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1.新潟県西蒲原
2.越後平野の生い立ち
3.三年一作
4.上郷と下郷における水利の宿命的矛盾
5.新川の開削
6.第五次新川開削工事
7.西川暗閘と西川閘門
8.大河津分水工事
9.国営新川農業水利事業
10.西蒲原200年の歴史
11.新川農業水利事業の概要

icon 1.新潟県西蒲原



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 新潟県西蒲原平野 ――― この平野が日本有数の穀倉地帯であることを知らない人はいないでしょう。しかし、わずか50年前のこの地の実情を知るならば、おそらく万人が驚嘆するに相違ありません。まだ当時は、地名どおり“新しくできた潟の西方にある蒲や葦が生い茂る原”が、この地の大半でした。


icon 2.越後平野の生い立ち



 越後平野はおよそ1,000年前(平安時代)まで、そのほとんどが海だったといいます。寛治3年の越後絵図では、平野全域が海として描かれています。ただしこの絵図は想像説が強く、真相はわかりませんが、いずれにせよ、普通の大地でなかったことは確かでしょう。おそらくは広大な干潟であったと思われます。
 ここに信濃川などの大河が長い年月をかけて越後山脈の土砂を流し込み、新潟は、文字通り“新しい潟”として出現しました。
 そこに住み着いた農民は、わずかに盛り上がった土地に家を建て、あたりの泥沼に、腰や肩まで水につかり、泳ぐようにしながら稲を植えたといいいます。農民たちは、その水の中の農地を1ミリでも高くするため、爪のついた長い竿で川底の土をかき集め、舟に乗せて自らの農地に運びました。秋から初冬にかけての農家総出の日課は全身泥まみれになり、身が切れるほどの冷たさに耐えての重労働でした。そういう営みが昭和時代まで続いていました。


icon 3.三年一作



 しかも、そうした過酷な営みも、頻繁に起こる大洪水によって、家も農地も家畜も、一切が流されてしまいます。明治の「横田切れ」、大正の「曽川切れ」、昭和 の「6.26水害」など、江戸時代から戦後までの350年間に約100回(ほぼ3年に1回の割合)の洪水に見舞われていました。
 右図は、江戸初期の正保4年に描かれた越後絵図です。この絵図で目立つのは、昔の海の名残か、湖とも沼とも川とも判別しがたくあちこちに潟が偏在しています。言うまでもなく、これは低地(場所によっては海抜以下)であるため、川の水が集まり、行き場を無くして淀んでいる広大な沼地であり、平野全域が極度の湿地帯でした。
 今でこそこの地は、名だたる水田王国となっていますが、かつては3年1作、「鳥またぎ(鳥も食わない)米」などと揶揄された不毛の地でした。


icon 4.上郷と下郷における水利の宿命的矛盾



 西蒲原平野は、克服しがたい矛盾を抱えていました。図の赤い破線を境に、水利状況が異なっていたのです。
 上流の上郷は、標高10mから緩やかに鎧潟に向かって傾斜していますが、水源が乏しく、渇水にも悩まされていました。一方、鎧潟より下流の勾配は、8km歩いてようやく1m下がるという平坦さであり、標高もほとんど1m以下で、あたりの悪水がすべてこの地に流れ込むという、大変な湿地帯でした。
 わずか一寸の土地の高低が水の流れを変え、村の存亡を決する――― つまり、渇水時、豪雨時とも上郷、下郷では利害が完全に相反し、取水のための堰の開け閉めをめぐり、村内を取り囲む囲堤や江丸(支線排水路の堤防)の高さをめぐり、上流、中流、下流が、さらには右岸と左岸が、鍬を片手に争い、しばしば流血の惨事を引き起こすなど、凄惨な闘いが繰り返されてきました。しかし、この地は、長岡、新発田、会津など9藩や幕府直轄地が複雑に錯綜し、抜本的解決を図る河川工事は望んでもできませんでした。


icon 5.新川の開削



 抜本的解決策は2つありました。まずは洪水の主な原因である信濃川の流量を減らすこと(大河津分水)、もう一つは下郷に集まる悪水を日本海へ流すことです。
 後者の新川開削は三潟(大潟、田潟、鎧潟)の水を水位の高い西川の底を潜らせ日本海に流すという荒療治でした。計画に反対する者に様々な条件がつけられましたが、文化14年(1818)、ようやく待望の許可が下り、翌年、この歴史的大工事が始まりました。
 述べ300万人の農民が工事にあたり、砂丘が切り崩されていきました。10年の月日が費やされ、投じた経費6万両は村上藩と長岡藩の庄屋(長岡藩は財政が圧迫していたため)が負担しました。西蒲原に生きた幾百万という農民の、幾百年にもおよぶ悲願の達成でした。

