top1top2top3
aaa bbb ccc
top01

1.神石高原の位置
2.地域の沿革と歴史
3.神石高原の地形
4.神石高原の気候
5.地域農業の現状
6.神石高原地方の主な災害
7.地すべりの仕組みと機構
8.事業の概要
9.環境に配慮した工事
10.施設の維持管理

icon 1.神石高原の位置



 神石高原地区は、旧広島県神石郡油木町及び豊松村(現神石高原町)にあり、広島県の東北部、岡山県との県境に位置する中国山地の中の小さな町で、人口は神石高原町全体で約9千人(2016年現在)、面積は382km2である。
 神石高原町の東部は岡山県の高梁市に接しているほか、北部は広島県庄原市東城町に接している。町の中央部を中国自動車道と山陽自動車道を結ぶ地域の大動脈である国道182号が縦断し、町の中心部から県庁がある広島市へは約150キロメートル、広島県西部の中心地である福山市までは約40キロメートルの距離にある。
 神石高原町は、福山市を中心とする備後地方生活圏の東北部の一角を占め、圏域の内陸台地部として、また、備北地方や岡山県との接続地域として、重要な役割を果たしており、さらに油木町は中心部に位置し、古くから宿場町として交通の要衝となってきたほか、行政、教育、文化、福祉、商業等、様々な面で中心地としての役割を担っている。
 今後、広域的な道路網の整備充実等に伴い、地域の交通立地条件はさらに向上し、新しい様々な発展の可能性が開けることが予想されることから、このような拠点性、中心性を最大限に発揮しながら、より大きな視点で、広域的かつ長期的展望に立った町づくりを進めている。(神石高原町は、平成16年に神石郡の4町村、油木町、三和町、神石町、豊松村が合併して生まれた町である)


001

神石高原地区(現神石高原町)-位置図

icon 2.地域の沿革と歴史



 (1)油木町
 油木町は、明治維新まで中都藩の支配するところであったが、明治4年7月の廃藩置県で中津県となり、同年11月に深津県と改称し、県庁を福山に置いた、翌、明治5年6月に小田県と改称、明治8年12月に岡山県に合併、県庁を岡山に置いて、支所を福山に置き、会議所を油木村に設置した。明治9年4月、岡山県より分割されて広島県に合併した。明治22年4月の町村制施行により、油木村が発足し自治体となった。明治32年に郡役所を油木村に置き、これより神石郡の産業・文化が飛躍的に発展することとなった。その後、大正6年8月に町制施行により油木町となった。
 昭和30年4月には、小野村と新坂村の一部と合併、昭和31年3月には、仙養村と合併、さらに平成16年11月、平成大合併のなか、神石町、三和町、豊松村との合併により神石高原町となった。

 (2)豊松村
 豊松村は、遠く人皇九代開化天皇六世の孫息長日子王、この里に拠りて近国を鎮め給い、その子孫代々この地に住み給う、の故事がある。
 崇仁天皇54年、皇女豊鍬入姫、神鏡を奉じ今伊勢の宮から吉備国名方浜宮に入り給う途次、この地に移り、しばし神鏡を留め給う。後、この地を去り給うに当たり、住民名残を惜しむにより、神鏡を止め給いし松に、豊の一字をとりて、豊松と命名されたり、と伝っている。
 町の周辺には、双子古墳を始め、四囲の古墳、城址が多く、往古を考証する文化資料も多く現存している。
 戦国時代、雲州(出雲)富田の城主尼子氏の所領となったが、毛利氏の併呑(取って自分のものにすること)を経て、慶長年間、福島正則の所領となり、元和5年、福島城主水野勝成が領したが、元禄11年、本村は公領となり、公領の分与に当たり、下豊松村は、一時小畑代官の配下に入り、公領下の四ケ村(上豊松村、笹尾、中平、有木)は、石川代官の支配を受け、嘉永6年、阿部氏に属して明治維新になった。
 明治8年から同11年まで、五ケ村の他、上野、近田、花済、李の四ケ村を管轄して、事務所が中平に置かれた。その後、区画改変を経て、明治17年7月、有木、中平、下豊松、笹尾の四ケ村を戸長役場にまとめ、同21年、役場を中平に置き、翌22年、町村制の施行により、上記の四ケ村組合が誕生した。
 明治30年7月、四ケ村組合と上豊松を併合して豊松村と改称、役場を中平に置いたが、明治44年12月、村役場を下豊松に移転した。
 平成16年11月、油木町、神石町、三和町との合併により神石高原町となった。

