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斜網地域の大規模畑作地帯と斜里岳
(出典:「オホーツク斜網地域 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の全貌」(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3)
 
1.斜網地域の概況
2.斜網地域の農業
3.農地開拓の歴史と土地改良
4.斜網地域の大規模畑地整備(国営畑地帯総合土地改良パイロット事業)
5.新たな畑地かんがい技術の導入
6.未来へ輝く大規模畑作農業


1.斜網地域の概況



図-1 斜網地域位置図
(著者作成)
 斜網地域(北海道網走市・斜里町・小清水町・清里町・大空町(旧東藻琴村))は、北海道の東北端に位置し、北はオホーツク海、東は世界自然遺産の知床半島、南は斜里岳や阿寒国立公園、西は網走湖や能取湖(のとろこ)など、大自然に囲まれた恵み豊かな地域である(図-1)。
 気候は、北海道でもオホーツク海沿岸特有の低温・寡雨・多照な特徴を有する地域で、年間の平均気温は6.2℃(斜里地点1991~2020年の30年間の平均、気象庁)、農耕期間の平均気温は15℃程度、12月から翌3月までは月平均気温が0℃以下である。冬はロシアのアムール川から南下してくる流氷で覆われ寒さは一層厳しくなる。降水量は8・9月に多少多くなるものの、年間降水量は802mmと日本の中でも最も少ない地域である(図-2)。農業を営むにはこの低温・寡雨な条件はかなり厳しく、特に夏場には冷たい空気を持つ「オホーツク海高気圧」の勢力次第で気候が大きく変動し、春先にはフェーン現象により斜里岳方面から強い風が吹き下ろし、農地の表土と農作物の苗を根こそぎ飛ばしてしまうこともある(写真-1)。
 
図-2 網走市の気温と降水量
(出典:「オホーツクの農業2023」オホーツク総合振興局 R6.3 一部加工・追記)
また、地域の南側には斜里岳をはじめとする1,000m級の山地が連なり、火山噴火による火砕流や溶岩流が北側のオホーツク海に向かって流下して形成された緩やかな洪積の台地と、斜里川など河口に形成されたデルタ低平地がこの地域を形成している。よって農地は火山性土や低位泥炭土などの特殊な土壌を基盤としている(図-3)。
 このように、冷涼・少雨で短い耕作期間や冷害・干害・風害を受けやすい土壌、排水不良などの厳しい自然条件の下で農地が開拓され、農業技術の進歩や土地改良による生産性の向上、そして弛まない営農努力により今日の斜網地域の農業が確立されてきた。
 この斜網地域で、昭和53年から平成18年にかけて行われた「国営畑地帯総合土地改良パイロット事業(小清水地区、斜網(しゃもう)西部地区、斜里地区)」により整備された農地は約22,000haに及び、現在、大規模畑作地帯として日本の食料生産を担う主要地域となっている。

写真-1 風蝕による表土の飛散(清里町上斜里)
(出典:「オホーツク斜網地域国営畑地帯
総合土地改良パイロット事業の全貌」
(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3))
図-3 オホーツクの特殊土壌分布
(出典:「オホーツクの農業2023」
オホーツク総合振興局 R6.3 一部加工・追記)


2.斜網地域の農業



写真-2 小麦・てん菜・馬鈴薯の輪作畑
(出典:「北の農村フォトコンテスト」応募作品 (一社)北海道土地改良設計技術協会)
 斜網地域の農業は、寒冷地型の大規模畑作農業が主体である。北海道では稲作・畑作・酪農などが盛んであるが、この地域では小麦・てん菜・馬鈴薯を中心に、機械化された大規模な面積での専業畑作経営が展開されている(写真-2)。近年では、豆類(大豆・小豆など)が増加し輪作体系に組み込まれたり、にんじんなどの野菜の導入も進んでいる。農業産出額は1,008億円(令和3年)、このうち野菜を含む畑作で3分の2を占める。過去に行われた農地開発による農地面積の拡大や、離農跡地の取得によって農家の経営耕地面積の拡大が進み、1戸当たり平均耕地面積が40ha規模と年々大きくなってきており、一層の生産の効率化が求められている(表-1)。
 
