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1.十勝北西部の農村 鹿追地区の概況
2.鹿追地区畑地帯の昔と今
3.国営畑地帯総合土地改良パイロット事業 鹿追地区
4.四つの主要工種へ段階的に着工した鹿追地区
5.鹿追地区 畑地帯総合土地改良事業の完成

1.十勝北西部の農村 鹿追地区の概況



 鹿追地区は、大規模な畑作経営と酪農経営が展開されている北海道十勝平野の北西部に位置している。鹿追(しかおい)の地名の由来はアイヌ語の「クテクウシ」(鹿捕り柵のあるところ)*1であり、北には大雪山国立公園の山々がそびえ、西には日高連峰が遠望される標高160~370mの丘陵傾斜地に広がる農村地域である。年平均気温は6℃前後、冬は氷点下13℃前後で夏の最高気温は23℃ほど。5月から始まる農耕期間は短く、10月には初霜が降りて11月下旬には初雪が降る積雪寒冷地である。

写真-1 鹿追地区の農村風景と大雪山連峰*2
写真-2 公共牧場で育成される乳牛*2

写真-3 鹿追町の広大な馬鈴薯畑(左)と小麦畑(右)*3
写真-4 「とかち鹿追牛」と「よつ葉牛乳」*2

2.鹿追地区畑地帯の昔と今



(1)農地区画の変遷
 下の3枚の写真は国土地理院の年代別航空写真に加筆して、鹿追地区のなかの一部区域(鹿追町字中鹿追)における排水路の位置と農地区画の変遷を示したものである。赤枠で囲んだ範囲の土地面積は概ね150haである。写真-5は鹿追地区の事業着工前であり、黄色の線(実線)で囲んだ区域は鹿追地区による開墾(農地造成)が計画されていた未墾地(主に湿地原野)で、白い点線で囲んだ区域は既耕地整備(暗渠排水)が計画されていた畑地(既耕地)である。黒い不規則な線は当時未改修だった中小河川の位置を示す。
 写真-6は鹿追地区の事業実施中で、黄色の線は鹿追地区で整備された排水路の位置を示している。写真-5の未墾地が畑地に姿を変えており、蛇行していた中小河川は直線化されている。格子状の白線は鹿追地区で舗装された農道が映し出されたものである。赤い枠の中には舗装道路と砂利道で区切られた一辺300間(540m)の殖民区画が6区画ある。この時代のほ場サイズは概ね5haほどである。
 写真-7は比較的最近のものである。鹿追地区完了後に実施された国営、道営などの土地改良事業によって、写真-6で畑地の中を流れていた小河川(排水路)が農道沿いに移設され、その河川跡を埋め立てて出来たほ場は10haほどの大区画になり、大型農業機械の作業に適する長方形のほ場区画が増えている。

写真-5 鹿追地区の事業着工前
(昭和36年~昭和44年頃に撮影)*4
写真-6 鹿追地区の事業実施中
(昭和49年~昭和53年に撮影)*4
写真-7 鹿追地区の事業完了後
(平成25年撮影)*4

(2)農作業の機械化
 右の写真は十勝地方の農作業の変遷を示すもので、上のモノクロ写真2枚は鹿追町史に掲載されている。写真-8は鹿追地区着工前の昭和30年代の大豆収穫風景であり、鎌で刈り取った株を積み重ねて畑で自然乾燥させてから、発動機(小型ディーゼルエンジン)と動力脱穀機で脱穀した。この頃、十勝地方の農家は1戸当たり平均10ha程度の農地を所有して畑作を行い、馬で耕していた。鹿追町では、ほとんどの農家が2頭ほどの農耕馬と鶏、綿羊を飼育して、そのうち半数の農家が3頭ほどの乳牛を飼育する畑作畜産混合の零細農業を営んでいた。
 写真-9は鹿追地区が着工した頃の写真である。この頃も馬で畑を耕す農家が多かったが、農業構造改善事業で共同購入したトラクターが馬に代わって畑を耕し、馬車を改造したトレーラーで農業資材や収穫物を運ぶようになった。トラクターの普及は目ざましく、鹿追地区が完了した昭和58年頃には1戸あたり平均2台を所有するようになり、その後も台数が増えて馬力が上がっている。(図-1)

