(1)夕張川の概要
夕張川は石狩平野の東端、夕張山系の芦別岳(標高1,726m)から流れ出て、夕張市の渓谷を刻みながら栗山町、由仁町の境を流れ、阿野呂(あのろ)川や由仁川などを合わせ、長沼町、南幌町、岩見沢市栗沢を流下して、江別市で石狩川に合流する。
昭和11年に「夕張川新水路」が通水するまで、下流は南幌町と長沼町の境を流れて千歳川に合流する支川(現在の旧夕張川)でありながら、当時の夕張川は流域面積も長さも千歳川とほぼ等しい大きな川で、流れは激しく曲がりくねり、いつも満々と水をたたえていた。洪水になると、堤防を破って大氾濫を起こすので、ゆるやかな「女の川」千歳川に対し、夕張川は「男の川」と呼ばれた。夕張川の水が溢れると、一帯は一瞬で泥海の状態になり、水はなかなか引かなかった。
(2)地域の開発
夕張川流域は、夕張山系と栗沢丘陵や馬追(うまおい)丘陵に抱かれ、下流には石狩平野の低地が広がっている。江戸時代はイシカリ十三場所(交易場所)のうち四場所が夕張川水系に置かれ、さけや砂金、木材の産地として知られた。江戸時代後期には徳川御三家の一つ、水戸藩が「勇威(ゆうばり)城」を馬追丘陵に築き、千歳、長沼、由仁一帯を城下町にする構想を抱いていた。明治に入ると、上流の夕張で近代的な炭鉱開発が始まった。中下流域は、開拓精神溢れる指導者達が、先駆けとなるような開拓を進め、まちの基礎を築いた。
「夕張川新水路」が完成すると夕張川の水害は根絶された。安全性が高まった南幌と長沼の未開地が農地に開発され、また戦後の緊急開拓で幌向原野も開拓され、水田地帯は急速に拡がって食糧増産を支えた。夕張から江別野幌に至る「夕張鉄道」は炭鉱鉄道だが、旅客にも力を入れ、ほぼ夕張川流域を貫通するように敷設された。新設された駅には市街地が形成され、産業や都市計画に大きな影響を与えた。
(3)稲作の推奨
開拓使(明治2年~明治15年)は、アメリカから機械、農具、種苗を輸入して、北海道の風土に適した西洋式の生産技術を試みた。招へいされたお雇い外国人のホーレス・ケプロンは、「寒い北海道は稲作に向かない」と、酪農と畑作の混合農業を奨励し、開拓民には牛馬を飼わせることとし、食生活もパンと牛乳を勧めた。しかし明治6年、現在の北広島市で中山久蔵が米の試作に成功すると、石狩平野で稲作が普及し、各地で競うように寒冷地に適した技術が開発されていった。
北海道庁(明治19年~昭和22年)は、石狩平野での成功をみて、稲作奨励に方針を転換する。米づくりの権威で農学士の酒匂常明(さこうつねあき)を道庁に招くと、酒匂は中山久蔵を営農指導にあたらせ、籾(もみ)を直接播く栽培法を推進する。「水田直播器(タコ足)」は、農作業の手間を飛躍的に省き、各地で急速に普及した。
明治2年、仙台藩支藩の角田藩第14代藩主である石川邦光は、室蘭郡の分領支配を命じられ、翌年、集団で室蘭に入植した。藩士の泉麟太郎(いずみりんたろう)は、室蘭は土地が狭かったことから、当時の室蘭郡長だった古川浩平の勧めで夕張川流域に入る。泉は明治21年、同志と「夕張開墾起業組合」を結成し、夕張川右岸阿野呂原野の貸下げを受けて開墾に着手した。明治23年に郷里の名をとって角田村と名づけた。泉は栗山と長沼の開拓を進め、水稲の試作にも成功し、明治28年に本道初となる土功組合「角田村水利土功組合」を設立した。泉は工事委員長として資金集めに走りまわり、ようやく夕張川に「角田頭首工」を竣工し、大きな水田を開いた。また私費で道路をつくり、角田村長もつとめるなど、現在の栗山の基礎をつくった。「角田村水利土功組合」にならって、明治32年、北海道庁は「北海道拓殖銀行法」と「北海道土功組合法」を制定し、北海道内は一気に水田が広まった。
馬追原野に初めて入った開拓者は、松前藩士で開拓使役人の下国皎三(しもぐにこうぞう)で、明治19年に由仁に入植し、開拓とともに北海道農業の推進にも貢献した。また同年、勇払ほか五郡長や札幌区長を務めた前橋藩士の古川浩平も由仁に入植し、退官後は初代郵便局長を務めるなどまちの発展に尽くした。明治25年、鉄道の開通とともに由仁が開基し、その翌年には長沼、栗山、夕張を含む四つの戸長役場が由仁に置かれた。
