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(出典:岩見沢農業事務所資料)
 
1.はじめに
2.開拓の歴史と稲作の進展
3.過酷な自然条件とその克服
4.国営かんがい排水事業「空知中央地区」が拓く近代化農業
5.進む農地の大区画化とスマート農業
6.地域に愛される施設を目指して
7.おわりに

1.はじめに



図-1 空知中央地域位置図
(出典:空知中央地区事業誌)
 北海道農業と言えば、大規模な酪農や畑作を思い浮かべる方が大半であろう。しかし、北海道は全国の約7%、新潟県に次ぐ米の生産量を誇る稲作が盛んな地でもある。その中心地である空知地方では、北海道の約半分、全国の約3%の米を生産している。
 ここは「空知中央地域」(図-1)。北海道の中央部よりやや西方に位置する石狩空知平野、石狩川中流域左岸に広がる低平地帯である。北から赤平市、砂川市、奈井江町、美唄市、三笠市、岩見沢市(旧栗沢町と旧北村を含む)、新篠津村、南幌町の5市2町1村、国営かんがい排水事業「空知中央地区」が実施された区域の農地面積では2万7千haに及ぶ稲作地帯である。
 明治初期の入植以来、この地を生活の場として選んだ人たちは、手つかずの大地で寒さと闘いながら、森林原野を切り開き、暴れる川を治め、ぬかるみを克服し、土を動かし、水を引いて米づくりの経験を重ねてきた。それから約150年、世界的にも類例を見ない速さで一大穀倉地帯が築き上げられた。
 稲作にあこがれ、大地に鍬を下ろし続けてきた先人達の開拓魂と先見性に思いを馳せ、北海道の稲作をけん引する地域に発展した空知中央地域における水田開発と、これに大きな役割を果たしてきた土地改良の経過を辿っていく。
 

2.開拓の歴史と稲作の進展



写真-1 殖民地の開墾指導風景
(出典:空知中央地区事業誌)
(1)地域の開拓と造田
 北海道の開拓の始まりは、明治2年に北海道開拓を担う行政機関「開拓使」が置かれ、蝦夷地を「北海道」と改称し、移民政策や屯田兵制により開拓を促進した頃に遡る。以降、士族移民、官営移民、民営小作移民、団結移民などにより開拓が進められていった。その中でも、空知中央地域の開拓は、早くから様々な形で移住した人々の手によって行われ、多くは自由移住であったが、美唄市のように屯田兵や大農場が中心となったもの、三笠市のように集治監の設置に伴うものもあった。全道的に多い集団移住は赤平市、南幌町、新篠津村などに見られた(写真-1)。開拓の過酷さゆえに本州へ引き返す者も少なくなかったが、この地域では早くから炭坑開発(三笠幌内炭山が明治12年に開坑)がなされ、鉄道・道路などの交通網が整備され、その要所として市街地が形成されるとともに、農作物の需要も増えていった。
 
写真-2 直播器による種籾まき
(明治38年以降)
(出典:空知中央地区事業誌)
入植当初は北海道が稲作不適地であるとして稲作は禁止、畑作や酪農が奨励されたが、本州で稲作を経験してきた入植者の間には、主食である米を作りたいとのあこがれとも言うべき意識が根強く、道内各地で行われた稲の試作を経て、明治20年代に稲作奨励に転じていく。地域内では、岩見沢市内で明治19年に最初の稲の試作が行われたと記録されている(写真-2)。
 この頃はまだ組織的な用水の利用は見られず、小川や沢水を利用した自然水利に頼るほかなかった。従って反収も少なく、1石(約150kg)から多くても2石4斗(約360kg)ほどだった。明治30年代になると、北海道の人口増加にともなって米市場も拡大して価格が上がり、連作による障害が出始めた畑作から稲作への転作も目立ち始めた。そして大量の用水確保が必要になり従来の自然水利では間に合わず、各地でため池やかんがい溝を造成し水利組合がこれらを管理するようになった。屯田兵が入植して早くから技術指導がなされた美唄市や、水利に比較的恵まれていた岩見沢市では、一気に水田面積が拡大していった。北海道で初めて建設された「峰延二号川溜池」(明治26年完成)も美唄市内東部の山側にあり、現在も供用されている(写真-3)。
写真-3 峰延二号川溜池
(出典:北海土地改良区80年史)
 またこの頃、造田を飛躍的に拡大させた要因の一つが北海道土功組合法の制定(明治35年)であり、国庫補助による北海道の開田政策の強化であった。地域に土功組合(土地改良施設を整備・維持管理する公共団体)が設けられ、道路、橋梁、農業用用排水施設などの整備が事業として実施できることとなり、開田が積極的に行われた。同年には「岩見沢川向土功組合(現在は北海土地改良区)」が設立されるなど、空知中央地域には19の土功組合が相次いで設立され、その多くが「かんがい」を主とする事業を推進したことで、石狩川水系の流水を利用した稲作中核地帯が形成されていった。中には、農場主が当時としては画期的な蒸気機関を動力とした英国製ポンプを導入し、直接石狩川から取水を行ったところもある(写真-4)。このポンプ場は、現在では国営かんがい排水事業により改修され、1,300haの水田を潤す揚水機場として今も地域の用水供給の要となっている。このように、明治後半から大正にかけては急激に水田面積が増加したが、造田のスピードに用水の供給が追いつかず、地域内の各地で水利紛争が起きた時代でもあった。
 こうした状況のもと、一市町村での水利用ではなく、この地域を一大穀倉地帯に導く国づくりの発想から、石狩川中流左岸地域を対象とした大々的なかんがい溝計画が持ち上がった。第一次世界大戦や関東大震災により計画や実施の遅れを見せたものの、最終的には、「北海土功組合(大正11年に設立、現在は北海土地改良区)」により、赤平市の空知川頭首工(現在の北海頭首工)から取水し、南幌町までの約82kmに及ぶ「北海灌漑溝(現在の北海幹線用水路)」が建設されることとなった(写真-5,6)。
 