写真-8 大豆収穫風景*5
(昭和30年代)
写真-9 農耕馬と新車トラクター*5
(昭和40年頃)
 

 写真-10は最近の大豆収穫風景で、写真-11は小麦の収穫風景である。収穫作業は完全に機械化されており、ほ場条件が整っていれば1台の大型コンバインで1日平均10ha以上の収穫が可能である。

図-1 鹿追町のトラクター台数の推移*11
写真-10 大豆収穫風景*6
(平成20年代)
写真-11 小麦収穫風景*8
(平成30年代)

3.国営畑地帯総合土地改良パイロット事業 鹿追地区



(1)事業概要
 国営畑地帯総合土地改良パイロット事業鹿追地区は1級河川十勝川支流然別(しかりべつ)川の東岸に広がる河岸段丘上で波状地形を呈する畑地帯であり、河東郡の音更(おとふけ)町と鹿追(しかおい)町に属する。表-1及び図-2に示すとおり、受益面積が5,256haの直轄明渠排水と、1,047haの農地造成、5,937haの畑地かんがい、7,703haの区画整理を総合的に実施した。

表-1 地区概要*7
図-2 鹿追地区の範囲*7
 

図-3 鹿追地区4事業種の重複状況模式図*7
 図-3は、総面積8,747haの鹿追地区の受益地における主要4工種の重複状況を示している。この図に「農業用用水5,937ha」と表示している畑地かんがいの受益面積が最も多く、その内訳としては「明渠+区画+用水」の4,137haが大半を占める。この受益地(畑)には直轄明渠排水事業による排水路整備と、区画整理事業による暗渠排水と、畑地かんがい(後述する肥培かんがい)という3種類の工種が実施された。このように、一つの受益地に異なる種目の土地改良事業を重複させて実施する事業が「総合土地改良事業」である。
 鹿追地区が着工した当時(昭和40年代前半)の十勝地方の主要作物は、寒冷地作物の馬鈴薯(ばれいしょ:ジャガイモの別名)、甜菜(てんさい:ビートの別名)と、市場取引される商品作物の豆類(小豆、大豆、菜豆)と、家畜飼料の牧草、デントコーン(青刈りとうもろこし)である。菜豆(さいとう)は完熟したインゲンマメ(隠元豆)の別名である。連作障害を回避するために、これらの作物による11年輪作が鹿追地区の標準的な作付け方式として計画された。(表-2)

左:写真-12 馬鈴薯(ジャガイモ)*2
中:写真-13 甜菜(ビート)*2
右:写真-14 菜豆(インゲン豆)*2
表-2 鹿追地区の作付け計画(11年輪作)*7
 

表-3 鹿追地区の事業経緯*7

(2)高度経済成長時代の零細農業
 鹿追地区が計画された昭和30年代後半は、わが国が戦後復興・食糧難の時代から高度経済成長へ移行し始めた頃である。成長著しい鉱工業部門と零細な農業部門との所得格差が広く認識されて、昭和36年に制定された「農業基本法」によって三つの政策目標「所得の均衡」、「農業の生産性の向上および農業生産の選択的拡大」、「農業構造の改善」が打ち出された。昭和29年に制定された「酪農振興法」に基づく「集約酪農地域」に北海道の多くの市町村が指定されて大規模酪農への道を歩み始めた頃であり、鹿追町及び近隣の町村は昭和31年に指定を受けて乳用牛の素牛(もとうし)導入と繁殖・育成に乗り出していた。