表-1 斜網地域の農業生産
(著者作成)
生産された農産物は、農協やホクレンを通じて出荷販売されるほか、地域にあるでんぷん加工場やてん菜製糖工場(写真-3)などで加工・出荷される。また最近では、豆類の生産拡大と安定出荷、品質安定などを目的とした「ビーンズファクトリー」が平成30年から操業している(写真-4)。


写真-3 ホクレンてん菜製糖工場(斜里町)
(著者撮影)
写真-4 14農協が共同利用するビーンズファクトリー(大空町)
(著者撮影)


3.農地開拓の歴史と土地改良



 北海道の本格的な農地開拓が始まったのは明治時代といわれている。
写真-5 明治時代の開墾風景(斜里町)
(出典:「斜里町のあゆみ」 斜里町HP)
 政府は明治2年に「開拓使」を設け、農業や鉱工業などの新しい産業を興し、北方警備にも努めた。3県1局時代(明治15~18年)を経て北海道庁が設置(明治19年)された頃から北海道への移民が急増した。
 移民は、様々な理由や形態で行われた。領地を失った東北地方の士族、時代の流れで失業に追い込まれた全国各地の士族、その士族授産と併せロシア南下に対する国防と開拓を目的とした屯田兵、未墾地の払い下げを受けた会社組織による移住者、全国各地域の府県単位での団体移住者、一般単独の農民移住者など様々であった。明治2年に約6万人であった北海道人口は、移民により明治34年には100万人を超え、開道50年の大正7年には217万人に達している。
 
写真-6 今に残る殖民地区画の農地
(清里町上斜里)
(出典:「オホーツク斜網地域 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の全貌」
(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3)
斜網地域は、北海道でも交通の不便な北東端に位置することから移住の時期が他地域より遅かったが、漁場が近い現在の網走市近辺から徐々に移住者による農地開拓が始まった。明治30年代以降大正にかけて、資本家による地主直営農場や団体移住者による農地の開墾が進み、農業地帯としての基礎が形成された(写真-5)。この頃、殖民地区画が設定され入植が行われたことから、現在においても地域内には整然と仕切られた方形の農地が広がっている(写真-6)。
 開拓当初は、主に自家用の麦類・雑穀・馬鈴薯などが作付けられたが、明治37年、止別(現小清水町止別)で稲の試作に成功すると、地域内の河川周辺の低地では造田熱が高まり、水稲作が普及した。同時期に、地域内の低平地(泥炭地や過湿地)で幹線規模の原野排水溝工事が国費により行われ、第1期北海道拓殖計画(明治43年~大正15年)の下ではさらに支線規模の排水溝工事が行われた。ピーク時(大正7年)には地域内の水田が3,800haにも及び、土功組合が設立され、かんがい溝の掘削が盛んに行われた。
図-4 オホーツクの水稲作付面積と反収
(出典:「網走地域の農業開発」網走開発建設部 S60.3)
 しかし、大正末期から昭和初期にかけて行われた稲作は、昭和6年以降の米価の低落、昭和6・7・9・10年と続いた冷害による極度の凶作をきっかけに急激に衰退した(図-4)。またこの頃商品作物の主体であった豆類もやはり連続冷害により大きな被害を受けた。そして、この冷害を契機に馬鈴しょ・てん菜など耐冷作物の導入の必要性が改めて強調され、斜網地域の農業は麦・豆・馬鈴しょ・てん菜など多作目複合輪作型の農業へと再編されていった。
 第2次世界大戦後、斜網地域の農業開発は、北海道開発政策の転換に伴って新たな展開を見せた。戦後帰農者の受け入れと食糧※確保のための緊急開拓事業(昭和20年)により新たな入植地の開拓が行われ、既耕地帯では食料増産策として引き続き暗渠排水・客土などの土地改良が実施された。また開拓事業として昭和22年から斜網地域内で直轄明渠排水事業(9地区、計27.2km)が実施された。(※「緊急開拓実施要領」では、「食糧」となっている。)
 