写真-4 当時の中村揚水機場
(出典:石狩川水系農業水利誌)
写真-5 空知川頭首工(昭和元年)
(出典:北海土地改良区80年史)
写真-6 北海灌漑溝(昭和4年)
(出典:北海土地改良区80年史)

 この北海灌漑溝は、厳寒の冬期にも工事を行い昭和4年4月に完成した。河川横断のための水路橋、逆サイフォンによる伏越工、水路トンネルなどの構造物(写真-7,8)などの建設を含め、約82kmの延長をわずか4年4ヶ月で完成させていることは驚きである。造田と用水確保に対する地域の熱意がいかに大きなものであったか伺い知れるところである。ちなみにこの時の造田計画は9,124ha、最大取水量は毎秒約16トンと先見性をもった計画となっており、この大かんがい溝が地域の水田面積の飛躍的な増加に寄与したことは間違いない(図-2)。

写真-7 河川を横断する水路橋
(出典:北海土地改良区80年史)
写真-8 逆サイフォン式の伏越工
(出典:北海土地改良区80年史)

図-2 空知の土地利用変遷(岩見沢周辺)
(出典:石狩川流域の土地利用開発100年、北海道開発局)
 その後、第二次世界大戦前までは米の収穫は順調だったが、昭和16年の日米開戦以降は資材や労働力の不足によって急激に減少した。昭和18年に食糧増産を目的に北海道土地改良5ヵ年計画が立てられ、開墾された農地を対象に基盤整備が進められたが、戦局の悪化で計画通りには進まず、やがて終戦を迎える。昭和初期から戦中にかけては冷害や洪水による凶作も繰り返し北海道を襲い、収穫の減少と農地の荒廃を招いている。


(2)総合開発による水源確保と国営総合かんがい排水事業「美唄地区」の着工
 戦後は、食糧増産と失業救済対策が急務であったことから、北海道では緊急開拓事業による未墾地の開拓や国営開墾建設事業による開田と水利施設の建設が進められた。同時期の昭和24年に土地改良法の制定、土地改良区の設置、昭和26年には北海道総合開発計画の策定と北海道開発局の設置、昭和27年には第1期北海道総合開発計画がスタートし、全道各地で国営かんがい排水事業が進められた。その1次・2次5ヵ年計画に位置付けられた「石狩川流域総合開発」では、地域の農業用水の主要な水源となる多目的ダム「桂沢ダム(幾春別川、三笠市)」「金山ダム(空知川、南富良野町)」(写真-9,10)が建設されるとともに、泥炭未墾地の水田開発や水田用水の確保、老朽化した水利施設の改修などが盛り込まれた。

写真-9 桂沢ダム(昭和31年完成)
(出典:空知中央地区事業誌)
写真-10 金山ダム(昭和43年完成)
(出典:空知中央地区事業誌)

表-1 美唄地区の事業概要
(美唄地区事業誌から作成)
 これらを踏まえ、昭和32年には国営総合かんがい排水事業の新たな制度のもとで約2万haを受益地とした「美唄地区」が着工し(表-1、図-3)、多目的ダムなどによる新たな水源開発を伴うかんがい用水の大幅な増量確保がなされ、北海頭首工、北海幹線用水路をはじめとする用水施設の新設・改修が行われた。
 北海道は、かんがい期の降雨が全国的に見ても少なく河川源流の安定的利用が望めないが、雪解け水をダムなどに貯留し適期に下流へ放流することでかんがい期の安定取水が見込める。今日、頭首工や揚水機場からの取水が安定して行われているのは、地区の上流に設置され、雪解け水を貯えた多目的ダムが十分機能を果たしているおかげである。ダムによる水源開発などにより、北海頭首工からの最大取水量は毎秒16トンから42.5トンと大幅に増量された。