写真-15 畑を耕す神田日勝(左の少年)*9
 

(3)寒冷地作物と酪農
写真-16 整備された排水路*8
 明治時代の開拓以来、たび重なる冷害・凶作を経験してきた北海道の畑地では、馬鈴薯、甜菜、小麦、牧草などの寒冷地作物と豆類が栽培されてきた。馬鈴薯は主に澱粉(でんぷん)に加工されたが、開拓農家の自給食料でもあった。甜菜はビートとも呼ばれ、グラニュー糖の原料で家畜の飼料にもなる。商品作物である豆類(大豆、小豆、菜豆)は、道内の雑穀市場で取引されて畑作農家に貴重な現金収入をもたらした。需給情勢によっては小豆や菜豆が高騰する場面もあって畑作農家の生産意欲を刺激したが、冷害に弱いため収量が不安定だった。
 北海道で酪農が発展したのは寒冷な気候でも牧草が育ち、乳牛が寒さに耐えるからである。乳牛の飼養頭数を増やして経営を安定させるためには農地面積を拡げて飼料作物を自給する必要がある。

(4)冷害対策には排水が必要
 冷害対策には畑の地温を上げることが重要であり、そのために春は一日でも早く融雪水を引かせて、その後は降雨による農地湛水を防がなければならない。そのため、鹿追地区にも地域全体の排水路整備が必要だった。また、降雨後にぬかるむ畑から水を引かせて根腐れ病などの病害から畑作物を守るためには、暗渠排水管を埋設して地下水位を下げることも必要である。

(5)地下水脈が低くて、小河川が氾濫する鹿追台地
 この頃の北海道には水道が無い農村が多かった。丘陵台地に拓けた鹿追地区の地下水脈は低くて井戸が枯れやすく、農家は鉄分が多い薄茶色の井戸水を生活用水にしていた。乳牛が増えると、馬車や馬ソリに容器(集乳缶)を積んで台地の下を流れる河川へ水を汲みに行き、牛舎で使う雑用水を運ぶ作業が毎日の仕事になった。その一方で、波状地形の台地では河川が蛇行したままで氾濫しやすく、周辺の畑地が水に浸かった。そして、小河川の氾濫原を開墾した畑地には大小の石礫が残っていて農作業の障害になった。また、鹿追地区の農地はほとんどが火山灰性土壌で肥沃度が低く、土壌中の過剰な水分を排除するために暗渠排水が必要だった。

(6)未開墾地と既耕地が錯綜
 第2次世界大戦後の昭和20年代に大勢の海外引揚者が入植して緊急開拓事業が行われた北海道の農村も、昭和30年代には新規入植がほぼ無くなっていた。既存の農家が耕作地を増やすために手っ取り早い方法は自己所有地の開墾である。鹿追地区では河川の周辺や既耕地の中の窪地などに散在する湿地が未開墾のまま取り残されていた。そのため、開拓農家に配分された入植区画のなかに不整形(いびつな形状)に開墾された既耕地と、散在する未墾地が入り混じる錯綜(さくそう)状態が出現していた(写真-5)。これら過湿未墾地の開墾には蛇行している中小河川の改修が必要で、資力が乏しい農家が重機で開墾することは困難であり、国や北海道の事業でなければ実現できなかった。

図-4 鹿追町の戸当り乳牛飼養頭数の推移*11
(7)乳牛の多頭飼育と排せつ物処理
 鹿追地区の調査が始まった昭和37年頃に4頭/戸だった乳牛の平均飼養頭数は、地区着工直後の昭和45年に10頭/戸になり、その後も増え続けた。積雪寒冷地で乳牛を飼育するためには牛舎が必要であり、つなぎ飼い式の牛舎から出る大量の糞尿を保管・処理する必要がある。成牛が1日に排泄する糞尿の量は概ね45kg/頭であり、冬期間に溜まる大量の排泄物処理が酪農家を悩ませていた。

