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1.関川とその水利用
2.かんがい用水の開削
3.用水慣行
4.農業用水と電力
5.国営関川農業水利事業
6.新たな国営関川用水事業

icon 1.関川とその水利用



関川と高田平野
関川と高田平野
 1) 関川の流況
 関川は新潟県の南西部、上越市と妙高市に位置し、その流域面積は1,143㎢で新潟県では信濃川、阿賀野川に次いで、ほぼ同面積の荒川と並ぶ大河川です。また、関川流域の年間総降水量は3,000㎜に達し、全国でも最も多い地域となっています。しかしながら、そのほぼ半分は降雪によるものであり、年間の最大流出量が2、3年に一度は融雪時に発生していることから、無効流出の多い河川とも言われます。一方、関川本川流域での年間総流出量に対する総取水量は29%と算出され、全国的に見てもかなり高く、近畿や山陰に近い利用率となっています。
 また、関川の上流域は「妙高戸隠連山国立公園」に指定される山岳地帯であり、標高2,000m級の山岳から日本海までの流路64kmの間に急激な標高差があり、標高50m以下の平野部の面積は220㎢で全流域面積の19%に相当しています。


 2) 関川の水利用
 この流域に人が住み始めた痕跡としては、約4万年前に遡る氷河期時代の野尻湖人文化が知られており、その後、はるか竪穴住居、縄文土器の時代を経て、鎌倉時代には水を求めてかなりの集落が開けていたことが記録に残っています。  平野部での新田開発は、関川各支川の扇状地の水利に恵まれた地域から始まり、そこに文化が開けたことが想像でき、古墳や式内神社からもこれを裏付けることができます。その後も支川から扇状地への用水路が相次いで開削され、渇水量の限度を超えた段階になって初めて関川本川からの大規模取水と水路の掘り継ぎが行われていくことになります。

icon 2.かんがい用水の開削


 1) 関川三大用水
図1 高田平野の農業用水路
図1 高田平野の農業用水路
 新田の開発には当然のことながら河川からの引水が必要であり、新田地への必要量に見合った用水路がその都度開削されていくことになります。「くびき野」とも呼ばれる高田平野は、発達した扇状地と日本海への平野の緩傾斜により、用水開削への自然条件が良く、江戸初期に急速に進んだ開田と並行して大規模な用水開削が進められました。関川本川流域では後の時代に関川三大用水と呼ばれる、上江、中江、稲荷中江がそれぞれの時代に適合した独自の開発手法を選択しながら掘り進められ、最も長期に亘った上江用水の開削も藩政時代の後半までに完成しており、新潟県内では早くから大規模な水利組織が出来上がった地方と言えます。  この三大用水は、他力に頼らない農民自らの自営普請とした上江、全線を藩営事業によった中江、そして藩の殖産興業政策として実施された稲荷中江として各々特徴づけられています。

 2) 上江用水
 一滴の水も欲しい農民たちが自らの生産を確保するため、今から400年以上前の安土桃山時代の天正年間(1573~1592)に関川を堰き止め取水し、それを導く水路を自力で開削したのが上江用水の始まりと言われています。
上江幹線用水路(別所川サイホン)
上江幹線用水路(別所川サイホン)
 上江用水はその後、約200年の間、三期に亘って掘り継がれていくのですが、その間には支流で先発して開削された用水や、後発ながら先に完成を見た中江用水等との調整に多大な時間と労力を必要としました。 また、高田藩の突然の改易や幕府の財源ひっ迫による大規模工事の見合わせなど、不運の時代に遭遇したのも上江用水の大きな特徴です。用水が延々と掘り継がれていった背景には、常に先頭に立ち私財を投げ打って、困難に立ち向かいながら難工事を進めた三代にわたる庄屋家と、それに従ってきた農民たちの血の滲む努力がありました。