図-3 美唄地区概要図(出典:美唄地区事業誌)

写真-11 北海幹線用水路の施工
(出典:美唄地区事業誌)
 北海幹線用水路は、通水断面の拡大と水路護岸の強化が必要であったが、かんがい期や厳冬期を避けた短い工期で、かつ大量の用水を流しうる確実な護岸整備が求められたことから、夏期に制作したL型ブロックを一気に並べる手法で工期を短縮しながら護岸を新たに築いた(写真-11)。これは道内のライニング水路施工の先駆的役割を果たした。
 この間、戦後の泥炭地開発や排水網の整備、用水施設の整備が進められ、現在の北海道一の穀倉地帯である空知中央地域の農地と水利用の原型が整った。時代は食糧増産から開田抑制、米の生産調整(昭和45年)と移っていったが、国営かんがい排水事業「美唄地区」は、一連のかんがい施設の整備を終え、昭和54年に事業を完了している。

3.過酷な自然条件とその克服



 空知中央地域では、今日の安定した稲作にたどり着くまでに数々の厳しい自然条件を克服してきた。その苦労には計り知れぬものがある。

(1)頻繁な冷害の発生
 一つ目は、北海道が寒冷地であるというハンディキャップである。
 地域を代表する岩見沢測候所の一般気象(気象庁統計、1981年~2020年)では、年間平均降水量が1,163mm、平均気温7.6℃であり、農耕期間(5月~9月)の降水量は514mm、平均気温は17.1℃となっている。
図-4 北海道の水稲作況指数
(著者作成)
 たびたび冷害に見舞われ米の収穫は不安定で、明治35年には22kg、大正2年にはわずか12kgの反収(全道データ)と記録されている。この頃(明治後半)の平均反収は180kg、ちなみに国営かんがい排水事業「空知中央地区」完了後の平成22年は作況指数98で525kgの反収(約3倍)となっている(図-4)。
 冷害の定義は幅広く難しいが、作物が生育中の一時的な異常低温による障害が発生したり、栄養生長期間の低温・寡照で生育が遅延する場合などを言う。年によってその発生形態は異なるが、夏でも冷涼な気候の北海道では冷害の可能性が高い領域での水稲栽培であり、常に冷害を意識した営農を行わなければならない。
 現在は、耐冷性品種の研究開発や栽培技術の進展により、冷害に強い稲作に移行してきていることは確かであり、以前よりは年ごとの収量の振れ幅も小さくなり安定してきた。しかし、近年においても冷害は完全には防ぎきれず、10年に1~2回程度の割合で大規模な冷害が発生している。平成5年の冷害時には北海道の作況指数は40、海外からの輸入米に頼らざるを得ない事態も発生した。
 特に、現在は食味を重視する傾向が強く、耐冷性がやや劣っていても良食味の品種を選択し作付けすることになる。現在の栽培品種は、「ななつぼし」「きらら397」「ほしのゆめ」「おぼろづき」「ふっくりんこ」、そして急増している「ゆめぴりか」などがあるが、新しい品種である「ゆめぴりか」でも耐冷性が十分ではないと言われている。
図-5 深水かんがいのしくみ
(出典:札幌開発建設部農業事業概要)
 よって、それぞれの品種特性に合った冷害対策を講じながら栽培を行う必要が生じている。その中で注目されているのは圃場の水管理で、特に冷害危険期(幼穂形成期及び幼穂伸長期の概ね半月)の「深水かんがい」が重要視されている(図-5)。7月上旬のイネの花粉が形成される時期に、気温より水温が高いことを利用し、茎の中にある幼穂を深く水を張る(15~20cm程度)ことで湛水させ、用水で保温することにより低温から守る技術で、水稲の品質、食味を低下させないための重要な営農技術である。
 国営かんがい排水事業「空知中央地区」(S54~H20)では、深水かんがいを行うために必要な用水の確保と、これに対応した用水施設の整備を行い、併せて関連する事業などにより深水かんがいに必要な水深を維持できる畦畔を備えた圃場の整備が進められた。

(2)河川の氾濫と低平湿地の開発
 空知中央地域は洪水の常襲地帯に位置する。地区内には国内で3番目の長さを有する石狩川をはじめ、空知川、美唄川、幾春別川、幌向川、夕張川などの河川が石狩川に注ぎ、流れが緩やかなところで河川が蛇行し洪水被害を繰り返してきた。石狩川はアイヌ語の「イ・シカラ・ペツ(=非常に曲がりくねった川)」が語源であるように、まさに氾濫域である低平湿地での水田開発であったし、現在も排水対策は重要な課題である(写真-12,13)。