由仁では、明治27年に稲作の試作に成功していたが、「北海道土功組合法」が公布されたことを機に、夕張川から水を引いて造田しようと調査したが、土地が高台のため難工事が予想された。やむなく古山(ふるさん)地区に貯水池をつくって造田し、その後は各河川から水をひいて水田を広げていくことにした。明治36年、道内では三番目の「由仁村用水土功組合」が設立され、「古山ダム」の建設に取りかかる。それまで、北海道各地でつくられたため池はどれも小規模で、今回の貯水池は北海道初となるものだった。そのため北海道庁の技師が調査設計した後に工事が行われ、明治38年に「古山ダム」は完成した。計画通り水田は広がっていったが、水不足に悩まされることもあり、夕張川からのかんがい用水の取水は由仁の悲願になった。
北海道初となる土功組合を設立するなど、先進的な取り組みを進める栗山では、大正14年、北海道初の電化揚水機「南学田揚水機場」が完成した。
由仁では、「古山ダム」完成後も由仁川にため池を増設し、さらにクオーベツ川に「クオーベツダム」を建設して開田にあてた。しかし開田が進むと由仁川下流が水不足になり、町内あちこちで水争いが起こった。また夕張川から水を引けるよう、沿岸のまちへの働きかけが奏功し、昭和10年、ようやく夕張川の余剰水が利用できるようになり、念願の「由仁頭首工」が建設されたが、それでも、抜本的な水不足解消には至らなかった。さらに、昭和12年の日中戦争から戦時下に入ると、森林は乱伐され、水不足はさらに深刻になった。
長沼では、昭和4年に「南長沼土功組合」が設立され、かんがい施設が整備され造田が進んだ。また「夕張川新水路」の通水で未開地の農地開発が進み、さらに戦後の緊急開拓では幌向原野が開拓された。
終戦後も流域内ではかんがい用水の不足が続き、頭首工や用水路は古くなり、十分な取水が難しくなっていた。ダムによる水源確保の構想が持ち上がり、夕張の二股地区で調査が行われるとともに、各土功組合は北海道庁にダム建設の請願運動を続けた。
夕張川流域では、昭和14年頃すでに7,000haの水田が夕張川及びその支流に水源を求めていたが、戦時中の森林の乱伐がたたって、雨が降れば河川が氾濫し、その反面干ばつが続くと極端な水不足を来す状態であり、この解決は夕張川水系沿い農民の長年の願望であった。このような情勢下における土功組合役員、関係町村長のたえまない関係機関に対する要請が、戦後の食糧増産、開発の期待から北海道が大きくクローズアップされた時勢とぶつかり、石狩川流域の総合開発計画の一環として、夕張川流域の総合かんがい排水事業が取り上げられることになり、昭和24年より関係町村の水利実態調査が開始された。
昭和26年、北海道開発局の発足と同時に、先行して総合かんがい排水事業「夕張地区」が着工し、既設の「清水沢ダム」(北海道炭礦汽船所有)を4.24m嵩上げし、7,720haの用水補給が計画された。「夕張地区」は主として排水改良を目的とした事業であったが、「清水沢ダム」の嵩上げ工事は、昭和24年の大干ばつによる緊急措置として昭和26年着工、昭和29年に竣工したものである。
しかしその後も、寒冷地でも栽培できる水稲の品種改良が進み、流域内の水稲作付けが大幅に拡大したことから、夕張川水系における用水不足は深刻さを増し、流域内での水争いも頻繁に発生した。
[夕張地区の概要]
| 〇関係市町: |
江別市、岩見沢市、南幌町、由仁町、長沼町、栗山町 |
| 〇受益面積: |
16,590ha |
| 〇受益者数: |
4,003人 |
| 〇主要工事: |
清水沢ダム(改修)、排水路41条 |
| 〇総事業費: |
12億2,300万円 |
[清水沢ダムの概要]
| ・形式 : |
重力式コンクリートダム |
・流域面積 : |
516㎢ |
| ・堤高 : |
25.44m |
・総貯水量 : |
5,576,000㎥ |