(8)鹿追町が直轄明渠排水を要望
 この当時、未改修の小河川を水はけの良い排水路へ造り変える「直轄明渠排水事業」が北海道開発庁の北海道開発局(現在の国土交通省北海道開発局。以下「開発局」と呼ぶ)によって実施されていた。4~5年に1度の割合で発生する冷害から畑作物を守り酪農を振興するために、開発局の下部組織である帯広開発建設部へ鹿追町長が直轄明渠排水事業の新規採択を要望したのは昭和35年であった。

4.四つの主要工種へ段階的に着工した鹿追地区



(1)土地改良事業の主要4種目と事業主体
 昭和24年制定の土地改良法に基づいて実施された土地改良事業の事業種目のうち、北海道の畑地帯に関係する主要4種目を以下に示す。
1)「農地造成」は、山林原野などの未墾地を農地に造り変えて、造成農地に必要な道路、排水路、営農用水などの生産基盤も整備する。
2)「かんがい排水」は、既耕地へかんがいするための水源施設や用水路、排水路を整備する。
3)「直轄明渠」は、国営かんがい排水事業の一種で、北海道内において開墾予定地や畑地の排水路を整備する。
4)「区画整理」は、既耕地の区画を整形して、暗渠排水、石礫除去、客土などで耕土の性質を改良する。
 また、土地改良事業の事業実施機関は受益面積の規模に応じて異なる。
・「国営土地改良事業」は、広大な受益地(少なくとも数百ヘクタール規模)がまとまっている地域で国が実施する。
・「道営土地改良事業」は、中規模の受益地(数十ヘクタールから数百ヘクタール規模)で北海道が国から補助を受けて実施する。
・「団体営土地改良事業」は、小規模の受益地(数十ヘクタール規模)で市町村又は土地改良区等が国と道から補助を受けて実施する。

写真-17 開発局の鹿追地区調査担当技官*5
(2)整備スピードアップの決め手は総合事業
 昭和30年頃の土地改良事業制度では、小河川の周りに錯綜している既耕地と未墾地を前述した4種目に区分しなければならなかった。また、水路末端の受益面積に応じて別々の機関が事業を実施するため、事業開始手続きや予算要求に多大な労力と時間を要した。
 鹿追町長が直轄明渠排水事業を要望した昭和35年頃、全道の要望地区が多いにもかかわらず予算が限られている直轄明渠排水事業だけでは完成までに長い年月がかかるため、開発局は北海道の広大な畑地帯にふさわしい新規事業を模索していた。それは、事業種目と事業実施機関の垣根を取り払って一体的に実施する国直轄の総合土地改良事業であった。
 開発局からの要請に応えた農林省(現在の農林水産省)は、畑地の総合的な整備をきっかけに農業生産が飛躍的に向上して農家経営が安定すると予測された鹿追地区をモデル地区に位置付けて、昭和37年度から「畑地帯総合土地改良事業 鹿追地区」の調査が始まった。(写真-17)

(3)国営畑地帯総合土地改良は「パイロット事業」
 昭和37年度から40年度までの4カ年の調査を経て、鹿追地区は全体実施設計の段階へ進んだ。このとき国の予算書に記載された事業の名称は「畑地帯総合土地改良パイロット事業」であった。戦後の緊急開拓を引き継いで農地造成を担った国営の「開拓パイロット事業」や、未開の原野を広大な酪農地域に造り変えた農用地開発公団営の「根釧パイロットファーム」と同様に、国営畑地帯総合土地改良事業にもテストケース(実証試験)の意味を持つパイロットという言葉が付け加えられた。
 その第1号となる鹿追地区の全体実施設計では、既存の事業制度との間に不公平を生じさせないための事前調整が行われた。例えば、国・道の補助率と農家の負担率に関しては、国(開発局)が一体的に実施する方式(以下、「末端一貫施工」と呼ぶ)であっても、面積規模に応じて従来の国営、道営、団体営の負担率が適用された。そして、これらの負担率を合成して国の負担割合を算出した「修正国庫負担率」が地区ごとに算定された。また、畑地帯総合土地改良パイロット事業は、既耕地と未墾地が錯綜していることが前提条件なので、錯綜状態を判定するための要件(未墾地率)も定められた。