写真-12 明治31年の大洪水(砂川市)
(出典:石狩川流域誌)
写真-13 昭和56年洪水(美唄市茶志内排水機場付近)
(出典:石狩川水系内水排除事業誌)

図-6 石狩川水系河川のショートカット
(出典:空知中央地区事業誌)
 治水事業の一つとして行われたのは、石狩川のショートカット(捷水路など)である(図-6)。大きく蛇行する河川が直線的に改修され、もともと延長が364kmあった石狩川が100km近く短くなり現在は268kmとなっている。流水が速やかに排水されることで洪水被害が大幅に軽減されるとともに、平常時でも石狩川の水位が最大で約3.5m低下したと言われている。本川の水位が低下すれば自ずと支流河川、農業排水路の水位低下が進み、原野が乾燥し農地化するとともに水はけの良い圃場が確保できる。
 次に、河川の切り替えも大きな要素であった。屈曲部の多い美唄川、幾春別川、夕張川などは蛇行を解消するのではなく、放水路を新たに建設し最短距離で本川の石狩川へ流水を導くことが賢明と考え、流路の切り替え工事が大々的に実施された。切り替え後の旧河川は、現在も低平農地の基幹的な排水路網として寄与している。
 戦後の食糧増産時代を迎えた昭和24年、土地改良法がスタートすると、新たに設置された北海道開発局により、国営開墾建設事業「美唄地区」「幌向原野地区」(昭和26~45年)が直轄事業として実施され、排水の強化、造田がさらに進んでいく。これらにより、手付かずとなっていた泥炭土を基盤とする「美唄原野」「幌向原野」が農地化されていった。
写真-14 昭和50年 幌向金子の内水氾濫
(出典:石狩川水系内水排除事業誌)
 その後は、昭和36、37年の記録的な洪水をきっかけとして、農作物のたん水被害の防止を目的に内水排除事業(第1次)が積極的に行われ、石狩川沿いに排水機場が多数設置された。さらに昭和50、56年にも石狩川の洪水被害が発生し(写真-14)、地域内の内水排除計画の抜本的な見直しが必要になった。外水条件の変化とともに、昭和45年から実施された米の生産調整に伴う転作畑に対応した内水の排除条件の変更が課題となり、第2次の内水排除事業が緊急的に実施された。その緊急性に鑑み、昭和63年からは農用地等緊急保全整備事業として、農用地整備公団が実施する事業により機動的に内水排除事業が進められた。

(3)特殊な泥炭地開発
図-7 泥炭地の分布
(出典:札幌開発建設部農業事業概要)
 三つ目は、特殊な泥炭土壌が広がり、これが地域の大半を占めていることであった。(図-7)
 泥炭土壌は、そのままでは耕作土として不適で、水を多く含み排水が悪くぬかるむ。有機物を多く含み地盤支持力が小さく、乾燥や圧密により不等沈下を容易に引き起こし収束しにくい。この悪条件の中、安定した生産農地を確保するためには、河川や排水路の整備と連動して、農地自体の排水改良が重要であった(写真-15)
 その対策の一つが暗渠排水管の埋設であった。北海道では、明治13年に酪農の父と言われたエドウィン・ダンが江別屯田兵村で泥炭地改良のために土管による暗渠排水を指導したと伝えられているが、本格的には、昭和7年になって暗渠排水工事の補助制度が開始されたのち、戦前・戦後を通じて急速に普及していった(写真-16)。




写真-15 泥炭地の排水路掘削
(出典:新篠津土地改良区誌)
写真-16 暗渠排水管の敷設(素焼き土管)
(出典:空知中央地区事業誌)

 当時は各地に土管工場が建設され、1億本に及ぶ土管が製造され地中に埋設された。昭和40年代以降はこの素焼土管から、大規模圃場での機械施工によく対応できる合成管(塩化ビニール及びポリエチレン管)、コルゲート管(プラスチック材に波形をつけた屈曲自在のパイプ)にパイプの材料も徐々に替わっていった。
 排水と並んで重要なのは、泥炭地を農地として利用するための土性の改良であった。泥炭土は、水分が多く排水が悪いため地温が上昇しづらく、土壌内の空気の流通が悪く酸性土壌でもある。また鉱物質・無機物が少ないことで地耐力も極端に小さく、ひとたび乾燥すると沈下をもたらす、農地としては扱いづらい土性を持つ。これを克服する方法として、「客土」による改良が徹底して行われてきた。
写真-17 索道による客土(美唄市)
(出典:美唄市100年史)
  客土は単収増に即効性があり、直接食糧増産に結びついたことから、戦前にも自助努力で行われていたが、戦後には客土事業として本格的に実施され、国営開墾建設事業「美唄地区」においても主要な工種として位置付けられた。北海道では、大正時代から積雪期の馬そりによる客土が一般的な工法として定着していたが、美唄地区では軌道客土、トラック客土、また他に例を見ない大型索道による客土も行われた(写真-17)。
 泥炭地への客土は、軟弱地盤の地耐力を向上させ大型機械の運行を容易にするだけでなく、水田の過剰な減水深を抑制する効果もあり、水資源の有効利用にも役立っている。また現在では食味向上を目的に客土を行うなど、今でも重要な農地基盤整備の一つとなっている。