| ・堤長 : |
91.75m |
・有効貯水量: |
3,076,000㎥ |
| ・堤体積: |
16,000㎥ |
・利用水深 : |
4.24m |
昭和24年に開始された水利実態調査に基づき、用水源の確保と電源開発を兼ねた二股地点のダム設置が計画された。昭和26年に策定された「北海道総合開発計画」に基づき、北海道開発局による直轄事業として、昭和28年度に夕張川流域に広がる12,120haを受益地とした総合かんがい排水事業「大夕張地区」が着工した。
本事業の計画では、「清水沢ダム」嵩上げ工事に続き、二股地点に標高67.00m、堤長251.70mの重力式コンクリートダムを築造し、既水田7,570haの用水不足を完全に解消する。更に新しく開田4,550haのかんがい用水を確保する一方、北海道が三菱鉱業(現三菱マテリアル)との共同出資により、北海道内の電力不足を補うため、最大出力14,700kWh、年間6,648万kWhの発電を行うものである。また、老朽化した各頭首工はそれぞれ新設し、併せて用水路の改修・新設を行い、かんがいに支障ないよう計画された。
「大夕張ダム」の貯水容量は、水収支計算の結果、農業用水としては8,050万㎥と決定し、発電用の貯水量は、取水位および有効利用水深を勘案の上、6,937万㎥とした。ダムの水利用計画としては、かんがい用水が終了する8月20日にダムを空にし、その後秋の豊水を貯留して遅くても12月上旬までに満水にすることとし、春は3月末に空にしても、4月、5月の融雪出水で5月10日頃までに満水になるよう水管理を行うというものである。地区全体の水源としては、このほかに「清水沢ダム」嵩上げによる307万㎥、「クオーベツダム」による66万㎥を水利計画に基づき放流し、補水を行うものであった。
「川端ダム」の建設前は、「由仁頭首工」が夕張川に設けられていたが、その水源は夕張川ではなく支川の「クオーベツダム」に求めており、豊水時のみ下流の角田、長沼、栗沢土地改良区の余剰水を夕張川から取水できる特殊な位置づけとなっていた。本計画では、「由仁頭首工」の下流1.8㎞の地点に、新しく堤高21.40m、堤長280mの堰上げ取水施設(重力式コンクリートダム)を設け、夕張川の左岸沿いに新しく水路を掘削し「由仁幹線用水路」とした。
栗山地域についても老朽化が甚だしい「角田頭首工」を廃止し、「栗山幹線用水路」を拡幅改修し、同じく「川端ダム」右岸から取水する計画とした。「川端ダム」の新設により、取水位が9.30m高くなるため、ため池掛りの既水田は夕張川水系掛りに水利転換を、また水源がなく畑作を行っていた丘陵地の水田化が可能となった。
なお、「川端ダム」と呼称されているが、農業用の堰上げ取水が主目的の頭首工としての役割であり、計画満水位は取水位と同じで満水面より表面水を取水する。また下流の「長沼頭首工」、「栗沢頭首工」等へ放流する流水を利用した発電施設が、北海道との共同事業として設置され、非かんがい期の発電放流量は、利用水深1.00mとして最大30㎥/sの規模を有している。
本地区では、「大夕張ダム」建設による水源開発(かんがい用水及び発電用水)、「川端ダム」、「長沼頭首工」、「栗沢頭首工」をはじめとする基幹的な用水施設の整備が進められ、昭和43年度に事業完了した。
[大夕張地区の概要]
| 〇関係市町: |
江別市、岩見沢市、南幌町、由仁町、長沼町、栗山町 |
| 〇受益面積: |
12,120ha |
| 〇受益者数: |
3,831人 |
| 〇主要工事: |
大夕張ダム(新設)、川端ダム、長沼頭首工、栗沢頭首工、揚水機場4ケ所、用水路9条 |
| 〇総事業費: |
75億8,900万円 |
[川端ダムの概要]
| ・形式 : |
重力式コンクリートダム |
・流域面積 : |
780㎢ |
| ・堤高 : |
21.40m |
・総貯水量 : |
6,479,000㎥ |
| ・堤長 : |
280.00m |
・有効貯水量: |
1,003,000㎥ |