 3) 中江用水
 寛文年間(西暦1661~1672)の大干ばつ後、延宝2年(1674)より高田藩の藩営事業として中江用水の開削が開始されました。延長26kmの水路がわずか4年で完成を見たのは時の幕府の権力と技術力を背景としたものでした。
中江幹線用水路中流部
中江幹線用水路中流部
また、中江用水は関川水系の用水の中でも、唯一の貯水池として「野尻湖」を占有するとともに、工事完了後の主要施設の維持修繕費を頸城郡内全体の田地から徴収するなど、特別な位置付けを持った用水と言えます。
中江用水は関川水系の中心的用水として、開発から維持管理に至るまで特権や保護を受けてきましたが、明治以降も関川の利水の権利を主張し続け、時の政治的経済的圧力に屈することなく野尻湖の水利権も頑なに堅持してきました。このことから、関川水系にあって中江用水は他の用水組織のリーダー的役割を果たし、自らも他とは一線を画した意識を保持してきたと言えます。

 4) 稲荷中江用水
関川頭首工
関川頭首工
 稲荷中江用水は文化8年(1811)完成しています。稲荷中江はもともとは関川の支流である矢代川の水を取り入れてかんがいしていた西中江の下流部を利用し、取り入れ口を関川に変更して西中江に接続したものです。西中江は中江(東中江)と同様に高田藩営事業として実施され、寛文12年(1672)に完成しており、藩営事業としては最も早いものでした。 水源である矢代川は夏期になると著しく渇水となり、干ばつに苦しむ農民たちは豊富な関川からの水を引きたいと幾度となく望みましたが、当時、江戸幕府の直轄領の開削には許可などが得られず実現には至りませんでした。   その後、文化6年(1809)に現在の稲荷中江用水の位置する木島村が高田領になったことを契機に、関川本川の水を矢代川に引く大工事が許可され、2年で新たな水路の開削が成し遂げられました。写真は稲荷中江用水の主要な取水施設である関川頭首工であり、平成7年の洪水を受け災害復旧事業により改築されました。

icon 3.用水慣行


 1) 外部慣行
 関川は、野尻湖から流れ出る池尻川の水も加えて水量を豊かに保っています。寛文5年(1665)、高田城主松平光長の時代に領地である野尻湖の水を関川に落とし、これを導水する構想が立てられました。以来、野尻湖の水利権を中江用水が持つようになったと言われています。
野尻湖から笹ヶ峰ダム方向、妙高山を望む
野尻湖から笹ヶ峰ダム方向、妙高山を望む
 中江用水は、その後の長い歴史のなかで自らの水利権を守り、維持するために努力してきました。その間の発電事業の発展につれても、頑として既得水利権を主張し、史実的にも確固たる水使用の優先権を守り続けてきたのです。  関川水系では明治40年に蔵々発電所が完成して以来、発電事業の拡張が進められました。その後、笹ヶ峰に貯水池が設けられ、下流に12ヶ所の発電所が運転されることになるのですが、流量の低下による運転障害も頻発しました。このことから、電力会社は野尻湖の貯水機能を活用するため、池尻川に揚水発電所を設けるなど施設の整備に努めました。これらの発電事業の総ては、渇水に苦しむ下流の用水団体との間の密接な協力のもとに施行された相互共存の事業であり、関川の渇水を調節し緩和する機能を有する発電用水は、いかなる場合でも、発電を停止してでも下流に供給する義務を負わされているのです。


 2) 内部慣行
 関川本川から取水している各用水は、いずれも上流集落を通過する際に土地の手当てや交差する水路や河川などの関係から、幾多の障害に遭遇しました。このことから、当該集落に対して組合費の負担を一切求めずに用水利用の権利を与えることを条件に、水路の開削を承認させたものです。この集落の範囲は「客水区域」と呼ばれ、その後も平成の時代までこの用水慣行が続くことになります。  上流の客水区域は夏期の渇水時にあっても不自由なく取水できることから、全体の水量が著しく不足する場合は、客水区域や上流地域に対して「貰水」として代償を納める慣習が延々と続きました。  このような客水に代表される内部慣行は、用水の絶対量が不足する地域にあっては、上下流の位置関係や開削の年代の新旧によって生ずる利害関係を調整するために、やむを得ず定められた慣例であると言えます。 このほかにも、関川水系の各地では、幹線的な分水施設や末端に至るまで用水を分ける比率や時期などに関する詳細な取り決め、あるいは暗黙の了解事項が数多く残されています。