4.国営かんがい排水事業「空知中央地区」が拓く近代化農業



(1)事業の概要
表-2 空知中央地区の事業概要
(事業計画書を参考に作成)
 米の生産過剰が深刻化する中、水田で大豆、麦類、飼料作物、野菜など米以外の農作物を作付けするいわゆる「転作」が奨励され、水田の有効活用が重視されるようになると、水田利用再編対策(昭和53年~)がそれまでの稲作転換対策や水田総合利用対策に続いて開始され、水田地帯の複合化、米の需要調整が進められた。
 これには田畑輪換可能な圃場条件が必要となり、その基幹条件として用排水路の分離・再編、農業用機械の大型化をはじめ圃場の大区画化による農業近代化用水の確保、また冷害対策としての用水の確保が地域の課題であった。また、用水施設の維持管理の効率化や維持管理費節減のための水利用再編などの抜本的な対策が必要であった。
 これらを解決し、地域農業の近代化を進めるため、国営かんがい排水事業「空知中央地区」が昭和54年に着工した(表-2、図-8)。
図-8 空知中央地区 事業概要図(出典:空知中央地区事業誌、一部加筆)

(2)排水路の整備
写真-18 柵渠工法の三日月第1排水路
(出典:空知中央地区事業誌)
 地区内の排水路網は、先行の国営事業などにより配置されているが、排水路の多くは土水路であった。軟弱な泥炭地のため排水路の機能低下は著しく、排水不良により農地基盤の造成、農作業の機械化、合理的な水制御が阻まれており、農業の近代化を進めるためには排水路の再整備が急務であった。このため、当事業では29条(L=63.3km)の整備を行った。排水路の護岸工法は、主に泥炭土質に対応した柵渠工法、鋼矢板工法などが用いられた(写真-18)。

(3)用水施設の整備
 地区内の水利は、水源河川である石狩川・空知川・幾春別川及び支渓流の既得水利権の有効利用、既存の多目的ダム(桂沢ダム、金山ダム)の合理的利用、地区内の水田還元水の再利用などを考慮の上、さらに不足する用水を新たに建設する多目的「滝里ダム」(写真-19)、再開発を行う「新桂沢ダム」(写真-20)に求めた。また北海幹線用水路のほぼ中央部に「光珠内調整池」(写真-21)を設け、ピーク取水の緩和を図ることで用水路上流部の施設規模の軽減を図った。
 また取水施設は、空知川から取水する北海頭首工、幾春別川から取水する市来知頭首工、川向頭首工のいずれも取水量の増加に対応した改修が行われ、市来知頭首工については老朽化により全面改修を行った(「空知中央用水地区」で整備)(写真-22)。

写真-19 滝里ダム(平成11年完成)
(出典:空知中央地区事業誌)
写真-20 再開発された新桂沢ダム(令和6年完成)
(出典:札幌開発建設部HP)

写真-21 光珠内調整池
(出典:空知中央地区事業誌)
写真-22 全面改修を行った市来知頭首工
(出典:空知中央地区事業誌)

 このほか、石狩川左岸には4カ所(中村・大富・北村・幌達布)、石狩川右岸には2カ所(北13号・基線)(写真-23)の揚水機場があり、直接石狩川から取水を行っているが、増量取水や区域ごとの水利再編に合わせた改良を行っている。
 幹線用水路の整備は18条(L=115.3km)を実施し、その中枢である北海幹線用水路については、継ぎ目からの漏水や融雪水流入による水路の転倒が見られる既存水路の状況を踏まえ、L型ブロック水路から現場打ちコンクリートフルーム水路を基本とした改修整備を行った(写真-24)。その際、凍上対策工法として、水路側壁背面に従来行われてきた切込砂利による置換工法を、透水性断熱材による新たな断熱工法に変更し施工した。また、地区中央部の幹線用水路においては、泥炭地盤のため軽量資材のコルゲート管などが使用されていたが、老朽化の状況や維持管理、コストなどを考慮して強化プラスチック複合管を使用した。

写真-23 石狩川右岸の基線揚水機場
(出典:空知中央地区事業誌)
写真-24 フルーム型の北海幹線用水路
(出典:空知中央地区事業誌)

