀬戸内海国立公園に指定された飯野山(讃岐富士)とため池・水路・出水などの水環境が調和して穏やかな田園景観を形成している。その中で、農業用水路は作物への利用だけでなく、景観・生態系保全、親水、防火用水、生活用水(洗い場、散水)等、様々な働きや機能を有している。こうした、「地域用水機能」の増進を図るため、本事業により、農業用水路の改修と合わせ、地域環境整備計画に基づき、生態系や景観に配慮した環境水路が整備された。

打越池導水路の拠点整備箇所
(出典 国営農業用水再編対策事業(地域用水機能増進型)香川用水土器川沿岸地区刊行記念誌)


引用文献

1.国営農業用水再編対策事業(地域用水機能増新型)香川用水土器川沿岸地区完工記念誌 平成29年3月 香川用水土器川沿岸地区国営農業用水再編対策事業協議会讃岐の水開発の歴史と国営事業―「香川用水土器川沿岸地区」並びに「香川用水地区の紹介」 渡邉和眞 土地改良2011年1月 土地改良建設協会
2.満濃池史 満濃池土地改良区五十周年記念誌 2001年9月 満濃池土地改良区 
3.吉野川総合開発香川用水計画概要 香川用水事業推進協議会 2014.11


参考文献

1.香川県プロフィール 香川県庁ホームページより
「五十年史」香川県土地改良事業団体連合会
2.「新修 満濃町史」満濃町 2005年
3.満濃池 季刊大林No.40 (株)大林組広報室 1995年
4.香川用水のあらまし 独立行政法人水資源機構香川用水管理所 2009年