本地区は、愛媛県の中央北部から東北部に位置する道前平野地区(西条市)と道後平野地区(松山市、伊予市、東温市、松前町、砥部町)からなり、
両地区とも、平均気温約16℃、年平均降水量約1,300mmと四季を通じて温暖で降雨の少ない瀬戸内式気候である。
道前平野地区(西条市)は、高縄山系の東側裾野付近を中心に拡がる道前平野がその中心であり、二級河川中山川が平野中央を貫流し、東で瀬戸内海(燧灘)に注いでいる。
道後平野地区(松山市他2市、2町)は、高縄山系に端を発した一級河川重信川の流域に広がる松山平野を中央にして、
北西で瀬戸内海(伊予灘)に面し、地区南側では道前平野地区と同様に石鎚山系の山々に面している。
本地域の就業人口は約33万人、その内農業に従事する人口は約17,000人である。また、農家戸数約17,600戸、
1戸当たりの平均農用地面積は0.7ha(水田0.5ha、果樹園0.2ha)、と規模は小さいが、専業農家、第1種兼業農家の占める割合は約19%、11%と専業農家の占める割合が高い。
数値の出典:気象庁統計資料(1971~2000)、H12国勢調査
道前平野地区の農業は、温暖な気候と肥沃な土壌条件を生かした平地水田農業である。主な農産物は、米、麦、野菜(いちご、トマト、ほうれん草、きゅうり等)、
果樹(かき、温州みかん、いよかん等)、畜産(養鶏)等である。 特に、県内農業粗生産額の約20%、40数%を占める米、麦類及び10数%を占める野菜類の生産が多い。
道後平野地区の農業は、道前平野地区同様に温暖な気候とそれに加えて県内最大の市場への近さを生かした果樹(柑橘)、野菜、米麦、花きなどの都市近郊型農業が主体である。
特に果樹は、瀬戸内の温暖な気候を生かして全国有数の柑橘産地を形成しており、いよかん(生産量日本一)、温州みかんが中心である。
下図に道前平野、道後平野について、水田及び樹園地の作物別作付面積比率を示す。
出典:愛媛県農林水産統計年報(2003~2004)
水田及び樹園地の作物別作付面積比
道前道後の両平野は昔から穀倉地帯であったが、米の生産のため、かんがい用水確保に多大な苦労をしてきた。
谷川・河川の表流水、伏流水のほか安定的な灌漑用水を確保するために、江戸時代中期ころから数多くのため池が築造され、現在も利用されている。
これら多くのため池など水源・取水施設は水を確保するために腐心してきた先人たちの遺産であり、この地域でかんがい用水を確保することがいかに困難であったかの証でもある。
ここでは、先人の残されたかんがい施設(遺構)とかんがい用水を取巻く社会状況(水争いとその解決)について述べる。
(1)この地の遺構
1)菖蒲堰
菖蒲堰は東温市(旧重信町)山之内大畑、重信川の水が伏流を開始しようとする横河原扇状地の扇頂部に位置する。現在では、コンクリート堰に統合されているが、
古くは上堰と下堰からなり、構造は「そだ堰」で中世から近代までこの仕様は慣行として守られていた。堰の構造を「そだ堰」としたのは、
菖蒲堰より下流に位置する村々でも取水できる様にある程度漏れる工夫をしたためで、土の付着した草や土砂を使用してはならない取り決めがあった。(出典:菖蒲堰(重信町誌))
2)へき巌透水路
西条市(旧丹原町)来見の道前渓左岸に連なる岩盤を切り開いて中山川の水を導水するために造った用水路がへき巌透水路である。
安永9年(1780年)、時の来見村の庄屋 越智喜三左衛門が私財を投じ、人力でノミを使い岩を削り、9ヶ年の歳月を費やし、寛政元年(1789年)、
ついに長さ12間の井堰と20間の随道、76間の岩石掘割水路を完成させたと伝えられる。その後、子孫の越智茂登太により、明治19年、さらに大正2年の大改修を経て美田30町歩を潤す水路が完成した。 (出典:へき巌透水路・大番落(田野村誌ほか))