写真-25 三笠揚水機場の無動力ポンプ
(出典:空知中央地区事業誌)
 また、三笠市幾春別川左岸の高標高部の農地には、市来知幹線用水路に三笠揚水機場を新たに設置して配水している。この揚水機場では、用水路の落差を利用し水車を駆動させる無動力ポンプを導入し、維持管理費の軽減を図っている(写真-25)。
 また、これまで農業用水が地域に果たしてきた生活用水、防火用水、環境保全用水などの地域用水機能の増進を図るため、支線用水路129条(L=118km)の整備を実施している。
 これらにより、施設の統廃合が大幅に進み、水利用の合理化が図られた。

(4)水利施設の管理と土地改良区
 空知中央地区の水利施設の管理区域は、用水改良区域(水田)約26,300haと畑地かんがい区域約700haの計約27,000haで、水系ごと多岐にわたる取水施設や用水路を利用し配水されている。
 遡れば土功組合、土地改良区として22の組織がありこれらが個別に用水の管理運営を行っていたが、国営事業の実施による水利再編等を契機に次々に合併が進み、平成15年には石狩川左岸一帯が北海土地改良区に統合され、施設の管理体制の再編が一気に進んだ。
写真-26 集中水管理センター(岩見沢市)
(出典:岩見沢農業事務所資料)
 石狩川左岸地域の水利用は、北海頭首工の最大取水量を毎秒44.56トンとし、延長約82kmに及ぶ北海幹線用水路から配水することを基軸としており、北海幹線用水路には分水幹線用水路(4幹線)をはじめ、大小分水の幹線(14幹線)・支線(42支線)・直接分水(34分水)などの90施設がある。北海土地改良区では、集中水管理センター(親局)(写真-26)を設置するとともに、現地に4つの管理事務所(子局)を設けて水管理を行っている。末端施設の水管理については18分水区に区分し、さらに97支線組合に分割してきめ細やかな管理がなされている。
 北海幹線用水路は長大な水路であるが、作物の生育に合わせ時期ごとに変化する必要水量を合理的に配水するため、水路のほぼ中間地点に設置された光珠内調整池による水量調節をはじめ、市来知幹線用水路を通じて幾春別川水系から北海幹線用水路への合流量の調整、川向頭首工の取水の管理、北海幹線用水路からの注水による用水調節など、複雑な管理を一元的に行う体制が整っている。併せて、山際を走る路線であるため、降雨時には多数の排水流入が発生し、水路断面が小さくなる下流ほど水路からの溢水が発生する恐れが高い。その放水対応にも労を要している。
 これらとは別に、石狩川右岸地域の揚水機掛りは、新篠津土地改良区が管理を行っている。
 事業実施前は、用水不足に対処するため、地区内の河川や排水路にかんがい用水として反復利用するための堰や揚水機などの取水施設が675カ所配置されていたが、本事業及び関連する事業の実施により用水不足の解消や用排水路の分離が進み、取水施設を37カ所にまで統廃合する用水再編が行われた。加えて、一部の幹線用水路がパイプライン化されたことから、土地改良区や用水管理組織による用水施設の維持管理が大幅に省力化された。また、圃場の区画整理に併せて、給水栓の減少及び一部の末端用水路のパイプライン化が進んだことから、受益農家による圃場の水管理作業の省力化も図られている。

(5)作物生産への効果
図-9 米の栽培品種の変化
(出典:国営土地改良事業事後評価 基礎資料)
 本事業及び関連する事業の進捗に合わせて水田の汎用化が進んだ。水稲の作付面積は18,569ha(平成14年)から現在13,793ha(令和元年)と減少し、水田での畑作物の栽培が拡大した。小麦や大豆のみならず、高収益作物の野菜類(たまねぎ、ニンジン、かぼちゃ、はくさい、メロンなど)の作付面積の増加が見られる(写真-27)。 米は、食味ランキング特Aの「ななつぼし」「ゆめぴりか」の作付割合が増加している(図-9)。深水かんがいなどに必要なかんがい用水が安定供給されるようになり、土地基盤の整備充実が図られたことが高品質米の生産に繋がっていると考えられる。また近年は、単収(10a当たり収量)の向上とともに年ごとの変動幅が小さくなっており、安定生産の傾向にある(図-10)。冷害年に行われた深水かんがい効果の実証調査結果とS63~H4平均単収とを比較すると、深水かんがいの未実施圃場では87%の減収であったのに対し、実施圃場では29%の減収であった。
 主要作物の単収を見てみると、小麦が228kgから432kgと大幅に増加した。水田汎用化のために排水改良が進んだことの効果が大きいと考えられる。残念ながら、たまねぎが4,727kgから3,930kgに低下している。たまねぎは連作障害や低温多雨などの気象変動もあって減収傾向にあり、増収に向けて輪作等の営農指導が行われている(データはいずれも事業実施中の平成14年と事業完了後の令和元年の数値、北海道開発局調べ、事後評価結果資料より)。