表1 関川水系の客水区域(国営関川農業水利事業受益地区内)
表1 関川水系の客水区域(国営関川農業水利事業受益地区内)

icon 4.農業用水と電力


図2 関川水系水力発電所配置図
図2 関川水系水力発電所配置図
 1) 関川水系の電源開発の始まり
 関川水系の山間地は、日本有数の豪雪地帯で春の雪解けと秋の雨季に河川水量が多く、かつ急流のため落差も大きいことから水力発電事業に適した立地条件にありました。  また、関川に沿って鉄道が早くから開通し、資材の輸送力も備わっており、明治39年に旧信濃電気(株)が関川対岸の長野県に高沢第一発電所を建設したのが電源開発の始まりです。以降、関川水系には、12ヵ所の水力発電所が設置され、上越地域では明治40年の蔵々発電所の運転開始以来、大型化学工場の進出や農村地域の農作業の電化(籾すり機、乾燥機など)にも繋がりました。

左側が水没した電力用の貯水池
左側が水没した電力用の貯水池
 2) 笹ヶ峰共同貯水池の建設
 昭和4年に信濃電気と中央電気が共同(後の昭和26年に東北電力(株)に)で、発電能力を高めるため上流部に笹ヶ峰共同貯水池を築造し、貯留水を管路で繋いだ下流部の多くの発電所に次々に流すことで、より多くの電力を発生させる仕組みを構築しました。 この貯水池は、その後、後述する農業用の笹ヶ峰ダムが完成し、その湖底に沈むまで下流域の高田平野が求めていた農業用水にも恩恵をもたらしました。


 3) 農業用水と発電用水との共存

東北電力(株)板倉発電所
東北電力(株)板倉発電所

 関川の水は江戸時代から農業用水として使用されてきたことから、農業用水の水利権を持つ各用水組合と後から参入した水力発電所とは極めて深い利害関係にありました。 しかしながら、豊富で安定した関川水系や野尻湖の水源を確保したいと言う思いは、電力会社も各用水組合も同じでした。 このため、支流を含めて上流の水を一滴も無駄にすることなく各発電所を導水路で繋ぎ、最下流の板倉発電所で発電した後は、農業用水路に放流すると言う画期的な方策が電力会社から提案され、用水組合もこれに合意するに至りました。この板倉発電所は、昭和14年に第一発電所が完成し、翌15年に第二発電所が完成し、それまで関川本川に各々の取水堰から取水を行っていた上江用水と中江用水は、この板倉発電所からの放流水が供給されるようになり、以来この方式は現在も継承されています。 こうした利害目的の異なる両者が共存の道を歩むことになったこと、さらに特筆すべきは野尻湖の水を両者で利用するための方策を見出したことは、その後の全国的な水資源開発のモデルともなりました。 具体的には、冬期の発電によって低下した野尻湖の水位を回復させるため、日本初の揚水式「池尻川発電所」を建設し、関川の豊富な雪解け水を野尻湖に注水し、6月1日までに満水にして農業用水の貯水量を回復させるものでした。