(2)水争いとその解決策
道前道後の両平野は、昔から穀倉地帯であり、米の生産のために水は不可欠であり、この地域にとって水は欠くべからざる基本的資産であった。
江戸時代になると各領主は新田開発に力を入れたが、それは旧田と新田、河川の上流と下流との間で取水をめぐっての争い、水騒動をたびたび引き起こすこととなった。
そこで、争い合う村々の間での話し合いの産物として、取水の順位や方法が取り決められ、これらの申し合わせが守られるようになると、
その習慣が水利慣行となった。水が高いところから低いところへ流れるという自然の法則に従い、上流優先、古田優先の原則ができあがっていったのである。
1)大番落・小番落(釜之口井堰をめぐる取り決め)
釜之口井堰は、約1,500~1,600年前の弥生時代後期にはすでに存在していたと文献に記されている中山川左岸約600町歩をかんがいする道前平野の井堰である。
釜之口井堰の分水については、元禄5年(1692年)頃、代官矢野五郎右衛門のもと、それまで度々起こっていた水争いをなくすため、
各村々の間で協議を重ね「大番落」が取り決められた。大番落は、取水のための諸準備から開始時期・分水方法・井堰番改役など細部にわたっている。
その後、大番落の取決めで永く紛争もなく過ぎたが、弘化3年(1846年)の田植期は釜之口の井堰で取水した用水路の末端で用水不足となり、関係村で申し合わせた結果「小番落」が取り決められた。
時は移り、昭和20年代の末に釜之口井堰とそれに続く用水路はコンクリートで改修され、
取水時間も「日の入りから日の出まで」の旧慣行が「午後6時から午前6時まで」と改められた。(出典:へき巌透水路・大番落(田野村誌ほか))
2)窪田兵右衛門(水争いが招いた悲劇)
伊予郡砥部町麻生には、重信川より水を引き入れる「古樋井手」という水路があり、上麻生村と下麻生村(現砥部町)の水田の水源になっていた。
この水路と平行して同じく重信川の下流側で水を引いている「一の井手」というもうひとつの水路がある。この井手掛りは上野村をはじめとする5ヶ村(現伊予市、松前町)の水田であった。
両水路の交差は、古樋井手が一の井手の上に筧をわたし、水をとおさなければならないようになっていた。
明治8年(1771年)の夏は、大干ばつで一の井手掛り古樋井手及び一の井手の田は乾き、枯死する稲が日増しに多くなり、
5ヶ村の総代は上麻生・下麻生の両村に出向いて水を分けてほしいと懇願したが、冷たくあしらわれた。
同年6月8日、しびれを切らした5ヶ村の農民は、気持ちを抑えきれず、約700人が束になって古樋井手に殺到、
筧を破壊するばかりかその土台まで引き落としてしまった。
麻生側はこの暴挙に激怒し、屈強な農民200余人が身を固め矢取川の東土手に押し寄せた。そこで、矢取川の下手に陣取る5ヶ村の農民と睨み合いとなり、
三日後の早朝、ついに大乱闘となった。この乱闘で5ヶ村側に死人2人も出たため、幕府の公裁を仰ぐことになった。
裁判は備中倉敷で、足掛け4年にわたって行われたが、加害者は特定できず、人々は長引く取調べに疲れ果てていた。組頭である窪田兵右衛門は他の多くの農民を救うため、
自ら首謀者であると名乗り出「如月のあはれ尋ねよ法の道」の辞世の句を残し、潔く無実の罪に服した。(出典:窪田兵衛門・赤坂泉(伊豫郡善行録ほか))
3)赤坂泉
義人窪田兵右衛門が処刑された安永3年(1774年)阿部万左衛門は領主より、赤坂泉及び一の井手の開削工事の世話係を申し付けられた。
万左衛門は、難工事であるにもかかわらず、全力を傾注して10ヶ年の歳月をかけ工事を完成させた。
赤坂泉が掘られたことで一の井手の水量は安定し、この地域の干害と水争いはなくなった。
(出典:窪田兵衛門・赤坂泉(伊豫郡善行録ほか))
