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1.地域の形成
2.水土整備の歴史
3.国営事業の実施に至る背景
4.国営事業実施後の地域の現状
5.国営事業の概要

icon 1.地域の形成



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 刈谷田川右岸地区は新潟県のまんなか(重心のあたり)に有ります。本地域は信濃川、これに注ぐ刈谷田川と五十嵐川、それに東山に四方を囲まれた輪中です。南から北に1/1000以下に傾斜し、標高20m~10mが大半の低平地です。河川は曲折し平野のいたるところに堆積環境の変遷を示す氾濫原、河川の蛇行跡、自然堤防、島畑等が微高地を形成して変化を与えています。
 これらの微高地上に集居集落が発達し、水除堤で囲繞した囲堤集落、河川の氾濫によって生じた自然堤防に囲まれた集落、あるいは一方が山地に接する輪中があり、新潟では一般に「郷」と呼ぶ三条南部郷、貝喰(かいばみ)郷、嵐南(らんなん)郷、今町(いままち)郷などがあります。
 刈谷田川右岸地域は、山地からの流出に加え、信濃川の水位が上昇し氾濫すれば、沿岸一帯の低湿な水田地帯は一面の泥海と化し、満足な収穫が得られる年は洪水を免れた3年に一度くらいで、極めて不安定な稲作でした。その抜本的な解決策として大河津分水路が開さくされ、大正11年から洪水量11,000m3/secを直接日本海に放流することにより、信濃川水位の低下安定を得て、天井川で暴れ川の刈谷田川と左岸側が無堤で遊水地化している五十嵐川の洪水対策も進んで行きました。

icon 2.水土整備の歴史



 山林濫伐による水源涸渇や明治以降の新規開田による耕地の増大から、用水不足は甚だしく、用水源を渓流から河川水に転換が図られましたが、無計画に近いほどの拡大利用が進み、用水系統の確立がなされぬままに、上流からの排水を下流で堰止めて用水に利用するという、上下流の相反した水利から生じた対抗関係が生まれ、開発年代の相違や時の権力者間の対立と結び付き、長い間に慣行化し権利化されて対立が益々激しくなっていきました。
 また、大河津分水によって信濃川下流本川は堆砂が進み、排水改良の必要を痛感した貝喰川樋管普通水利組合と西本城寺水害予防組合は、今町全域の一大排水改良を企画しましたが調整がつかず、各ブロックが個別に機械排水を実施しました。このことがその後の大規模土地改良にあたり数々の問題を提起することになりました。

(1)刈谷田川大堰の建設
 用水源として最も古く且つ唯一の大規模なものであり、他に水源を見い出せない本地区はすべてこの大堰に依存せざるを得なかった。
 ①草堰の設置  明暦2年(1656)中之島組大庄屋大竹長右衛門が、新発田藩主の援助を得て,長さ60間、高さ5間、敷12間、馬踏み2間の巨大な草堰を今町付近の刈谷田川に築造した。用水期間は4月15日から9月15日までで、その他の期間は草堰を取り払って舟運の便を計った。藩からは堰留人足の扶持米を400人分、1人1斗、計40石を毎年付与せられ、粗朶萱場の免税も含めて明治4年まで継続された。
 ②過水吐ならびに煉瓦閘門の築造  明治17年、同21年に木製の樋管を設置したが十分でないため、明治41年に過水吐閘門として煉瓦閘門を堰右岸に築造し、洪水時や非かんがい期間は角落しを開放した。(高さ15尺、幅14尺、長30尺、2門)。


 ③固定堰の設置  大正8年から始められた刈谷田川改修工事の付帯工事として昭和2年に着手し同6年に完成し、草堰はコンクリートの固定堰となった。(長さ44間2尺、高さ2間3尺、巾10間)。
 ④可動堰に改良  昭和36、39年の集中豪雨により刈谷田川は破堤し、地域に大きな被害をもたらした。特に39年7月は堰の直上の左岸と堰の下流1,200mの右岸が破堤した。したがって、昭和28年から進められていた中小河川改修工事の付帯工事として、昭和47年3月に近代的な可動堰に改良された。(長さ126.3m 高さ19.2m ゲート29.4m×5.8m×2連)。