(4)国営事業の創設議論から生まれた「道営畑地帯総合土地改良事業」と「道営営農用水事業」
 全体実施設計での様々な要件整理のなかで最も難航したのが営農用水と区画整理だった。それまでの大規模農地造成(開墾建設事業、開拓パイロット事業)は、新規入植地に必要な営農用水(簡易水道)も一体的に整備して入植者の生活と家畜飼育を支えた。しかし、開拓が進んで農家が定住した既耕地集落のために営農用水を整備する事業制度は存在しなかった。このとき、農林省が検討と調整を重ねて導き出した答えは土地改良法に基づかない事業だった。北海道が実施する補助事業として「道営営農用水事業」が昭和43年に創設された。
 同じ昭和43年に、それまでの国営畑地帯総合土地改良事業の検討経緯を踏まえて道営の「畑地帯総合土地改良事業」が創設され、末端一貫施工を含む総合的な畑地整備が国営に先駆けて開始された。しかし、道営事業は国営事業よりも農家負担率が高いため、鹿追地区のように広大な未墾地を有する畑地帯には馴染まず、国営規模の受益面積を有する畑地帯では道営の農地造成や排水路整備の負担率は敬遠された。
 道営営農用水事業は土地改良法の枠組みから外れて実現したが、区画整理は土地改良法に明記されている主要な事業種目である。そして、昭和38年度に創設された道府県営の「ほ場整備事業」による区画整理が水田地帯の機械化農業に貢献していたことから、北海道の畑地帯でも国営事業の農地造成や直轄明渠と一体的に実施する区画整理が期待された。国営の区画整理に前例が無い状況のなかで、道営の畑地帯総合土地改良事業創設と同じ昭和43年度に鹿追地区では既存の事業制度に基づいて直轄明渠排水事業に着工しており、国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の制度確立に向けて国営区画整理の検討が続けられた。

表-4 鹿追地区の年度別事業経過*7
(5)北海道畑地帯の実情に合わない換地要件
 「北海道国有未開地処分法」は国有未開地への入植を奨励するため明治30年に公布された。入植地に適当な区画として300間(540m)四方の中区画を設け、その中をさらに150間×100間(約5ha)の小区画6個に分けて、この5haを農家1戸に配分する殖民地選定事業により、十勝地方にも殖民区画(300間区画)が形成された(写真-5,6,7)。
 昭和24年に制定された土地改良法は区画整理を「土地の区画形質の変更の事業」と規定している。水田を念頭におけば「形」と「質」の変更が同時に行われるのが一般的であり、不整形ほ場の外郭を成していた農道や畦畔等の移設後に、土地所有境界の変更登記を一体的に実施する「換地処分」も行われる。
 鹿追地区で国営区画整理が検討されていた昭和40年代、ほ場の外郭に配置する排水路と、ほ場の中に埋設する暗渠排水や客土など「質」の変更に対する需要は旺盛だった。しかし、北海道ではもともと整然とした区画で登記されているので、不整形ほ場と同じ区画の中の未墾地が開墾されてほ場の「形」が変わっても、変更登記や換地の必要は無かった。また、整形区画で登記されたほ場同士の「交換分合」で農地集積できるのが実態であり、換地による農地集団化(権利移動)も必要とされなかった。ゆえに、鹿追地区の全体実施設計で、本州の水田地帯とは前提条件が異なる区画整理の要件整理が難航したのである。