(1)当初事業のあらまし
中山川流域に発達した道前平野と重信川流域に発達した道後平野は、瀬戸内海に面し瀬戸内式気候特有の温暖で年間1,300mmほどの雨の少ない地域であるため、
古来より水不足に悩まされ、先人たちは多くのため池を築くなど、涙ぐましい努力を重ねてきたが、水不足は否めず、干ばつの度に水争いを繰り返してきた。
昭和20年代に入り、戦後の食糧難が続く中、恒久的な用水対策が強く熱望され、道前側、道後側の関係者が一体となり、昭和32年度に国営農業水利事業に着手した。
昭和42年度に完了したこの国営道前道後平野農業水利事業(以下、当初事業)で、仁淀川水系に築造された総貯水量2,830万立方メートルの面河ダムをはじめ、
総延長約80kmに及ぶ幹線水路や取水堰、調整池など各種の農業水利施設が整備され、安定的な農業用水の確保によって道前道後平野は県下最大の農業地帯へと発展した。
また、この事業は愛媛県の行う水力発電と工業用水との共同事業として実施され、地域の総合的な発展の基盤を支えている。
(2)事業経過
※国営事業に付帯する県営事業は、道前地区が昭和39年度に、道後地区が 昭和38年度にそれぞれ着工し、昭和44年度に完了した。
当初事業の完了後、面河ダムなどの発電・工水・農水の共同施設については愛媛県公営企業管理局、
農業専用施設については水土里(みどり)ネット(土地改良区)が施設の運用・維持管理を行ってきたが、完成後20年以上が経過して施設の老朽化が進み、
漏水等が発生してきたため、これらの箇所の補修、更新やゲート等操作施設の近代化を行う必要が生じた。また、社会・農業情勢の変化によって水利用の形態が変化し、新たな水需要への対応が必要となってきた。
このため、平成元年度から国営道前道後平野農業水利事業に着手し、面河ダムを始めとする当初事業で整備された施設の改修を行うとともに、
東温市(旧重信町)に佐古(さこ)ダム、西条市(旧丹原町)に志河川(しこがわ)ダムを新規に建設して、
面河ダムからの水が来ない10月上旬から6月上旬にかけての水田裏作期間の用水を確保することによって、
都市近郊の立地条件を活かした消費者ニーズに対応した付加価値の高い作物生産を可能とし、地域農業の更なる発展のために貢献しようとしている。
本事業はこのような状況を受け、松山市他3市2町の水田8,325ha、樹園地1,993ha、計10,318haの受益地に対し、当初事業で造成された面河ダムや幹線用水路、
取水施設等の老朽化した施設を改修し、従前の機能を確保するとともに、水管理施設等の近代化を図り、さらに、中山川水系志河川に志河川ダム、
重信川水系佐川川に佐古ダムを新設し、冬期用水を確保するとともに、新規受益地区のかんがい用水を確保し、農業用水の安定的な供給を図る。
併せて関連事業により、用水路等の新設・改修を行い、農業経営の合理化と安定化を図ることを目的とする。
当初事業で造成された既設水利施設の改修を行う事業を一期事業、新規水源開発及び志河川幹線水路の新設を行う事業を二期事業と称す。
1)改修工事(一期事業)
2)新設工事(二期事業)
(7)主要工事の施工経緯
(2)主要工事計画
1)ダム
2)頭首工
3)取水塔
4)揚水機
5)用水路
(3)事業費
計画用水計画概略図のとおり。
本事業においては、以下に示す「環境配慮基本方針」を定め環境に配慮した事業を実施した。
(1)環境配慮基本方針
1)自然と共生する事業の実施
道前・道後平野と水源地域には豊かな自然環境、また生活圏に近い所では湧水泉、ため池、重信川や中山川などの水辺環境が存在する。
本事業では、当初事業(昭和32~42年)により造成された農業水利施設の改修事業と、新たな水源開発事業という、