(2)福島江からの注水

 慶安4年(1651)福島村の庄屋、桑原久右衛門は信濃川妙見に取水口を設け猿橋川までの約20kmの長水路を開削した。この工事に3年余の歳月と莫大な労力・資材を投入したが、その効果は極めて大きかったので関係農民は桑原氏の功をたたえ、出生地の名を冠して「福島江」と名付けた。
 山林濫伐による河川水源涸渇や新規開田による耕地の増大から用水不足が甚だしい刈谷田川大堰は、福島江から水源を得ることができないか相談した結果、近隣関係組合と一緒に福島江改良工事共同施工契約をして、大正10年から14年にかけて福島江から刈谷田川へ放流する水路の工事を行い水源を得ました。
 開削当時約900haに過ぎなかった福島江は、現在8,000ha余りのかんがい面積を有する名実ともに一大用水幹線となり、現在、福島江刈谷田川大堰土地改良区連合として機能しています。


(3)県営貝喰川沿岸排水改良事業
 貝喰川沿岸は標高8.5mの池沼地帯で 破堤、逆流、押し水被害の常襲地でした。古くから貝喰川に逆流防止樋門を設置していましたが、大正期からの耕地整理で今町からの押し水も集中し、昭和16年の被害を機に昭和17年県営排水事業に単独着手しました。受益954町歩1,300mm渦巻ポンプ3台で旧刈谷田川へ排水します。

(4)県営嵐南排水改良事業
 五十嵐川の南部の常時湛水地帯で、排水は鱈田川と金子川が合流した直江川から信濃川へ流れ出る。昭和20年に着手、この水路を整備し土場に排水機を設置して70%を機械排水としたが、信濃川の水位が上昇すると逆水樋門を閉ざすのでまことに不都合であった。受益475町歩1,200mmポンプ4台。

icon 3.国営事業の実施に至る背景



(1)刈谷田川右岸土地改良区の設立
 昭和36年8月5日、信濃川下流地域に大被害をもたらした集中豪雨は、この地域のブロック間の慣行対立が被害の増大に結びつくことを痛感せしめた。三条市長 金子六郎、見附市長 目黒忠平、栄村長 木菱新左座エ門氏の提唱により国営事業推進協議会が組織される。
 昭和37年、地域住民の要望を受けた新潟県は、事業化の妥当性は十分と判断して、直轄調査を要求する。昭和38年から直轄地区調査が実施された。昭和39年6月の新潟地震、7月7日の集中豪雨と大被害はつづく。昭和43年から全体実施設計となり、地元説明で益々事業実施への機運が高まる。
 昭和43年、国営事業受入団体としての刈谷田川右岸土地改良区設立に向けて、管内全村落の代表による発起人会を組織し、同意の促進を図ったが難航。昭和45年3月に漸く設立認可を申請し7月に設立した。難航する同意に特に留意したことは、
①国営事業の計画区域全域を土地改良区区域とする。 ②あくまでも単一土地改良区とし、安易な土地改良区連合を避ける。
③地元負担金の率については6土地改良区が合併して組織が強固になってから決める。
 負担率を定款に明記しないことに県管理課は難色を示し設立認可に手間取ったが、それには次のような実情からであった。
 用水は70%を刈谷田川大堰に依存しているが、上下流及び各水系の対立によって合理的な維持管理がなされていない。排水は、信濃川の河床上昇で抜本的な対策が必要と認識され、昭和17年嵐南排水期成同盟協議会を結成して国県に陳情したが、負担割合で行き詰まり分裂、ここで負担金割合を打ち出しては纏まらない。