写真-7 戦後に行われた排水路整備
(飽寒別排水路、斜里町)
(出典:「オホーツク斜網地域 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の全貌」
(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3)
その後、土地改良法の制定(昭和24年)、北海道開発庁の設置(昭和25年)などにより、北海道における土地改良事業の制度、実施環境が整備され、斜網地域では生産性向上のための様々な土地改良事業が展開されている。国営かんがい排水事業は、北海道においては①総合かんがい排水事業、②直轄かんがい施設事業、③直轄明渠排事業に分類され事業が採択された。斜網地域では、総合かんがい排水事業「宇津内地区(S25-30)」、直轄明渠排水事業「浦士別地区(S25-28)」「飽寒別(あつかんべつ)地区(S27-30)」「止別地区(S30-41)」が採択され、いずれも低平地の排水整備が行われた(写真-7)。また昭和37年以降、6地区の直轄明渠排水事業「清里地区(S37-44)」「斜里左岸地区(S40-46)」「丸万(まるまん)地区(S42-48)」「斜里右岸地区(S43-54)」「止別川(やむべつかわ)上流地区(S44-59)」「音根内(おんねない)地区(S46-54)」が実施された。
 また斜網地域は全国でも最も雨が少ない地域であり、干害が発生することから、北海道で初めて畑地かんがいが試みられた。昭和28年より斜里町朱円で道営畑地かんがい事業が実施されたが、残念ながらS32年に中止の止むなきに至っている。これにより、北海道の畑地かんがい事業は次期尚早とされ、道内の畑地かんがい事業は全て見送られた(朱円では後の昭和48・49年に、中止したかんがい施設を復元利用し、畝間かんがいからスプリンクラー散水に変更した団体営てん菜多目的散水設備事業で用水が確保された)。
 また斜網地域の一部では、主としててん菜振興に係る補助事業により、でんぷん加工場から排出される澱粉廃液の農地還元のためのかんがい施設を設置したところもある。
 開拓事業は、未墾地の開墾による自作農の創設から既存農家の規模拡大のための事業へ、また道路や用排水施設などの基幹施設を一体整備する農地開発事業へ総合化されていった。
 斜網地域では、開墾建設事業として昭和28年までに15地区(計11,493ha)で実施され、その後、国営開拓パイロット事業2地区(計1,924ha、「峰浜地区(S45-53)」「斜里山麓地区(S46-63)」、道営農地開発事業4地区(計443ha、「丸万地区(S45-48)」「札神地区(S44-47)」「青葉地区(S46-53)」「藻琴地区(S46-53)」)が実施された。


4.斜網地域の大規模畑地整備(国営畑地帯総合土地改良パイロット事業)



(1)国営畑地帯総合土地改良パイロット事業着手の経緯

 またこの頃、従来既耕地の整備事業として個別に行われてきた区画整理、小規模かんがい排水、暗渠排水、客土、更に農道開設などの圃場条件の整備のための各種事業を統合し一貫施工する圃場整備事業が創設(昭和38年)されるなど、事業の総合化が進められていった。これにより、換地による農地の集団化が可能となった。
 しかしながら、昭和38年に定められた総合土地改良事業の内容では、北海道の畑地帯で必要とされていた①排水改良、②営農用水、③道路整備、④散在する未墾地の開畑、⑤既耕地の耕地整備・耕土改良を国営事業として総合的に実施することはできなかった。このことに関し、北海道の畑作地帯を対象とした総合事業の創設に向け農水省で度重なる検討・調整が行われ、制度上の課題解決を図りながら「国営畑地帯総合土地改良パイロット事業(略:国営畑総パ事業)」が創設されることとなった。
 一方、この時の斜網地域の課題は、①しばしば発生する干害・風害防止のため、畑地かんがいなど畑地用水の確保、②オホーツク海沿岸低地帯の排水改良、③残されている未墾地の開発、④丘陵地帯の無数の浸食谷と波状地形で開墾から取り残された細かい未墾地を農地化し、経営規模の拡大を図ること、⑤④と併せて農地の傾斜改良を行い、農作業及び散水かんがい作業の効率化のための機械化を促進するとともに、⑥大型機械の移動及び諸資材の運搬に必要な道路網の整備であった。これらの中で特に望まれていたのが、畑地用水の導入とほ場の傾斜改良である。機械化散水の導入には、均等なかん水やかんがい作業の省力化のため、傾斜改良は重要な対策であった。
 これらの課題を解決するため、畑地帯での事業の総合化の動きを受け、畑地かんがい、排水改良、農地開発、圃場整備を総合的に行う国営畑総パ事業を実施することになった。斜網地域では、かねてから様々な土地改良事業により農地の整備が進められてきたが、国営畑総パ事業はこれらを統合的し、また末端まで国営事業で一貫して効率的・相乗的に整備することができ、地域の実情に合った大事業となった。