icon 6.第五次新川開削工事



 新川の開削工事は、大正2年に完成する西川暗閘に代わるまで、砂丘が決壊したり、水路の藻の繁殖などで著しく流水が妨げられたりしたため、5回の工事が繰り返されました。
 天保4年(1833)の大工事では水路幅も拡張され、底樋の数も5つに増えました。このときの工事は全額地元負担、工事にあたった農民は述べ200万人と記録されています。
 5回目の工事は、藩政の足かせも取れた明治中期。100の村が底樋組合を作って管理にあたっていましたが、明治27年、新川疏水普通組合が創設され、平野全体の排水改良事業が実施されることとなりました。ところがその矢先、新潟平野は未曾有の大水害に見舞われてしまいます。明治29年7月、信濃川筋の横田堤防が決壊し、新潟平野全域が泥海と化します。西蒲原平野の水田1万8000haも泥の水の底に沈んでしまいました。

icon 7.西川暗閘と西川閘門



 この横田切れ(横田堤防の決壊)を機に、県は煉瓦造りの巨大な水門を造る計画を提案しましたが、利害の反する他の水利組合が猛反対し、同38年、またもやこの平野は「横田切れ」に劣らぬ災害に見舞われます。
 翌年、県は新川に河川法を適用し、ようやく河川改修の付帯工事として底樋の大改造を施行することとなりました。これが、昭和30年の水路橋に代わるまで威容を誇った「西川暗閘」です。
 さらに明治37年には、信濃川と西川の分岐点に閘門が建設され、信濃川からの流入量がカットされ、洪水の害も半減しました。これらの大工事により、この平野の生産力は2倍以上に激増しました。


icon 8.大河津分水工事



 この平野の抜本的課題のひとつ、新川開削はほぼ達成しました。残るは、信濃川のショートカット、大河津分水です。
 工事は明治2年に始まりましたが、途中2度まで挫折し、同42年再開したものの、地すべりが多発し工事は難航を極め、完成したのは18年後の大正14年です。
 日本海への放流は、これだけではありません。昭和14年には樋曾山隧道が、さらに昭和36年には新樋曾山隧道がいずれも県によって建設され、矢川を巡る排水対策が施されています。
 ここに至ってようやく、西蒲原平野の治水対策は、その基礎が形成されたことになります。しかし、それは防災としての基礎に過ぎず、言い換えれば、ようやく他の地域と条件が同じになっただけのことです。地域繁栄を支える真の骨格づくりは、ここからがスタートであり、それは、この平野における新しい水利秩序の形成です。

icon 9.国営新川農業水利事業



 これまでの事業は、いずれも利害の対立を伴っており上流・下流、右岸・左岸と平野全域にわたって、用水から排水まで一元的に制御できる近代的な水利システムを確立する必要がありました。
 戦後間もない昭和22年、いよいよ国営新川農業水利事業がスタートしました。まずは不足しがちであった用水系統を末端まで整備し、緻密な用水・排水路網を築き上げました。さらに巨大な排水機場によって強制的な排水を図り、鎧潟をはじめとする三潟を干拓し、近代的な大区画ほ場を整備するという壮大なものです。国営事業は1期、2期と32年間に及び、鎧潟干拓事業も平行して行われました。さらにこれらに付帯する様々な県営事業が相次いで施行されて、西蒲原平野は、日本の高度経済成長と歩調を合わせるかのように、近代的な大地へと変貌していきました。そして、昭和54年、遂にこの平野の新しい骨格(水体系)が確立されました。


icon 10.西蒲原200年の歴史



 西蒲原平野200年の歴史はほとんどが大地の改良の歴史だったといっても過言ではありません。そして、かつて「3年1作」と自嘲し、舟農業と珍しがられた沼地だらけの農村は、国内屈指の水田地帯へと目を見張る変貌を遂げました。しかし、大地の形状が変わったわけではありません。干拓された鎧潟の農地は、いまも海抜以下のままです。いくつかの排水機場で強制的に水を排除することによって、かろうじて平野たりえています。例えば、新川河口排水機場の総排水量は240m3/s。これは利根川の平均流量240m3/sと同じです。
 つまり、利根川に匹敵する排水能力を稼動させることによって、この国内屈指の穀倉地帯が成立しているのです。したがって、もし農業が衰退し、これらの水利施設が用をなさなくなれば、平野は歴史を後戻りすることになります。
 先人の200年に及ぶ凄絶な闘いのうえに築かれた壮大な水利システム ――― 私たちは、この資産をそっくり次世代に伝えるべき大きな責務を背負っているのではないでしょうか。

icon 11.新川農業水利事業の概要



受益地
新潟市の一部、巻町、岩室村、燕市、分水町、吉田町、潟東市、西川町、黒崎町、味方村、月潟村、中ノ口村、弥彦村

受益面積
20,234ha

主要工事
・新川河口排水機場建設
・西川水路橋
・新川水系の排水路の改修
・排水機の建設
(新川、大通川地区、広通江地区、鎧潟排水区、旧木山川排水区、新川左岸排水区、新川右岸排水区、旧広通江排水区)
・新川浚渫工事
・中央管理所建設(排水制御施設)

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