(6)4種目の事業に段階的に着工
 鹿追地区では、昭和43年度に既存の事業制度に基づいて直轄明渠排水事業が着工され、同年4月に帯広開発建設部の現地事務所となる「鹿追地域農業開発事業所」が開設された。昭和44年には用水施設整備(既存のかんがい排水事業に相当する工種)が「肥培かんがい」として開始され、昭和45年に農地造成と造成地に必要な農道の整備も開始されたが、区画整理は農林省と開発局の協議が続き、換地を計画しない区画整理がようやく認められて昭和48年に工事が開始された。昭和51年に確定した第1回計画変更は、それまで別々に着工していた4種目の事業計画を互いに整合させるために行われた。

図-5 未墾地と既耕地の一体整備事例*7
(7)既耕地と未墾地の一体整備
 図-5に鹿追地区で整備された受益地の一例を示す。未改修だった小河川から離れた場所と農道沿いに既耕地があり、小河川を掘削して小規模排水路(図中の青線)にすると水はけが良くなって周辺の湿地原野を開墾できる。鹿追地区では、取り残されていた原野部分を農地造成する際に、既耕地と未墾地を合体させてほ場区画を拡大し、暗渠排水管(図中の赤線)を一体的に埋設することができた。これは総合土地改良事業ならではの効率的な事業の進め方である。

(8)畑地の区画設計と農業機械の作業性能
 このときに定められた国営畑地帯総合土地改良パイロット事業の標準区画は、圃場1枚ごとの長辺が270m(150間)で短辺が90m(50間)である。これは、殖民区画(540m×540mの正方形)を12等分するサイズであり、圃場1枚の面積が約2.5haになる。長辺は、肥料や農薬、収穫物の積載量から農業機械の片道走行距離を検討して270mが上限とされた。短辺は、傾斜地の畑で雨水による土壌流亡を避けることを重視して90mが妥当とされた。そして、圃場1枚当たりの面積は、当時の大型農業機械の作業速度が1時間当たり0.5ha程度だったことから、1枚が2.5haであれば5時間(概ね1日)で作業を終了できる計算になる。
 ほ場を区切る小規模排水路は圃場の付帯施設であるから、施設用地を設定するための創設換地は不要である。農道は殖民区画に設定されていた格子状の予定道路敷地(国有地)を利用して整備する。整備後の農道は大半が砂利道だったが、集乳路線などの幹線道路にはアスファルト舗装が施された。このようにして、換地処分を行わずに畑地の区画を整理し、区画内の暗渠排水や客土を施工する国営畑地帯総合土地改良パイロット事業が実現された。

(9)全道に広がった国営畑地帯総合土地改良パイロット事業
 鹿追地区をモデルケースにして検討された国営畑地帯総合土地改良パイロット事業は、網走開発建設部管内の北見地区、旭川開発建設部管内のしろがね地区、函館開発建設部管内の駒ケ岳地区など、未墾地と既耕地が錯綜していた北海道内12地区の大規模畑地帯で実施された。

写真-18 バキュームタンカー散布*10
(10)酪農経営のために「肥培かんがい」を創設
 家畜飲用水と生活用水が道営営農用水事業で手当てされることになって、それまで営農用水調査をしていた鹿追地区の用水検討は「畑地かんがい」へ移行した。当時、道南の駒ケ岳地区(昭和46年度着工)の畑地では昭和40年度から試験ほ場で散水試験が開始されたが、土壌の水はけが悪い鹿追地区では排水路整備と暗渠排水が最優先課題であった。そして、家畜糞尿の処理も重要課題であった。
 この頃、開発局は肥効成分を含む農業廃棄物をかんがい用水に混合して畑地へ散布する「多目的かんがい」を考案していた。国営農地開発事業「西士幌地区」では澱粉廃液(馬鈴薯の絞り汁)を畑地へ散布する「澱粉廃液かんがい」が計画され、鹿追地区では乳牛の糞尿を牧草畑などへ散布する「肥培かんがい」の調査が昭和42年度から開始された。
 総合事業である鹿追地区では水源の頭首工と、地区内へ送配水する用水路(管水路)、配水池が「かんがい排水事業」で整備され、畜舎の近くへ引き込む支線用水路と貯水槽、ほ場配管が「区画整理事業」で整備された。(図-6)
 かんがい排水事業の一方式として鹿追地区で始まった肥培かんがいは、その後、道内各地の酪農地帯へ広まり、家畜糞尿が適切に貯蔵管理されるようになって、有機質資源の循環利用と公共水域の水質環境保全に貢献している。