写真-27 はくさいの収穫(岩見沢市)
(出典:国営土地改良事業事後評価 基礎資料)
図-10 地域の水稲単収及び作況指数の推移
(出典:国営土地改良事業事後評価 基礎資料)


5.進む農地の大区画化とスマート農業



写真-28 進む農地の大区画化(美唄市)
(出典:寒地土木研究所研究レポート)
 国営かんがい排水事業「空知中央地区」により農地の用排水環境が整ったことを踏まえ、田の圃場区画の平均面積は、事業実施前の約0.3ha(昭和54年)から事業実施後は約1.0ha(令和元年)へと拡大し、農作業効率が向上した。当初の区画は、300間四方(545m×545m)の殖民区画を基本とし、機械作業の効率や地形条件、排水の問題、農家の経営条件等を考慮して1枚の田の大きさを0.3ha程度としていた。しかし、農業機械も大型化され、さらに生産性が高く効率的な農業を実現するため、現在は大々的な農地の区画整理や大区画化が進められ、2.2ha程度を標準区画とした圃場の整備が進行している(写真-28)。これによって用排水の分離、用水路のパイプライン化などよる水管理の合理化も図られている。
 また地区内では、末端の用排水路と圃場の整備に合わせ「地下かんがい」の導入が進められている(図-11)。通常水田への給水は地表から行うが、圃場の地下に埋設された暗渠排水管に用水を導入し、地下から田面もしくは畑面にかんがい用水を供給するシステムである。用水管理が容易となるとともに、水稲栽培の省力化を目指した直播栽培(特に乾田直播栽培)の導入にも有効なシステムである。水稲直播栽培の作付面積は、238ha(平成20年)から1,137ha(令和元年)へ、約5倍に増加した(図-12)。

図-11 地下かんがいシステム(一例)
図-12 水稲直播導入面積の推移
(出典:国営土地改良事業事後評価 基礎資料)

図-13 GNSSガイダンス、自動操舵の導入状況(北海道全体)
(出典:国営土地改良事業事後評価 基礎資料)
 地域では、これらの高度な生産基盤を有効に活用し、ICTなど新たな技術を導入し営農作業の省力化に取り組んでいる。ドローンを用いた防除作業の機械化、GPSシステムを活用したトラクタの自動制御による播種などが行われており、さらなる作業効率の向上が期待される(図-13)。
 岩見沢市では、平成25年に全国の自治体で初めて、GPSを活用したトラクタの自動走行に必要な高精度の位置情報発信基地局を設置し、同年には研究会を設立しスマート農業の実装に取り組んでいる。令和元年度からは、研究機関や地元関係機関、企業、農家が集まり農業実証プロジェクトに取り組み、さらなる米の生産コスト削減や農家所得の向上を目指している。併せて、地域では農家戸数の減少や高齢化が進んでいることから、RTK-GPS基地局などのICT基盤を活用した、地域の生活環境の改善に資する実証事業(「子育て・教育」、「医療・福祉」、「交通」などの分野)にも取り組み、定住促進を含め安心して地域に住み続けるための条件整備が行われている。
図-14 戸当たり経営面積の拡大
(出典:国営土地改良事業事後評価 基礎資料)
 また、本事業及び関連事業の実施により土地基盤の整備充実が図られたことと併せて、関係機関が一体となって担い手の育成、農業経営の法人化への支援及び作業受託体制の確立などに向けた対策を実施してきたこともあり、経営規模の拡大や法人数の増加、大型農業機械の導入及び共同利用などの営農支援組織の設立・活用につながっている。受益農家の戸当たり経営面積は、事業実施前の5.4haから事業実施後の19.1haへ約3.5倍に拡大している(図-14)。また農業経営の法人数は、事業実施前の13法人から事業実施後の82法人に増加した。トラクタの戸当たり所有台数は、事業実施前の平均規格55PSの1.5台から事業実施後の平均規格96PSの2.8台へ増加した。機械の共同利用組合等の営農支援組織は、事業実施前の6組織から事業実施後の29組織に増加した(データはいずれも事業実施前の昭和54年と事業完了後の令和元年の数値、北海道開発局調べ、事後評価結果資料より)。
 このように、基盤整備を契機としてICT技術も活用しながら、大型機械の導入、農業経営の大規模化、組織化につなげている。