| ・堤体積: |
52,000㎥ |
・利用水深 : |
1.00m |
「大夕張ダム」完成後、代かき期間の短縮や深水かんがい等の積雪寒冷地特有の水稲栽培技術の確立、水稲品種改良が進み、加えて流域内の開発、降雨量・積雪等の気象条件変化により、徐々に用水不足が生じていた。毎年のように節水に向けた「利水者会議」が開催され、取水制限の日数は、年平均40日にも及び、特に渇水年においては各土地改良区から厳しい意見が出されるなど、その調整に苦慮していた。
また隣接する千歳川流域内の用水需要に対しても新たな水源開発が困難であったことから、「大夕張ダム」を嵩上げし容量を増加する計画として国営かんがい排水事業「道央地区」が昭和55年度に着工となった。
この地区は、夕張川と千歳川の両水系に広がる28,820haを受益地とし、「新大夕張ダム」の建設(「大夕張ダム」の嵩上げによる新規水源開発)をはじめ、基幹的な用水施設の整備を行う事業であり、その整備は老朽化等で緊急性が高い用水路が先行して進められた。平成元年7月に土地改良法の一部が見直しされ、「国営基幹かんがい排水事業」が創設されたことにより、適用となる「新大夕張ダム」、「川端ダム」等の基幹施設を「道央地区」から分離し、「道央(二期)地区」として平成2年度から全体実施設計に着手した。
[道央地区の概要]
| 〇関係市町: |
江別市、千歳市、恵庭市、北広島市、夕張市、岩見沢市、南幌町、由仁町、長沼町、栗山町 |
| 〇受益面積: |
28,820ha |
| 〇受益者数: |
3,318人 |
| 〇主要工事: |
揚水機場7ケ所、用水路16条、排水機場2ケ所、排水路24条 |
| 〇総事業費: |
805億9,600万円 |
昭和56年8月の石狩川流域の大洪水を機に、「大夕張ダム」直下に新たに「夕張シューパロダム」を建設する治水ダム構想が浮上し、河川総合開発との共同調査を開始した。平成6年度に農業・発電・河川・水道事業の4者による共同ダムとしての建設が確定し、「道央(二期)地区」を「道央用水地区」に改め、平成7年に着工した。さらに平成16年、「夕張シューパロダム」の水源供用として隣接する国営かんがい排水事業「安平川地区」の地区編入等の計画変更が行われた。
「道央用水地区」の実施は、一期~三期に分割し計画的な事業促進が図られた。一期及び二期は「クオーベツダム」の改修と「夕張シューパロダム」の新設、三期は平成16年度に着手し、「道央注水工」、頭首工4ケ所、揚水機6ケ所のほか、用水路6条10㎞の整備が実施された。「道央注水工」は、「川端ダム」によって夕張川を堰上げ千歳川及び安平川に注水する施設(写真-7)で、最大流量約18㎥/s、延長約31㎞にも及ぶ長大水路であり、平成30年に事業完了した。
昭和36年、夕張川流域へのかんがい用水の供給と発電などを目的に、夕張川の最上流に待望の「大夕張ダム」が完成し、水源が確保されたことで造田が進んだ。
その後、昭和50年代に入り、水田地帯における大型機械化の進展による農作業(代かき)の集中化や深水用水の利用増により、各取水施設で節水調整が行われ、毎年の様に取水制限を強いられていた。しかしながら、平成26年「夕張シューパロダム」の供用開始により、かんがい利水容量は8,050万㎥から2億1,540万㎥へと約2.7倍に増加し、取水制限が一度もない状況が続き(図-2)、良質な農作物の生産をはじめ、地域農業の安全・安心を支えている。
現在、本地区では基幹作物である水稲については、品質の向上や農作業の省力化が図られ、栗山、由仁のばれいしょ、かぼちゃ、南幌のキャベツ、長沼のながねぎ等、土地利用型作物、野菜、花きの多様な作物が生産され、地域特性に応じた産地の強化が図られている。
また、新千歳空港に近く、札幌圏内という地理的な利便性を活かして、都市型農業が行われるとともに、優良な田園型居住地域という役割を担うようになった。農山漁村地域で、自然、文化、人々との交流を楽しむ滞在型の余暇活動「グリーンツーリズム」をいち早くとり入れ、「農泊」や「農福連携」を推進するなど、多様な地域資源を活用した積極的な取り組みが行われている。