(2)事業の内容

 斜網地域における国営畑総パ事業は、昭和46年度から調査が開始され、昭和53年に小清水地区、58年に斜網西部地区、61年に斜里地区が順次着工し、平成18年の完了までに22,000haの畑地が整備された(図-5、表-2)。その中でも、18,000haに及ぶ大規模畑地かんがいは、規模・内容ともに国内でも類例を見ない。

図-5 斜網地域の国営畑総パ事業計画一般図
(出典:「オホーツク斜網地域 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の全貌」
(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3)

表-2 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業3地区の事業概要
(出典:「国営土地改良事業事後評価資料(斜里・斜里二期地区)」北海道開発局 H29.8 一部加工・追記)

① 畑地かんがい
 斜網地域は、小麦・てん菜・馬鈴薯などを主な輪作作物とした大規模畑作地帯であるが、年間降水量が800mm程度の全国有数の寡雨地帯であり、保水性に劣る土壌を有し干害を受けやすく、オホーツク特有の強風で表土や種子・幼苗が吹き飛ばされるなど風害にも悩まされてきた。農業生産の安定化と収益性の高い野菜の導入、防除・施肥・洗浄等の多目的用水の確保のため、新たな大規模畑地灌漑システムを導入した(写真-8)。
 斜網地域の畑地灌漑システムは、北海道の畑作地帯で新たに導入された技術であり、次章で詳述する。
 3地区の当初計画では、各地区独自の水源施設を計画したが、事業を進める中で、かんがい面積の減少、農作物の作付体系の変化及びかんがい技術の向上などにより水利用量が減少し、緑ダムによる貯水と一部支渓流からの取水で3地区全体の水源確保が可能となり、緑ダム、清泉頭首工を3地区の水源施設として共用することとした(写真-9)。
 また斜網西部地区では、でんぷん工場の廃液を農地に還元する「肥培かんがいシステム」を整備し、農地の肥沃化と環境負荷の軽減を図っている。

写真-8 畑地かんがいの様子(てん菜へのかん水)
(出典:「北の農村フォトコンテスト」応募作品
(一社)北海道土地改良設計技術協会)
写真-9 水源として建設された緑ダム
(著者撮影)

写真-10 多段型落差工を設けた豊里川排水路
(出典:「国営土地改良事業事後評価資料(斜里・斜里二期地区)」
北海道開発局 H29.8)
② 排水改良
 斜網地域の農地排水は、中小河川を基幹排水路としているが、流下断面が小さいことや河床自体が高いことから基幹排水路としての機能が不足していた。降雨時及び融雪時には河川水位の上昇により農地の排水が困難となり、湛水及び過湿被害が発生するとともに、農作業の開始が遅れるなどの悪影響を受けていた。このため、6,300haを受益地とした排水改良(計20条、52km)を実施した。
 この地域の基幹排水路となっている中小河川の流末は、涛沸湖(とうふつこ)などの湖沼やオホーツク海である。これらの地域では内水面漁業や沿岸では増殖漁業が営まれており、サケ・マスなどが豊富で優良な漁場となっている。このことから、排水路の整備にあたっては、自然環境保全・水質保全等の観点から漁業者と調整し、経年的な魚類影響調査等を行うとともに、工事実施に際しては汚濁防止対策や施工時期などの調整を行った。また、魚類の生息や景観に配慮した護岸工法や、魚類の遡上などに配慮した多段型(階段型)落差工を採用した(写真-10)。