(2)国営事業の申請
 刈谷田川右岸土地改良区は設立間もなく国営事業の申請同意取得に奔走するが、またもや難航することとなる。
①刈谷田川大堰土地改良区は、組織を守り水利権と管理権を温存して用水配分の変更は認めない。国営事業は排水改良のみとし刈谷田川右岸土地改良区はあくまでも排水の管理団体に封じ込める。との方針であった。
②大堰土地改良区の一部に昭和江用水掛り720haがある。昭和江は福島江に加入しなかったため、下流部は常に用水不足に悩まされ上流部や大堰に気を使い、10倍の負担金に耐えてきたが、大堰に逆らえばさらにいじめられるので、大堰が反対している国営事業には同意することができない。
③他の地区が法定数を突破しているのに昭和江地区だけが一歩も進まず、昭和45年9月の申請が危ぶまれる状況であった。このため北陸農政局長、局幹部、新潟県農地部長、農地部幹部は刈谷田川右岸土地改良区と協議し、昭和江地区除外の方針を打ち出した。
④刈谷田川右岸土地改良区理事長早澤清一郎はこの案にどうしても同調できなかった。昭和江の水不足は明らかである。水路は用排兼用で排水能力が不足している。この地区が取り残されれば独自改良はとうてい不可能である。
⑤万一不調により一年遅れても止むを得ないということで農政局も了解し、新潟県の応援を得て9月下旬には84%の同意を得た。同意皆無3集落、半数未満2集落あった。45年10月1日北陸農政局刈谷田川右岸農業水利事業所が開設した。
⑥昭和46年3月12日、農林省は栄村役場に公告縦覧、異議申立期間は4月13日から15日間。197名の異議申し立てがあった。申し立て者のほとんどは昭和江組の人々であった。ただちに大堰土地改良区及び申立者に取り下げの折衝を開始し、6月9日取り下げ、6月10日国営事業は確定した。


(3)土地改良区の統合
 各土地改良区は旧来からの水利慣行に基づく維持管理や事業の実施で夫々独自の業務を実施しており、合併による組織の強化に原則的には賛成でありながら、合併の実務はなかなか進展しなかった。
 しかしながら異議申し立てを回避するために右岸土地改良区と大堰土地改良区が交わした、昭和46年4月の協約書では用水改良は実質不可能なものであり、これを解決するためにも管内土地改良区の大合併が必要であった。
 昭和48年5月三条農地が各土地改良区を事情聴取し、11月から合併計画案の検討、立案、審議、提案を経て、昭和49年4月に合併委員会を発足。
 合併委員会は総代、役員の選挙区、定数。事務費、維持管理費、事業費の負担基準。資産、負債の取り扱い。新土地改良区の名称などを協議立案し、昭和50年6月10日に合併契約書の調印が行われ、7月16日に設立委員会が発足し、各土地改良区は解散した。昭和51年1月24日新潟県362号で合併が認可され刈谷田川土地改良区が誕生した。
 この間、行政当局の強力な指導はあったが、各土地改良区の担当者の苦労は言葉では表し難いものがあり、これまでに導いた刈谷田川土地改良区理事長の卓越した手腕によるところが大きい。これまでの混乱や騒乱は今や語り草になり、改良区の各種賦課金はほぼ100%納入率となっている。

(4)国営事業の実施
昭和46年10月8日 国営刈谷田川右岸農業水利事業 起工式
昭和62年3月31日 完成
昭和52年度~県営かんがい排水事業(国営付帯 刈谷田川右岸地区)
平成6年3月 完成
     揚水機場2ケ所 用水路21,669m 排水路24,485m
     総事業費 94億2千3百万円

icon 4.国営事業実施後の地域の現状



(1)担い手育成型ほ場整備事業の実施
 刈谷田川右岸地区内の県営ほ場整備事業は昭和49年から実施しています。当時は30a区画でしたが、平成に入って50~100a区画となりました。平成13年までの施工は3,545ha右岸地区面積の76%が大区画ほ場となっています。
 なかでも平成8年に着工し12年に完了した見附地区1,180haは、暗渠排水を完備し、12加圧機場でパイプラインかんがい方式とし全自動給水栓を備えています。