(1)多様な人々との交流機会の創出
本地域は、南空知の米どころで、まちの良さを再発見して、アクセスの良さも含め、都市との交流に活かしている。
長沼では、平成8年に大きな直売所が設けられた道の駅「マオイの丘公園」がオープンし、週末になると買い物客が札幌などから大勢訪れ、北海道内に広く浸透した農産物直売所の先駆け的存在で、令和5年に大きくリニューアルされた。また平成16年に「グリーンツーリズム特区」に認定され、修学旅行生の「農家民泊」を中心とした北海道内の先進地として、子供たちが地域との交流や農業体験をはじめ、農業とのふれあいや興味を持つ機会を創出するとともに、「食育」を農業者や関係団体と一体となって推進している。さらに「緑の百景づくり」、「花いっぱい運動」など、町民が中心になって景観づくりに取り組み、平成19年に空知地方で初となる「景観行政団体」になった。
栗山では、平成14年度から農業施策の指針である「栗山農業ルネッサンス」を策定し、農業・農村の振興を目指して取り組んでいる。「多彩な担い手、ゆたかな農地と栗山の未来づくり」をキーワードに、活力と潤いのある「4つの目指す姿」がまとめられた。
由仁では、平成13年に日本最大規模の本格的英国式ハーブガーデン「ゆにガーデン」が馬追丘陵にオープンした。手探りではじまった「ハーブのあるまちづくり」は、昨今の香りを楽しむ志向と重なり、「ゆにガーデン」はツアー客が訪れる人気の観光スポットである。
南幌では、旧幌向駅逓所や幌向運河など、今も残る歴史・産業遺産と田園や自然をつないでフットパスコースに活用している。コースをガイド付きで楽しみながら歩く、「ふらっと南幌フットパス」を毎月開催し、冬もかんじきを履いて行うなど、活動メニューを充実させている。
(2)夕張メロンの誕生と地域資源
山間地に位置する夕張は、農地面積が狭く農業環境には恵まれていなかった。しかし明治の頃から自家用メロン(あじうり)が栽培され、味が良いことから二股メロンとして話題になり、ネットもなくラグビーボールのような形であった。昭和37年、北海道に適した静岡の新品種との交配に成功し、夕張メロン組合が結成され、本格的な栽培が始まった。丸い赤肉のネットメロンは、山や丘陵に囲まれた地形であるため、昼夜の気温の変化が大きい特徴を活かし、栽培技術も向上して大型ビニールハウスで栽培できるようになった。産地直送システムを確立して全国出荷が可能になると、毎年5月中旬の初出荷には初競りが全国ニュースとして注目されるなど、高級嗜好品として全国的な知名度を有するに至っている。平成27年には、地域の農産物ブランドを国が保護する地理的表示保護制度(GI)に登録され、統一された基準をクリアした事業者が夕張メロンの商標やロゴを使用し、夕張メロンを使った様々な特産品が開発されている。
財政再建中の夕張では、夕張メロンは地域経済を支える存在であり、ふるさと納税の重要なPRツールであるとともに、全国の農協で初めてNFT(デジタル資産)を導入し、夕張メロンを受け取れる権利や、デジタルアンバサダーになる権利も得ることができる新たな形で地域資源を掘り出し、ファンの獲得や新たな商流を創出することで地方創生に貢献している。このほか交流人口拡大のため、「しあわせの桜ともみじ」プロジェクトが全国からの支援のもと行われ、目標の2万本が植樹された。また「国際ファンタスティック映画祭」も継続開催されるなど、未来へと夢を育んでいる。
引用文献
1.
技術協102号 道央用水地区の事業完了に向けて(夕張川水系土地改良区連合) (一社)北海道土地改良設計技術協会 2026.1.26
2.大夕張ダム物語 北海道開発局 札幌開発建設部
3.
石狩川治水100年 石狩川流域史北海道開発局 札幌開発建設部 2026.1.26
4.
夕張川ダム総合管理事務所 事業概要北海道開発局 札幌開発建設部 2026.1.26
2026年10月23日公開