③ 農地造成及び区画整理
 農地造成は、主として小沢が入り込む波状地形の高台部において、傾斜条件などから耕地化が困難であったところを中心に行った。既耕地と造成地が錯綜するため農地造成と区画整理を一体的に行うことが効率的であった。
 造成農地及び区画整理の区画形状は、明治の開拓時に設定された格子状の殖民地区画(一辺300間(540m×540m))を基本に12分割(90m×270m)し、大型の農作業機械による効率的な栽培管理が可能な形状としている(図-6)。
 農地造成の工法は、改良山成工を主体としたことから、一般的に造成コストが高くなる傾向にあったものの、周囲の既耕地と一体的な土地利用が可能となり、生産基盤の集約化を図る上で大きく貢献した(写真-11)。
 また、斜里町では、一般ほ場から離れた山間地の農地造成により、病害虫の蔓延を防ぎやすい種子用馬鈴薯団地が形成され、安定供給につながった。
 農地造成面積は、1,466ha(小清水地区778ha、斜網西部地区453ha、斜里地区235ha)、区画整理面積は、7,593ha(小清水地区)に及んだ。
図-6 斜網地域の区画形状と一体整備
(著者作成)
写真-11 農地造成と区画整理で形成された大区画圃場
(出典:「北の農村フォトコンテスト応募作品」
(一社)北海道土地改良設計技術協会)

④ 道路
 営農基地(住宅、集出荷施設など)と農地造成や区画整理を行った団地を結ぶ農業交通網として、幹線道路4条28kmと支線道路4条15kmの道路整備を行った。
 なお、この地域は積雪寒冷地特有の現象として路床部に凍結融解が発生し、舗装や路盤の荷重支持力が低下し、不陸などが生じ走行性を損なうことから、対応策として凍上抑制層(70cm)を設けている。


5.新たな畑地かんがい技術の導入



 斜網地域の農業は、1戸当たりの耕作面積が15ha程度(事業計画時点)の大規模畑作経営で、小麦・てん菜・馬鈴薯を主体とした輪作体系が確立され、野菜などの導入も進み作付け・収穫・栽培管理の一連の農作業の機械化が進んでいた。また、かんがい対象農地の大部分が丘陵地で波状地形を呈しており、これらの条件下で効率的にかんがいできる技術は日本では見られなかった。
 一方同時期には、斜網地域と同緯度に位置し、経営規模や栽培作物(小麦・てん菜・馬鈴しょ)が斜網地域と類似しているフランスでは、既に自動定圧定流量分水栓や自走式散水機などで構成された大規模畑地かんがいシステムが確立されていた。このため、フランスのかんがい技術を斜網地域に応用できないか、詳細にわたって技術的な視点から導入の可能性を検討し、最終的にはフランスの技術を基本とした新たなかんがいシステムを確立した。
 
写真-12 導入された自走式散水機
(リールマシン)
(出典:「オホーツク斜網地域 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の全貌」
(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3))
散水方式として、過去の事業では、農地の畝に沿って用水を流下させる「畝間かんがい」や固定式のスプリンクラーによる散水としていたが、斜網地域では馬鈴薯やてん菜など土地利用型作物の大面積へのかん水を行うことや、農地が植民地区画を基本とした方形の大区画であることなどから、省力的にかん水が可能な「自走式帯状散水ガン(通称、リールマシン)」(写真-12)が導入された。
 これは、散水ホース巻取り用の大型リールと散水ノズル(レインガンなど)を移動型台車に取り付けた構造で、ほ場に設置された取水栓が有する水圧により、リールが自動でホースを巻き取りながらかん水することができ、方形区画の長辺方向(270m程度)に散水ノズルをセットするとホースを巻き取りながら長時間自動で大面積を散水することができる。また、ほ場間を容易に移動できローテーションを組んだかん水が可能となる。
 また、同時に導入された「自動定圧定流量取水栓」(写真-13)は、ほ場毎に取水栓として設置し、どのほ場でも一定の水圧で一定量の取水を可能にするバルブである。通常、各ほ場までの配水管路の内水圧は、ほ場の標高や同一配水系統内の他の取水栓の利用状況により常に変動しほ場での取水量も大きく変動する。しかし、「自動定圧定流量取水栓」は、管内水圧の変動の影響を受けることなく、ほ場では一定の取水圧・取水量を各農家が確保できるため、水利用者間での利用調整がなくなり、各農家の必要度に合わせ自由に取水が可能となる。
 