icon 5.国営関川農業水利事業


 1) 歴史的経緯
「当地域の農業用水の歴史は古く、3百余年前の延宝年間に、関川及び長野県野尻湖に水源を求めた用水が開削されたと伝えられる当地域は、関川上流部のダム建設により頸城平野7,118haのかんがい用水が確保され又、水利施設及び水配分の合理化のための水管理システムの整備を行い、本地域農業経営の安定と近代化を図るため、本事業が発足したものであります。」昭和59年3月に発刊された事業誌「関川」の序文で当時の伊藤北陸農政局長はこのように述べています。 また、同時に発刊された「笹ヶ峰ダム技術誌」の巻頭で、事業を締めくくった当時の田辺所長はこう記しています。「歴史的とも言うべき水利慣行により、常に用水不足と排水対策に悩まされ、一日も早い完成を望まれていた国営関川農業水利事業も、昭和43年の着工以来16年の歳月を要して漸く完成いたしました。笹ヶ峰の大自然のなか、自然との調和を保ち、上信越高原国立公園内でもひときわ景観を呈する笹ヶ峰ダム(乙見湖)は農民の長い間の夢を満たしているかのようであります。」 両者の言葉から読み取れるように、この地域の農業は用水の絶対量の不足による絶え間ない水争い、上下流の複雑な水利慣行、そして近代では水力発電との共存など水をめぐる調整の長い歴史の上に成り立っています。
 2) 水源の確保
 この地域が国営事業を導入することになる直接の動機は、昭和26年の干ばつにあります。関係土地改良区は水不足を解消するにはダムによる貯留水の確保以外にないとして、昭和27年に「ダム建設期成同盟会」を結成しました。 また、各々の用水組織間に存在する強固な用水慣行は、家々の冠婚葬祭から地域の行政にまで影響力を持つものであったことから、これを解消し近代化された水使いに生まれ変わることは万人の望むところであり、そのための十分なかんがい用水の確保は地域の大きな命題のひとつでした。
 3) 事業計画のとりまとめ
 地元からの要望を受けて昭和29年から「関川地区調査計画」が開始され、昭和38年に土地改良法の公告がなされ、96.2%の同意率を以て事業申請が行われました。 その過程では、上越地域の発展のために上水、工業用水などの都市用水も開発すべきとの意見や、新たな水利権は誰が取得するか、施設は誰が管理するか、客水地区の負担金をどう扱うかなどの課題が山積し、それらの調整が難航したことが計画の取りまとめに長期間を要した背景にあります。 結果として、その計画内容では旧来の水利慣行が是正されず、ダムの貯留水が有効に使われないことが懸念されるとともに、客水区域の負担除外もあり、更なる調整を求められました。 地元では、再度協議を行ってダムの築造と併せて水路改修を行う計画とし、昭和42年に改めて土地改良法の公告を行い、97.1%の同意率で施行申請書を提出し、昭和43年に計画が決定されました。 また、併せて国営から引き継がれる支線用水路などの整備が附帯県営事業によって並行的に進められ、受益地末端まで安定的な用水の供給が確保されました。
 4) 事業内容
国営関川農業水利事業の事業概要は以下のとおりです。
 
表2 事業概要(昭和51年3月時点)
表2 事業概要(昭和51年3月時点)

  ① 笹ヶ峰ダム

笹ヶ峰ダム
笹ヶ峰ダム
 笹ヶ峰ダムは、昭和4年に前述の電力会社により築造された笹ヶ峰共同貯水池の直下に計画されました。有効貯水量900千㎥の発電用貯水池を水没させ、新たに有効貯水量9,200千㎥のダムを造ることになるのですが、代替施設とその管理や工事中の補償のほか、ダムサイトの地質上の難点、さらには国立公園特別地域内であることなど様々な制約がありました。しかしながら、そこは関川水系唯一のダム建設可能地点であることから、綿密な調査計画を経て構造の細部が決定されました。ダムの建設は昭和44年の工事用道路の着工に始まり、翌年の仮排水路着手、昭和46年からのダム本体着工と進められ、昭和51年に築堤が完成したのです。 笹ヶ峰ダムの緒元は次のとおりですが、特筆すべきは全国の農業用ダムでは最も標高の高い地点に建設されたダムであることです。
表3 笹ヶ峰ダム緒元
表3 笹ヶ峰ダム緒元

図3 笹ヶ峰ダム断面図
図3 笹ヶ峰ダム断面図

  ② 幹線用水路

用水系統図
用水系統図
 本地区の幹線用水路は、取水源である関川とほぼ平行に流下しています。その路線数は関川右岸幹線用水路を始め、3系統5路線で約34kmの延長になります。国営事業で整備される前の水路は素掘りや空石積2面張りがほとんどで、漏水が激しく、渇水時には排水路の堰上げや反復利用を余儀なくされていたことから、コンクリート三面張りに改良するとともに、ほ場整備事業の導入による水田立地条件の改良を進めました。
図5 幹線用水路標準断面
図5 幹線用水路標準断面