icon 3.神石高原の地形



 中国山地の南側には「吉備高原面」と呼ばれる標高約400~600mの比較的起伏の少ない起伏が広く発達している。油木町や豊松村は、この吉備高原面に含まれているが、海抜500~600mと吉備高原面の中では最も高く、この地域が特に「神石高原」と呼ばれており、本地区の名称の由来となっている。
 神石高原には、吉備高原面が形成されてから噴出したとされる玄武岩の小丘や小規模な台地が数多く残されており、仙養山(716m)もその一つで、吉備高原面より約100m突出している。
 この仙養山の頂上は、比較的平坦で「仙養ケ原」と呼ばれている。また、仙養山とともに600mを越す残丘性の小山地や玄武岩鐘は、高原の単調さを破っており、権現山(678m)、米見山(661m)等がそれである。
 このような神石高原のなだらかな山頂面は、浸食によって形成されたもので、その高原の上を道路が縦横に通じ、多くの集落が点在している。一方、高原上の山地よりも高原面を深く刻む渓谷及びその支流の谷の発達は、神石高原の交通を阻む要因にもなっている。
 1級河川高梁川水系帝釈川、天田川、小田川及びこれらの支流は、典型的な河谷形態であり、かつ天田川の谷壁は極めて急でほとんど平地がないため、谷底を通る川沿いの道路は発達しにくく、厳しい道路の線形を余儀なくされている。
 このように、この地域の地形は、吉備高原特有の緩起伏平坦面と、それを深く開析して発達した渓谷の幼早年期浸食河谷地形の二つの極めて対照的な地形要素から成り立っている。そして、これらの地形的特長が、この地域の居住、産業、交通等にも影響してきている。


002

空から見た神石高原 仙養ケ原

icon 4.神石高原の気候



 神石郡は、中国山地(広島県の西北端、冠山(1,003m)から鳥取県の東北端、氷ノ山(1,510m)に至る間)のほぼ中央に位置し、南北方向にも、日本海と瀬戸内海を結ぶ線の中間であるため、気候は、山陽、山陰のいずれとも異なり、その中間的、両方の特長を具えている。
 吉備高原の西端に在るとはいえ、地勢は極めて複雑で、谷はV字状渓谷をなし、山ひだが幾条にも重なりあっている。
 こうした地形のなか、気候もまた極めて多種多様で郡全体を一口に纏めることは困難で、小字毎に古老の口伝による天気判断が存在している。例えば、仙養上野地区には、「ノロ雪、谷霜」、小野門原地区には、「巽の風は長雨の兆し」等があり、この地域独特の微気象が存在している。
 近年の特異な異常気象としては、昭和47年7月の集中豪雨が上げられる。これは、梅雨末期の典型的な雨で、油木観測所によると、7月9日から7月12日の4日間で466mmを記録している。特に手入地区では、流出家屋が4棟、道路は寸断され、広島県内の三次盆地が水浸しになる等、中国地方は希な大被害を受けた。
 一方、神石高原の地すべり指定区域はマクロ的には、広島県の大部分が属する山陽気候区に位置し、一般に温暖で、降水量は梅雨期、台風期を除き一般に少ない傾向にある。
 その昔、この地方では、農産物の先進地研修に、よく長野県が選ばれたと言われている。このことは、年間を通じて気温(温度較差)、降雨量等「長野県と似通った点が多い」ため、自然の景観や生活環境の面で「備後の軽井沢」と言われていた由来がある。
 油木観測所の過去10年間(平成5年から平成14年)の記録によると、年平均降水量は1,300mm程度と少ない。また、油木町、豊松村の年平均気温は、10~12度と冷涼であり、冬期間の積雪は少ないが厳しい低温になることがある。降霜期間は、初霜が10月中旬、終霜が5月中~下旬と約200日に及んでいる等が特長としてあげられる。

icon 5.地域農業の現状



(1)油木町
 油木町は、伝統的に農業を基幹産業として発展してきた。これまで油木町では自然条件を生かしながら地域特性に即した特色ある農畜産物の生産を行ってきた。とりわけ、「こんにゃく」の生産は、天明年間からの古い歴史を持ち、標高400~600mの高原で育てられた「油木のこんにゃく」は、全国的にも数少ない在来種(和玉)の一流ブランドとして広く知られ、その品質・味の良さは高く評価されてきた。また、油木町は、名牛「神石牛」の発祥の地として知られており、大正時代に牛市が開かれて以来、その一大産地としての位置づけを確立し、その肉質の素晴らしさは日本一とも言われてきた。この他にも伝統的な水稲をはじめ、高冷地の条件を生かした野菜や花きの生産が行なわれてきた他、近年では葉わさびや銀杏等の新規作物の導入も進めている。さらに、これらの産物を生かした加工食品の開発にも力を入れている。
 油木町では、農業の健全な生産活動の維持発展を確保するため、地域の実態に即した諸施策が実施されている。また、「油木百彩館(山地形成促進施設)」、アンテナショップ等を活用した魅力ある農業の推進と都市との交流による活性化を目指している。