写真-13 導入された自動定圧定流量取水栓
(出典:「オホーツク斜網地域 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の全貌」
(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3))
また、取水栓に付帯する自動計測装置により常に使用量が計測され、この値をもとに正確なかん水作業ができる。
 また、取水標高の違いによる配水管路内の圧力差の発生を許容できることから、高低差のある広い区域を一つの配水系統にまとめることができ、送配水施設をシンプルにできる。その結果、斜網地域全体の配水ブロックを13系統にまとめることができ、大幅な工事費の削減と散水作業の効率化、水管理の簡素化、さらに高圧パイプラインの安全な稼働を確保できた(図-7)。
 新しいシステムの導入にあたっては、これまでフランス型の畑地かんがいシステムの日本での実績はなく、また地域の気候・地形・土壌・作付け作物、ほ場の大きさ、営農規模、水の使い方の制約などによって適したかんがいの方式が決められていくものであり、この方式が斜網地域の条件に適したかんがい方法なのか技術的な実証を行う必要があった。
 
図-7 配水ブロックの一例(水上ブロック)
(出典:「オホーツク斜網地域 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の全貌」
(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3))
また、当然ながらこれまで畑地かんがいを行ったことがない農家がほとんどで、かんがいの必要性や効果、かんがい技術や施設の運転方法などを十分に理解するとともに、どれだけの労働力が必要か(手間がかかるか)などを明らかにし、農家の畑地かんがいの実践に向けた啓発が重要な課題であった。
 このため、昭和56年に清里町上斜里に「清里体験圃場(30ha、小清水地区)」、昭和58年に網走市音根内に「音根内体験圃場(18ha、斜網西部地区)」を設置した。その後、「北海道畑地かんがい検討委員会(S56年設置)」の調査検討と合わせて、ファームポンド以降の配水組織規模の体験ほ場として、昭和60年に小清水町泉に「泉体験圃場」を設置し、関係農家による自主的なかんがいの実践及び学識経験者や研究者の指導のもとに各種の調査・試験などが行われた。
 泉体験圃場は、かんがい面積223ha(取水標高65~90m)、関係農家戸数24戸(土地所有2.3ha~34ha、畑作専業20戸・酪農専業1戸・野菜専業1戸ほか)に対して、圃場給水栓(自動定圧定流量分水栓35栓)を整備し(写真-14)、海外の代表的な散水機(自走式リールマシン21台・他型式散水機2台の合計23台)を配置した。
 主な調査・試験及び実験は、
 ①高圧大水量の配水管路と分水、ほ場施設と散水施設の選定及び機能等の適正調査
 ②大規模畑地かんがいの諸元検証
 ③地域全体のかんがい水量と作付け体系の変化を把握
するもので、「北海道畑地かんがい検討委員会」で技術的な検討がなされた。
 