 計画路線は水利慣行からほとんどが既設水路の路線を踏襲し、水路断面は基本的には鉄筋コンクリート矩形断面が採用されています。  幹線用水路は昭和45年度に中江幹線用水路から着手し、昭和46年度には上江幹線用水と大道子安幹線用水、昭和54年度に稲荷中江幹線用水、昭和55年度に関川右岸幹線用水路が着手され、昭和58年度に全線完了しました。

表4 幹線用水路一覧
表4 幹線用水路一覧
※大道子安幹線の受益面積と通水量は中江幹線の内数

  ③ 取水施設
 本地区では、かんがい用水を関川から直接取り入れる取水施設はそれほど多くはありません。国営事業により関川本川で築造された取水施設は関川頭首工のみであり、用水の大部分は東北電力株式会社の水力発電所の放流水を幹線用水路に導いています。  受益地に必要な流量17.038㎥/sの大部を占める15.450㎥/sが鳥坂発電所地点から導水され、最下流の板倉発電所を経て上江用水と中江用水に分流されます。  関川本川の関川頭首工地点では、関川左岸側の稲荷中江用水路に1.799㎥/sを取水します。この他の取水施設としては国営施工の子安頭首工(櫛池川)、県営施工の十ヶ字頭首工(関川本川)、同じく県営施工の矢代川頭首工(矢代川)などがあります。  なお、平成7年7月の豪雨被害を受けた関川頭首工は、河川災害復旧事業により平成12年に新たに改修されました。

表5 国営事業及び附帯県営事業による頭首工一覧
表5 国営事業及び附帯県営事業による頭首工一覧

icon 6.新たな国営関川用水事業


 1) 現状と課題
 国営関川農業水利事業で建設された笹ヶ峰ダムをはじめとする農業水利施設は、事業完了後30年以上が経過すると、コンクリート構造物の損傷や鋼構造物の腐食が発生し、農業用水の安定供給に支障が出始めるとともに、これらの水利機能を維持するために多大な管理費を要することとなりました。 特に標高が高く厳しい気象条件下にある笹ヶ峰ダムでは、凍結融解によるコンクリート構造物のひび割れ、剥離、欠損などが発生するとともに、ゲート扉体などの鋼構造物の腐食や耐用年数を過ぎた電気設備の故障が顕著になっていました。 このため、老朽化した施設の改修を適時に行い、農業用水の安定供給と施設の維持管理費を軽減するため、新たな国営事業の立ち上げが求められました。また、国営事業の中では新たな維持管理費軽減対策として、ダムから取水される用水の有するエネルギーを利用した小水力発電も計画されました。

コンクリートのひび割れ状況
コンクリートのひび割れ状況
取水ゲート扉体の腐食状況
取水ゲート扉体の腐食状況

 2) 事業内容
 新たな国営関川用水農業水利事業の事業概要は以下のとおりです。

表6 事業概要
表6 事業概要

笹ヶ峰ダムの老朽化(長寿命化)対策
笹ヶ峰ダムの老朽化(長寿命化)対策

図7 幹線用水路整備対象範囲
図7 幹線用水路整備対象範囲

 3) 地域の営農の姿
 これまでの先人達の尽力や意欲ある地域営農の取り組みによって、現在では、新潟(上越)米を中心に大豆、露地野菜などによる複合経営や担い手への農地集積を始め、地域農産物の生産・加工・販売に至る六次産業化も展開され、新潟県下でも有数の農業地域となっています。



 【参考文献】
・事業誌「関川」(S59.3):北陸農政局関川農業水利事業所
・笹ヶ峰ダム技術誌(S59.3):北陸農政局関川農業水利事業所
・関川用水地区事業概要(H27.1):北陸農政局関川用水農業水利事業建設所
・新たな国営関川用水農業水利事業(H27.10):北陸農政局関川用水農業水利事業建設所
・新潟県土地改良史(S61.10):新潟県農地部