当事業の二つの大きな柱となる事業の特性に応じて、これらの自然と共生する田園環境の創造に資する事業に取り組むとともに、
道前道後平野農業水利事業がその水源及び受益地にもたらす意義について地域に理解されるよう取り組む。
2)環境配慮について職員で考える
事業所職員全体の環境配慮に対する意識の底上げを図るため、環境との調和に配慮した新工法等の学習、
自然保全活動への積極的な参加、及び生態系保全に関する学習活動を実施する。
3)環境配慮の5原則に基づき、生物種や生態系の保全に努力する
地域住民の意見を反映し、創意工夫による新たな設計の考え方、技術・工法を取り入れ、『環境配慮の5原則(回避、最小化、修正、影響の軽減/除去、代償)』に基づき、生物種や生態系の保全に努力する。
(2)志河川ダム関連工事の取組み紹介
1)水質保全・生態系・景観への配慮 志河川ダム建設工事の実施にあたっては、生物の生育・生息状況のモニタリングを行うとともに、環境に対する工事の影響を抑え、自然との調和に配慮しました。
【 志河川ダムの周辺で確認された生物の一部 】
上:工事で削った山は、この地域にある植物(ネズミモチ、ヤマハギ、メドハギ、コマツナギ、ヨモギなど)を植えて緑に戻しました。
下:ダム下流に地元住人による植樹が行われ、その後も環境保全の一環として、草刈り等が実施されています。
2)コウモリ類の保全の取組みを紹介
①ねぐらの構造
②保全効果の検証①(坑内環境)
坑内環境は、暗幕の設置によって「照度の抑制」と「温度の安定化」を実現しました。トンネル坑口から30m以上奥は、照度が0.1ルクス以下、温度の日変動が0.5℃以下と極めて均一な環境となり、生息に適した環境が整いました。
③保全効果の検証②(飛来状況)
昭和42年に完成した道前道後平野農業水利事業は、従来の干害を一掃し農業経営の合理化、農業生産の向上に大きく貢献してきた。
しかしながら、施設の老朽化による安全性の低下、管理施設の旧式化、老朽化等種々の問題が生じており、新しい水需要への対応と施設整備の必要性が高まってきた。
老朽化、旧式化した水利施設、水管理施設を総合的に整備し、用水管理の合理化、省力化を図り、今後の地域農業の改善及び農業の生産性の向上に資するものである。
(1)機能診断基準
昭和32年度から昭和42年度にかけて旧国営道前道後平野農業水利事業で造成された面河ダム、取水施設及び幹線用水路等の各施設・設備を改修するにあたっては、
以下に示す工種の機能診断基準を基に改修の要否、改修のレベルを設定し、それに合わせて設計・施工するものである。
1)サイホン施設
平成元年度策定した「道前道後平野農業水利事業 サイホン設計指針(案)」に準じる。改修の要否・判定を行うための改修診断フロー及び、診断項目、内容を示す改修診断シートを付図から抜粋し図11.1、表11.1に示す。
2)開水路、暗渠施設
改修にあたっては、平成13年度策定した「道前道後平野農業水利事業 開水路・暗渠・隧道の補修指針(案)」付図に示される改修診断フローに準じる。
改修診断フロー及び、診断項目、内容を付図から抜粋し、図11.2、表11.2に示す。
補修にあたっては、同基準に準じる。開水路・暗渠のひび割れ補修工法選定フローを図11.3に示す。
3)施設機械設備
施設機械設備の改修にあたっては、平成6年度策定した「施設機械設備整備基準(その2)」に準じる。診断フローを図11.4に示す。
施設ごとに事前調査、問診調査及び現地調査を実施し、その結果から改修の要否、改修のレベルを判定する。
(2)面河ダム・承水路の支障の概要と改修内容
面河ダム及び承水施設の土木施設、機械施設について診断調査を行い、その調査結果を先に示した基準により、改修・更新、部分改修、補修等に区分している。
面河ダム及び承水施設の支障の概要(改修の必要性)と改修内容は次のとおりである。