6.地域に愛される施設を目指して



写真-29 用水路の上部を活用した親水公園
(出典:岩見沢農業事務所資料)
 農業用水や農業水利施設は、生産基盤としての役割とともに地域の生活空間の一部としての役割を果たしている。多目的な利用や地域の景観形成に寄与するなど、その利用度が高まるほど愛着が生まれ、地域でこれらを大切に維持・保全していく行動につながる。また地区内の農業用水は、防火用水や生活用水としても利用されている。本事業の実施により、防火水槽や、収穫した農作物や農業機械などを洗浄する洗浄槽が60カ所整備されるなど、地域住民の生活により密着した農業用水として利便性の向上が図られ、生活の豊かさにもつながっている。
 地域を縦断する北海幹線用水路(農業専用の用水路としては日本最長)は、昭和4年以降脈々と農業用水を運び続け、地域発展の礎として、また、わが国の食料供給を支える中核施設としての役割を果たしてきた。加えて国土保全や自然環境の保全、地域コミュニティの維持、レクリエーション空間の提供など、多面的な機能も発揮してきた。その役割の歴史的意義や、高度な土木技術の蓄積が評価され、平成16年には農業水利施設として唯一の「北海道遺産」に選定され、また平成18年には日本の「疏水百選」にも選定された。
写真-30 光珠内調整池周辺の風景を楽しむ市民
(出典:岩見沢農業事務所資料)
 整備前は、用水路内への転落事故も発生していたが、安全性確保の観点から、市街地を流下する区間では改修に併せ用水路をボックス化することに加え、現在では用水路の上部が公園などのコミュニケーションスペース、地域景観づくりの場として広く活用されている(写真-29)。また「地域用水機能増進事業」などをきっかけに、用水路沿線の地域では、住民主体の景観推進活動(樹木・花卉・ハーブ等の植栽、親水・景観を踏まえた公園づくりなど)が広く行われるようになった。
 また、事業をきっかけにスタートした「北海幹線用水路ウォーキング」(美土里ネットほっかい主催)は、地域住民約300名が、満々と用水を湛えた光珠内調整池、稲穂が揺れる田園風景を散策しながら堪能し、親しみながら米づくりや農業水利施設の役割を学ぶ良い機会となっており、恒例のイベントとして毎年開催されている(写真-30)。
 今後とも、地域住民自らが農業水利施設を地域資源として、また生活空間の一部として活用し、継続的な地域の保全活動につながっていくことが望まれる。

7.おわりに



 平成20年に完了した「空知中央地区」では、農業水利施設の新設や改修が大々的に行われたが、この時未改修であった北海頭首工や北海幹線用水路の一部区間についても既に築造後40年以上を経過し、老朽化・凍上などによるコンクリートの劣化が進行している。また用水路の構造が積雪寒冷地に対応した構造となっていない区間も残っており、水路の傾倒や倒壊の恐れにさらされている。これらについては施設の機能診断を行い、整備が必要な区間については、平成22年に着工した国営かんがい排水事業「北海地区」において緊急度が高い箇所から随時改修を実施している。また、約82kmに及ぶ長大な北海幹線用水路を核として多数の幹線用水路が分岐し、複数の水源、頭首工、揚水機場などの取水施設の用水管理を一体的・効率的かつ確実に行う必要性から、さらなる水管理施設の機能の充実が図られている。
 当地域に鍬が入り稲作の試みが開始されてからわずか150年足らずである。しかしこの間、大きな国の方針のもとに入植者をはじめ関係者の並々ならぬ努力と工夫が重ねられ、優良な農地と水が確保されてきた。現在においても若い農業の担い手が育ち、一大穀倉地帯であるこの地域が担う役割(安全、安心な食料を安定的に国民に供給すること)はさらに増加している。引き続き営農の規模拡大や農業の合理化・効率化を求めていかなければならないが、その手法として土地改良への期待が益々高まっているところである。
 先人達が取り組んできた国づくりとも言える土地改良の成果と役割をかみしめながら、今の時代、そしてこれからの時代の農業に必要な基盤とは何かを見極め、事業の円滑な実施に取り組んでいかなければならない。

引用文献
1.国営かんがい排水事業「空知中央地区」事業誌;札幌開発建設部 岩見沢農業事務所
2.国営土地改良事業事後評価「空知中央地区・空知中央用水地区」評価結果、基礎資料;北海道開発局 農業水産部
3.事業紹介「北海道農業をけん引する空知中央地域の稲作」;ARIC情報 No.104;農業農村整備情報総合センター
4.石狩川水系農業水利史;北海道開発局 農業水産部
5.美唄地区事業誌;札幌開発建設部
6.北海土地改良区80年史;北海土地改良区
7.新篠津土地改良区誌;新篠津土地改良区
8.石狩川流域の土地利用開発100年;北海道開発局
9.札幌開発建設部農業事業概要;札幌開発建設部
10.石狩川流域誌;石狩川開発建設部(現 札幌開発建設部)
11.石狩川水系内水排除事業誌;札幌開発建設部
12.札幌開発建設部HP 幾春別川ダム建設事業所
13.寒地土木研究所研究レポート;寒地土木研究所
14.岩見沢農業事務所資料(写真);岩見沢農業事務所

2026年10月23日公開