写真-19 リールマシン散布*10・図-6 肥培かんがい施設構成模式図*7


5.鹿追地区 畑地帯総合土地改良事業の完成



 鹿追地区の調査が終了した昭和40年から区画整理事業の内容が確定するまでに行われた開発局と農林省の協議は昭和50年までの10年間にも及んだ。その後、農林省は昭和53年に名称変更されて「農林水産省」になり、北海道開発局は平成13年の中央省庁再編で国土交通省の下部組織へ移行して現在に至っている。鹿追地区の肥培かんがいは昭和52年に農業土木学会の「上野賞」を受賞し、昭和58年度に事業が完了した。当時の鹿追町広報誌に鹿追地区竣工式の記事が掲載されており、祝賀会で「出席者全員が牛乳で乾杯して竣工を歓びあった。」*5と記されている。以下*7に紹介するのは、鹿追地区完成当時の聞き取り調査で記録されていた受益農家の声である。

A農場(鹿追町字下鹿追、畑作経営) 経営主(30歳)とその妻、両親、子供2人の6人家族で農業従事者は4人。
 事業前は両親と冬季の臨時雇用にも出て14.5haを耕作、昭和47、48年から経営を引き継いだ。昭和43年に4戸共同で40馬力のトラクターを導入、それまでは馬だった。47年にトラクターの個人所有になるまで馬耕でやっていた。他に馬鈴薯、甜菜のハーベスター(トラクターへ装着する収穫作業機)を共同購入し、後で個人割にした。現在(聞き取り調査時)の農地は18haで耕地分散は3団地。昭和48年に5ha購入、56年に2ha交換分合で増やした。
 昭和50年から畑総事業(鹿追地区)で暗渠、区画整理を12ha、54、55年に農地造成。事業前は畑が湿地化し生活用水が無く困った。雪解け時期には畑が水に浸かり、馬がぬかって困った。井戸水は鉄分が出て飲めなかったが、10年前に営農用水ができて大変助かった。昔の農作業は朝早く、夜遅かった。月明りで豆を収穫したこともあった。中学生の頃は夜8時頃に両親が畑から帰ってくることが多く、時には祖母と晩御飯を食べて床に就いたあと、両親が帰ることもあった。今では機械が大型化してきたので仕事が速く済むようになった。夜6時に家族全員で食事ができる。
 畑の水はけが良くなって収量が上がった。馬鈴薯や甜菜の搬出は、(農道が整備された)今は畑にまとめておけばトラックが来てくれるので大変楽になった。作業では防除(用の水くみ)が一番きつかったが、今ではとても楽だ。これは水(かんがい用水)が来たおかげだ。47年頃は豆(の作付面積)が一番多かったが、今は馬鈴薯、甜菜が中心で収量も上がった。以前は道路が泥寧化して困ったが、今は凍結防止もされ、除雪も早いので朝早く家を出ることができる。雪が残ると家に閉じ込められることがあった。道路が立派に舗装されたので自動車の利用が容易で生活に不便しなくなった。農家の人々も変わったようだ。自信が着いてきたためだと思うが、人々は明るくなり、寄り合い(集落の会合)でも10年前にくらべて笑顔が多い。去年の凶作でもわりとニコニコしていた。何となく地域の輪ができたと思う。  
(出典:鹿追地区事業誌 文章中のカッコ書き部分は筆者加筆)