(3)千原取水塔の支障の概要と改修内容
千原取水塔は面河ダムから第3発電所の逆調整池に放流された用水を道後導水路トンネルに送水するための取水施設である。既設取水塔は、
既導水路の上流部に発生した亀裂により既設位置で取水ができない状況にあるため、既設位置より、約100m上流で堆砂位がEL.202m以下となるような位置に新規に計画する。
施設の改修は平成16年度に実施した。
1)取水設備の形式
取水設備の形式は、周辺環境との調和に問題がなく、施工性、経済性に優れる独立塔とする。 図11.5に千原取水塔の平面図、側面図を示す。
2)ゲート形式
ゲート形式はライフサイクルコストを考慮し、ステンレス製ローラーゲートとする。 なお、スライドゲートは、扉体は安価であるが、開閉器が高くなるので全体的にはローラーゲートが経済的である。
3)構造及び規格
千原取水塔の構造及び規格は図11.6のとおりである。
(4)幹線水路の支障の概要と改修内容
逆調整池から道前道後平野の受益地に配水するための幹線用水路路線図は図11.7~8、工種別内訳延長は表11.3のとおりである。
1)開水路の障害の概要
背面土圧により開水路側壁の転倒が認められるヶ所、コンクリート表面(側壁及びインバート部)に磨耗が認められるヶ所、
不等沈下による水路継手部の不整合、底面に吸出しが認められるヶ所等がある。また、降雨時外部から土砂、ごみ等が流入し、通水に支障がある。
2)サイホン工の阻害の概要
現況サイホンは、RC、PC、SP、石綿管等により施工されているが、多くのサイホンにおいて不等沈下による亀裂の発生、ジョイント部の疲労による漏水等の事故歴がある。
3)トンネル工の阻害の概要
部分的にコンクリートの剥離、ひび割れが認められる。また、土砂流入や素掘部の落盤による砂礫堆積がある。
4)暗渠工の阻害の概要
道前左岸幹線1号暗渠は斜面部に設けられているため、地圧により、ジョイント部にかなりのずれが見られる。
5)分水工の阻害の概要
制水弁はハンドルが重く、操作性が悪い。 分水工が地下式の場合、操作や管理に時間がかかるとともに危険を伴う。
流量計はパーシャルフリュームの検出器の疲労が酷く、他の計器についてもほとんどが使用不能である。 建屋についても全体的な痛みが酷い。
(5)幹線水路の改修の判断基準及び改修方針
土木施設の改修判断は、平成元年度策定した「道前道後平野農業水利事業 サイホン設計指針(案)」、平成13年度策定した
「道前道後平野農業水利事業 開水路・暗渠・隧道の補修指針(案)」により行う。施設機械設備については事前調査、問診調査及び現地調査を実施し、
その結果から判定する。
なお、各工種の改修方針は以下のとおりである。
1)開水路工
・開水路を更新する場合、現場打コンクリート水路、2次製品(L型水路、U字溝等)において施工性、経済性、維持管理性等で比較検討し形式を設定する。
・蓋掛についても上載荷重を検討した上で現場打コンクリート板と2次製品(空洞PCコンクリート板等)で比較検討し設定する。
2)サイホン工
・改修工法は開削工法による布設替を基本とする。しかし、路線周辺の宅地化等の変化から、困難な場合、簡易土留、鋼矢板工法による開削、
路線の変更や内挿管(PIP工法)、更正工法等の採用について施工性、経済性で比較検討(改修工法選定フローを図5.1.14に示す。)し決定する。
道後北部共有区間におけるサイホンは工業用水を断水できないことから別途サイホンを隣接して設ける。
・PC、RC、石綿セメント管(ACP)を使用しているサイホンは耐用年数や強度面に不安があるため、改修時にDCIP、SP等に取替える。
3)トンネル工
・ひび割れ補修等は補修指針に準じて行う。
4)暗渠工