003
油木百彩館
004
油木百彩館 内部

(2)豊松村
 豊松村の農業は、古くから水稲、こんにゃく、葉たばこ及び和牛との複合経営を中心とした農業が行なわれてきたが、高度経済成長以降、過疎化、高齢化とともに兼業化が進行し、特に価格の低迷で、特産であるこんにゃくと和牛の生産は激減し、遊休農地が増加しつつある。しかし、近年は、冷涼な気候を生かした高冷地野菜や花きの取り組みもされている。特に夏秋トマトは、市場で高い評価を得ている。
 豊松村の農業の方向としては、土地利用型農業ではなく、施設化農業へシフトしていくことや遊休農地の解消と担い手の育成を目標に取り組みを実施してきた。平成6年度に農業公社を設立、さらに、過疎化による農地の減少に歯止めをかけ、特産のトマトの増産をはかるべく平成7年から「アグリパーク陽光の里とよまつ(トマト団地)」構想を実現させたことで、村外からの入植者も増加し、村内の活気を呼び起こし、若者に魅力ある職業の一つとして定着してきている。


005
陽光の里-トマト団地
006
こんにゃくの植栽

icon 6.神石高原地方の主な災害



 広島県の北東部に位置する神石高原地方は、瀬戸内海性気候特有の小雨地帯に属し、大きな災害の少ない地域とされているが、神石郡誌、農業百年史(油木町農業委員会編)等から過去の大きな災害の記録を拾ってみると
 (1)昭和19年9月20日 台風災害 死者30人、不明8人、田畑流出737町歩。
 (2)昭和27年7月19日 神石郡西部地区を襲った集中豪雨 2時間余りで120mmの豪雨。
 (3)昭和45年8月21日 西日本を横断した台風10号は、中国各地に未曾有の大きな被害を出した。特に三和町を中心に道路の決壊、土砂崩れ、家屋の崩壊、農地流出の被害が大きかった。
 (4)昭和47年7月19日~11日 梅雨前線豪雨による洪水被害 3日間で482mmの豪雨。河川は氾濫し、神石町、油木町全域に山崩れ等が起こり、死者2名(県下では39名)、家屋の崩壊・浸水、農地・農業用施設の流出・崩壊多数。

007
地すべりによる農道への被害
008
地すべりによる農地への被害

icon 7.地すべりの仕組みと機構



 (1)地すべりとは
   1)土地の一部が、地下水に起因してすべる現象、又は、これに伴って移動する現象いう。
   2)これらの現象を引き起こす地質は、
    ア・土砂、石礫、年度等で出来た層が何段にも積み重なった地層になっている。
    イ・この地層の中で粘土や岩盤は、水を透しにくいため、長雨や雪解け水等が侵入し、この境に溜まって地下水が上昇することにより、地すべりを引き起こす原因になっている。
   3)一方、山の傾斜の急なところで、もろい岩やレキ混じり土砂等の堆積した地層のところでは、豪雨の時に斜面が急激に崩壊することがあり、これを山崩れ(又は、がけ崩れ)といって地すべりとは区別されている。

 (2)地すべりの性質
   地すべりは、山崩れと比べ、主に次のような動きの性質がある。
   1)地すべり発生斜面の傾斜が緩い。
   2)移動している土塊が原形を保ちながらゆっくり動く。
   3)同じ斜面で繰り返し発生し易い。

 (3)神石高原地区 地すべり発生の仕組み
   1)素因(もともとの性質=地形や地質)
    ア・基盤となる地質の内、備北層群は固結度が低く風化し易い性質がある。
    イ・地すべり活動は、過去の地すべり地域の中で認められ、崩積土・風化岩は、土砂化・粘土化し、すべり面が出来易い。
    ウ・地すべり斜面の上部は、仙養山玄武岩類(キャップロックの役割)が広く分布し、豊富な地下水の供給源となっている。
      この地下水が地すべりを発生させる最大の誘因となっており、すべり面の地下水が上昇し、この面付近の土のマサツ抵抗力を大きく低下させている。

   2)誘因(外からの引き金=降雨、浸食、浸透、地震や人工盛土)
    ア・地すべり活動は、大雨の後、活性化している。
    イ・各区域とも地下水が豊富で、かつ、地下水位が高い。
    ウ・地すべりブロック(土塊)の末端を横切る沢・小渓流等が浸食によって、末端部の押さえとなっている土砂等が流亡し(土塊のバランスが崩れ)、地すべり発生の誘因になっている。