(2)見附市田んぼダム事業
 平成16年7月13日の新潟福島豪雨は、見附市で日雨量308mm時間雨量53mmを記録し、刈谷田川と五十嵐川が破堤し広範囲で浸水被害が発生しました。近年のこのような集中豪雨に対して刈谷田川、五十嵐川の河川堤防を強化し、信濃川下流部の堤防かさ上げを実施しました。さらに遊水地を設定し計画を超える洪水は水田に一時貯留できる構造としています。
 これで破堤による浸水被害には安心できますが、地区内排水路や小河川の排水機能強化も望まれます。見附市ではこのための自助努力として、平成22年度から貝喰川流域の農地や市街地の洪水被害を軽減するために田んぼダム事業に取り組んでいます。県営ほ場整備事業見附地区1,180haを田んぼダムにします。見附市田んぼダムの貯水量を計算すると2,520千m3になります。ちなみに刈谷田川ダムは4,450千m3ですから、そ の56%に当たります。


 田んぼダムの田んぼは私有地です。田んぼダムの田んぼは田んぼダムの受益ではありません。田んぼダムの効果は大きいです。田んぼ所有者の理解と協力を得ながらどのように実施体制を構築していくか。そのために見附市役所として取り組んでいます。

icon 5.国営事業の概要



事業名   国営かんがい排水事業 刈谷田川右岸地区
工期    昭和45年度着工 昭和62年3月完工 工期17ヶ年
総事業費  266億円 受益面積 4,640ha

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用水計画
 用水不安定の溜池掛り、渓流掛り並びに刈谷田川下流区域を刈谷田川大堰掛りに編入し、昭和江揚水機及び三樋取水口を増強して水源の安定を図る。なお、刈谷田川の渇水時においては、貝喰川下流の中央揚水機により送水し補給する。
 計画基準年(1/10確率干天渇水年)昭和37年  最大用水量 9.866m3/sec

排水計画
 高位部は大面川を幹線排水路、稗田川を支線排水路として、貝喰川を経て信濃川へ自然排水する。低位部は貝喰川と中央幹線を幹線排水路とし、新潟県栄町今井に排水機場を新設して信濃川へ機械排水又は自然排水する。
 計画基準雨量 1/15確率3日連続雨量     254.7mm
        1日目60.9mm 2日目153.6mm 3日目40.2mm
 計画排水量 自然排水45.2m3/sec 機械排水74.9m3/sec
 計画内水位
計画内水位
 ほ場の許容湛水深を5cmとし、計画内水位をTP8.11mとする。が、常時の内水位は、水田の汎用化を考慮して田面下1.0mを保つようTP7.2mとする。
計画外水位
 洪水時の計画外水位は、計画基準雨量の2日目雨量の時の信濃川荒町基準点の水位から算定したTP9.0mとする。常時の外水位は、大島頭首工の堰上げによる背水を河川流量ごとに算定したTP5.517~7.741mとする。

主要工事の概要
 刈谷田川右岸排水機場(新潟県三条市今井)
   排水河川 信濃川   流域面積 67.1km2  計画排水量 74.9m3/s
   常時用ポンプ  横軸円筒形可動翼軸流ポンプ2000mm 510kw  2台
   洪水用ポンプ  横軸円筒形固定翼軸流ポンプ2800mm 910kw  3台


三扉取水工(新潟県見附市上新田町)
   取水河川 信濃川水系 刈谷田川 かんがい面積2,020ha
   計画取水量 代かき期6.207m3/s 普通期5.406m3/s
   鉄筋コンクリート鋼製ゲート  昭和江揚水機場(新潟県見附市葛巻)
 取水河川  信濃川水系 刈谷田川 かんがい面積1,120ha
 計画取水量 代かき期3.235m3

 幹線排水路
/s 普通期3.333m3/s
 ポンプ設備 横軸両吸込渦巻ポンプ700mm 25kw 3台

 幹線用水路
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 幹線排水路
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 水管理システム
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参考文献
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