・暗渠工を更新する場合、現場打コンクリート水路、2次製品(ボックスカルバート等)において施工性、経済性、維持管理性等で比較検討し形式を設定する。
5)分水工
・分水弁は操作性を考慮し、水道用仕切弁とバタフライ弁に取替える。
・分水工が地下式の場合、地上から操作できるように改良する。
・流量計は超音波流量計、電磁流量計等に取替える。
・建屋はブロック積またはRC構造にて建替える。
(6)幹線毎の改修概要
1)道前幹線用水路
道前幹線用水路は中山川堰から両岸分水工までの約1,000mの区間であり、全線開水路である。本用水路の障害及び改修の概要は表11.4の通りである。
2)道前左岸幹線用水路
道前左岸幹線用水路は両岸分水工から大明神放流工までの総延長約14,300mの用水路であり、開水路・暗渠、サイホン、分水工等からなる。現況の診断判定及び改修概要は次のとおりである。
3)道前右岸幹線用水路
道前右岸幹線用水路は、両岸分水工から西条市小松町新屋敷乙までの総延長約11,300mの用水路であり、開水路・暗渠、サイホン、分水工等からなる。現況の診断判定及び改修概要は次のとおりである。
4)道後導水路
道後導水路は、逆調整池(千原取水塔)から南北分水工までの総延長約5,400mの用水路であり、開水路・暗渠、隧道等からなる。現況の診断判定及び改修概要は次のとおりである。
5)道後北部幹線用水路
道後北部幹線用水路は、南北分水工から横谷調整池までの総延長約16,400m(上流部、約12,900mは共同区間であり、下流部、約3,500mは農業専用区間である。)の用水路であり、開水路・暗渠、サイホン、分水工、隧道等からなる。現況の診断判定及び改修概要は次のとおりである。
6)道後南部幹線用水路
道後南部幹線用水路は、南北分水工から大谷池までの総延長約19,000mの用水路であり、開水路・暗渠、サイホン、分水工、隧道等からなる。現況の診断判定及び改修概要は次のとおりである。
7)道後南部赤坂線用水路
道後南部赤坂線用水路は、通谷調整池から砥部町矢倉までの総延長約4,100mの用水路であり、開水路・暗渠、サイホン、分水工、隧道等からなる。現況の診断判定及び改修概要は次のとおりである。
(7)新池調整池の改修の必要性
新池調整池は東予市上市地内に位置する農業用調整池である。本事業計画において下流域受益地(三芳地区)へかんがい用水及び営農形態の多様化による冬期かんがい用水を供給するためには、
5号分水工~13号分水工の間でV2=87,000m3の用水不足が生じる。よって、既設新池を浚渫・拡幅し、現存容量(V1=46,000m3)に加えて不足水量分を確保すべく改修(V=133,000m3)する。
1)貯水池構造・標準断面
計画容量を確保するため、既存の新池及び小池を一体と考え、現施設の改修を最小限度に止めた上で、両池の現況貯水敷の掘削整形を行うとともに、
貯水容量の大幅な増加に対応するため、既存のため池及び水利施設に影響を与えない範囲で新池背後の傾斜の緩やかな水田部を掘削する。
なお、現況のFWLに合わせる場合、計画天端高さが一部不足するため、不足分については嵩上げを行う。
施設の改修は平成9年度~14年度に実施した。
新池堤体の標準断面を示す。
2)洪水吐
洪水吐は下記の理由から旧洪水吐と山林を挟んで反対斜面側とする。
・洪水吐の延長が短い。
・道路の取付がスムーズである。
・下流ほ場のつぶれ地が少ない。
・水理的線形が安定している。
3)取水設備
現況のため池には新池側と小池側に1ヶ所ずつの取水設備が設けられているが、改修は呑口部並びにスピンドル基礎部とし、底樋部は現施設を利用する。
4)新池調整池 堤体・貯水池諸元表
(8)通谷調整池の改修の必要性
通谷調整池は砥部町宮地内に位置する農業用調整池であり、