009

地すべりの仕組み

icon 8.事業の概要



 (1)概要
 本地区は、広島県の東端、岡山県境近くに位置する広島県神石郡油木町、同郡豊松村内 11ケ所の農村振興局所管地すべり防止区域を対象としている。この地区は、海抜716 mの仙養山周辺の緩斜面9区域とやや北に離れた2区域からなっており、区域内の農地に は、水田、普通畑、樹園地が介在し、水稲を基幹に清涼な気象特性を活かした畑作(こん にゃく、野菜)が行なわれている。
 この区域内には、過去の地すべりにより形成された規模の大きな地すべり地形や崩壊地 形が広範囲にわたって分布しており、この地すべり内に発生している二次、三次の地すべ り活動によって農地や道路、人家等に被害をもたらしている。近年では、昭和19年、昭 和47年の豪雨により地すべりが発生し、住宅の倒壊、農地、道路等が甚大な被害を受け た。本地区の地すべりの特徴は、活動が緩慢なため、長期にわたって歪みが累積した後、 数年おきの豪雨等に被害が顕著に現れることである。
 本事業では、地すべりによる被害を除去又は軽減し、恒久的・予防的な地すべり防止対 策を実施するため、平成6年度に全体実施設計を実施し、翌7年4月に着工、10ケ年の 工事施工の後、平成17年3月に事業が完了した。なお、総事業費は約68億円である。


区域及び地籍
016

 (2)主要工事
 神石高原地区では、地すべり区域において地すべりブロックを識別し、その危険度及び 対策の緊急度・重要度を評価して最も効果的かつ経済的な防止対策工法を選択している。
 地すべり防止対策工法は、地すべり要因の軽減、除去や抵抗力を付加することにより、 地すべりを安定させようとするものであり以下の2工法に分けている。
 抑制工:地すべりの活動を除去、軽減させることにより、地すべりを安定させる工法
     排水路工、暗渠工、水抜きボーリング工、集水井工等
 抑止工:地すべり活動に対する抵抗力を付加することで、地すべりの安定を図る工法
     杭打工、擁壁工


主要工事一覧表
017

010
集水井の施工
011
抑止杭の施工
012
擁壁工の施工

icon 9.環境に配慮した工事



 地すべり等防止法第1条(目的)には、「・・・地すべり及びぼた山の崩壊による被害を除去し、又は、軽減するため、地すべり及びぼた山の崩壊を防止し、もって国土の保全と民生の安定に資することを目的とする。」ことが基本的理念として述べられている。
 本事業では、地すべりの防止対策工の実施によって農地及び関連する施設の崩壊を防止し、関連農家の営農への不安をなくすることであり、安全で安心して農業に従事できる環境を整備することである。
 本地区も「災害のない美しい農山村」を目指して、この事業目的達成に向けた様々な取り組みがされてきた。
 本地域の仙養山周辺では、玄武岩等の大小の転石が多く、古くから家屋の石垣や田畑の畦畔、用排水路の護岸等に広く利用されてきている。
 特に工事施工現場は、狭くて急峻なケ所が多く、資材搬入、施工面からも対策工事で発生する残土や転石は、極力流用(再利用)を図ることとした。
 このことにより、①コスト縮減、②コンクリートから石積にすることで周辺景観に溶け込んで違和感がない、施設(水路工、擁壁工)となっている。
 なお、これら環境に配慮した工法を採用したことについては、工事施工時の地元関係者への説明も十分されており、施工後の状況について、一定の評価を受けている。

013
自然石を再利用した排水路
014
自然石を再利用した擁壁

icon 10.施設の維持管理



 地すべり防止施設を構築した後、施設が目標どおりの機能を有し、防止効果を発揮するよう各施設について適切に管理することが重要である。
 調査は現地踏査と計器観測の2種類があるが、継続的に観測することが重要である。特に、大雨及び地震の後は注意する必要がある。
 (1)地すべり土塊の状況
   ア・新たなクラックが発生していないか、又、拡大はないか。
   イ・新たな不当沈下はないか、又、拡大はないか。
   ウ・新たな湧水が発生してないか、又、湧水量に変化はないか。
   エ・湧水が濁っていないか。
   オ・その他
 (2)地すべり防止施設の点検
   ア・水路、擁壁、法枠等に亀裂、破損はないか。
   イ・水路に土砂が流入して機能を阻害していないか。
   ウ・水抜きボーリング孔の排水状況に異常はないか(水量・濁り)
   エ・集水井の排水状況に異常はないか(水量・水位・濁り)
   オ・その他
 (3)観測計器
   ア・水位計の数値に異常はないか。
   イ・傾斜計の数値に異常はないか。
   ウ・GPS等による地盤変位に異常はないか。
   エ・その他

015

地下水位・孔内傾斜観測装置