写真-14 泉体験圃場の取水栓操作
(出典:「オホーツク斜網地域 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の全貌」
(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3))
その結果、自動定圧定流量分水栓によって計画目標値の10%の範囲内で安定した水量・水圧が確保され、ほ場整備により利用可能となった自走式散水機の導入によって、散水の省力化や散水時間の延伸(14→22時間)など大きな成果が得られ、大規模畑地かんがいシステムの技術的基礎が強固なものとなった。
 また何より、関係農家が実践を積みながら新たなかんがい技術を習得していったことの意義は大きい。この泉体験圃場での調査・試験結果及び実践農家の体験について、事業の受益者などを対象とした報告会が毎年行われ、学識経験者や研究者の講演、営農普及員・受益者などの意見交換会も継続され、技術の普及が図られていった。さらに北海道開発局、北海道庁、農業試験場、農業改良普及センターなどの協力のもと、斜網地域の畑地かんがいの手引き「水を利用した新たな地域農業の展開」が作成・配布され、出前学習会でその内容が具体的に説明されるなど、かんがい技術の普及が進められた。
 フランスの畑地かんがい技術を導入した斜網地域の大規模畑地かんがい技術は、平成3年に北海道開発局が制定した「畑地かんがい用パイプライン計画設計技術指針」などに取り入れられ、従来本州各府県で行われてきた小規模畑地かんがい方式(スプリンクラー方式)とは大きく異なった大規模畑地かんがいシステム(自動定圧定流量分水栓・自走式散水機方式)を確立させ、その後の道内の他地域の畑地かんがい導入にも大きく貢献した。


6.未来へ輝く大規模畑作農業



 斜網地域では、明治の開拓以降、厳しい自然条件を克服しながら大規模畑作地帯として発展を遂げてきた。特に昭和53年から平成18年の長きにわたり実施された国営畑総パ事業をきっかけに、地域農業の拡大は目覚ましく、大きく農業構造を変えながら日本の食料基地としての役割を強めている。
 畑地かんがい用水が確保されたことによって、干害や風害が軽減され安定した農業生産が可能となったばかりでなく、輪作に新たに組み込まれるにんじんなどの野菜類にかん水することにより、さらに高品質の作物生産が行われるようになった。また、排水改良が進んだことにより農地のたん水被害が回避されるばかりでなく、降雨後のほ場でも速やかに大型機械での適時な作業が可能となるなど計画的な農作業に寄与している。またほ場の過湿解消による農作物の品質の向上も見られる。また、農地開発が1戸当たりの経営面積を拡大し安定した農業基盤となったことはもとより、未墾地と既耕地を一体的に整備し、圃場の大区画化や傾斜の改良が行われたことで農地の一体的な利用が可能となり、大型機械の導入が進むなど農作業時間が大幅に軽減され、さらなる営農規模の拡大や高収益作物の導入につながっている。
 小清水地区では、野菜類の作付面積が事業実施前の2倍以上に増加した。また斜網西部地区では、長いもの生産が増加し輸出が開始されるなど、農家所得の向上につながっている。
 一方で、農家数の減少と併せて今後さらに担い手農家の経営規模の拡大が予想される。今以上に農作業の効率化や省力化が求められるとともに、サスティナブルな環境保全型農業へのシフトが求められている。整備された大規模農地を生かしたスマート農業の取り組みや、かんがい用水を効果的に活用することによる新たな作物導入により輪作体系を確立し、良質な土づくりに貢献するなど、良好な農業基盤を生かした今後の農業の可能性に期待するところである。


引用文献
1.「網走地域の農業開発」網走開発建設部 S60.3
2.「オホーツク斜網地域 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の全貌」(一社)北海道土地改良設計技術協会 H26.3
3.「オホーツクの農業2023」オホーツク総合振興局 R6.3
4.斜里町史 斜里町 S30.4 S45.3  斜里町HP 町のあゆみ R7.2.1
5.「国営土地改良事業事後評価資料(小清水地区、斜網西部地区、斜里・斜里二期地区)」北海道開発局 H29.8

参考文献
1.「オホーツク開拓100年の夢」網走開発建設部 R7.2.1
2.「小特集 北海道の大規模畑地整備」農業土木学会誌 第74巻12号pp3~21 H18.12
3.「北海道の開拓と移民」北海道開拓の村 R7.2.1
4.網走市史 網走市 S46.3 S33.5
5.小清水町百年史 小清水町 S56.1
6.清里町史 清里町 S53.3

2025年11月20日公開