道後南部幹線用水路から分水と自流域からの流入水を下流受益地の需要に応じて、調節・供給する農業水利施設である。
本調整池は築造から約20年が経過し、老朽化、旧式化に伴い、機能・操作性の低下が随所に見られるため、本事業において改修する。
1)障害の概要と改修内容
本調整池施設の障害の概要と改修内容は次のとおりである。
施設の改修は平成11年度、平成15年度~16年度に実施した。
(9)横谷調整池の改修の必要性
横谷調整池は松山市食場町地内に位置する農業用調整池である。本調整池は築造から約20年が経過し、堤体及び付帯施設の劣化や老朽化による機能・操作性、安全性の低下が見られるため、本事業において改修する。
1)横谷調整池 堤体・貯水池諸元表
2)障害の概要(改修理由)と改修内容
本調整池施設の障害の概要(改修理由)と改修内容は次のとおりである。
施設の改修は平成11年度、平成15年度~16年度に実施した。
(1)管理組織
本事業により造成された施設の管理の考え方は、当初事業において造成された施設の管理区分、管理組織による管理体制を踏襲することとしており、その内容は次のとおりである。
(2)管理予定者
1)一期事業
一期事業に関する施設は、当初事業の財産及び管理区分に変更がなく以下のとおりである。
2)二期事業
二期事業に関する施設の財産及び管理予定は以下のとおりである。
(3)管理体制・職務分担
道前、道後平野は、その立地条件、社会的環境に相違点があるため、
両平野を一つにした土地改良区を作ることは無理であるため、
道前平野土地改良区、道後平野土地改良区の上に、面河ダムより取水した用水の総合調整・管理機能を有する道前道後土地改良区連合を設置した。
各土地改良区の管理体制及び職務分担は以下のとおりである。
筆者は、平成13年度から3年間志河川ダム関連工事に、また平成19年度から2年間志河川ダム試験湛水と中国四国農政局管内最後のダムと言われていた志河川ダム建設に携わった。
と同時に事業完了に向けた業務にも携わった。この時前歴事業の経過等整理する際に、職員が直営で調査・測量・設計に携わった時代にあって前歴事業に携わった方々の技術力、
目標達成への意欲の強さを感じたものである。昭和32年度事業着手し僅か10年間で事業完成をみている。今では考えられないことである。全くの驚きである。
面白いエピソードも発見した。面河ダムから道前・道後平野に導水する地点は中山川逆調整池であるが、この地点は計画時とは違った位置であったようです。
職員が現地踏査しながら山を下ってきた地点が今の位置になったようです。“瓢箪から駒“と言えば良いのだろうか?結果用水管理にとって最適な位置であったことなども知ることができた。
道前・道後平野の反対側になる仁淀川水系に新たな水源を求めた斬新な事業である。幾多の苦難を乗り越えての実現である。
水土里ネットの広報には「隣県の高知県の協力で実現した“感謝の用水”なのです。石鎚山脈を越えて道前・道後平野を潤す“虹の用水”ともよばれている。とも紹介されている。
今後老朽化するトンネルなどの改修も必要になる時期もそう遠くないと思われるが、工業用水は短期間の断水しか出来ない。
中央構造線の影響も見逃せない。個人的にはもう1本トンネルを新設して不断水で用水管理可能な施設も視野に入れるなど検討が必要になると考えている。
末永く道前・道後平野 を潤す“感謝の用水”“虹の用水”として地域の方々に愛されることを願ってやまない。
事業を紹介するに際して、中国四国農政局整備部水利整備課の石原課長補佐及びNTCコンサツタンツ(株)には事業誌等の資料提供を頂き感謝致します。引用図書「道前道後平野―石鎚の恵み 虹の用水― 事業誌 中国四国農政局 四国土地改良調査管理事務所」。