図-7 鹿追町の耕地面積の推移*11
 図-7に鹿追地区着工時から最近年までの鹿追町の耕地面積の推移が示されている。鹿追地区の農地造成が始まる前(昭和45年)は約11千haだった農地が、地区完了直後(昭和60年)に約2千ha増えて約13千haになった。この中には鹿追地区の農地造成面積1千haが含まれている。その後は、住宅地や公共用地への転用などによって600haほど減少している。
 図-8には農家戸数と平均戸当り経営面積の推移が示されている。昭和45年に約700戸あった農家が昭和60年には400戸ほどに減少し、その後も離農が進んで平成27年には約200戸になり、平均戸当り経営面積は15haから57haに増加した。また、図-4に示したとおり、平均戸当り乳牛飼養頭数は約190頭に達している。このように、鹿追町は北海道のなかでも大規模な酪農地帯へ発展しており、令和2年には乳牛21,185頭、肉牛9,830頭が飼養され、年間117千tonの生乳が生産されている※12。
 鹿追町の大規模酪農を支えるために、JAしかおいが酪農ヘルパーによる搾乳代行、コントラクターによる収穫作業受託、共同飼料調整施設(TMRセンター)の運営を行っている。また、町内2箇所のバイオガスプラントで家畜糞尿からメタンガスを発生させて発電し、その消化液を畑作農家にも提供する資源循環農業が行われている※3。

写真-20 牧草の収穫作業*11
写真-21 牛舎と鋼鉄製サイロ
図-8 鹿追町の農家戸数と戸当り面積の推移*11

図-9 鹿追町の畑作物作付面積・構成比率の推移*12
 最後に、畑作の現状を紹介する。図-9によると鹿追町に酪農が定着する前の昭和45年には6千haを超えていた畑作面積が昭和55年に5千haを下回っている。この間に鹿追地区の農地造成が実施されて農地面積が増加したことを考慮すると、急速な乳牛頭数の増加に伴って、いも類などの畑作地が牧草地に姿を変えていった様子がうかがえる。鹿追地区完了後の昭和60年以降における畑作物作付面積は概ね5千haで推移している。令和2年の主要畑作物の面積は麦類、甜菜(てんさい)、いも類、豆類の順になっており、耕地全体に対する畑作物作付面積の割合は44.3%である。
 鹿追町では加工用キャベツの生産も盛んである。大区画ほ場での収穫作業を省力化するために、全国的にも珍しいキャベツの自動収穫機が導入されている。また、種子用馬鈴薯の選別設備にAIカメラが活用されているなど、先進的なスマート農業が実践されている※13。

写真-22 小麦の収穫作業*2
写真-23 甜菜の収穫作業*2
写真-24 キャベツの自動収穫機*13


引用写真と引用文献
*1.鹿追町ホームページ
*2.JAしかおいホームページ
*3.農水省広報誌aff 2021年12月号
*4.国土地理院ホームページ(年代別写真)
*5.鹿追町70年史
*6.北海道農政部ホームページ「農業・農村リアル素材」
*7.鹿追地区事業誌「国営畑総事業の創設と鹿追地区の記録」(北海道開発局帯広開発建設部)平成14年3月
*8.国営土地改良事業等事後評価基礎資料 中鹿追地区(国営農地再編整備事業)
*9.神田日勝記念美術館ホームページ
*10.肥培かんがいシステムに関する参考資料(案) 寒地土木研究所
*11.鹿追町における国営土地改良事業の効果
 ―国営畑地帯総合土地改良パイロット事業鹿追地区着手から50年が過ぎて―
  (第63回2019年度 北海道開発技術研究発表会論文 相原慎一、伊東直也、濱本航希)
*12.「鹿追町における営農状況と振興方策」
  (第68回2024年度 北海道開発技術研究発表会論文 大島孝明、齊藤直人)
*13.農水省北海道農政事務所ホームページ「帯広地域拠点 フォトレポート」

2026年10月23日公開