top01

1.はじめに
2.阿賀野川、小阿賀野川の改修
3.国営事業実施に至る背景と沿革
4.栗の木川排水機場建設・新潟地震・親松排水機場の建設へ
5.農地開発営団事業後のこの地の土地改良事業の変遷
6.亀田郷地区の今
7.亀田郷事業の概要

icon 1.はじめに



 信濃川左岸、阿賀野川右岸の最末端に位置する亀田郷は両大河を連絡する小阿賀野川及び新潟砂丘に囲まれ、東西約12km、南北約11km、面積約11,000ha低平な輪中地帯である。地区の標高は最高7m最低が-2mで実に2/3が日本海の平均潮位以下で、中世までこの地に19の潟湖(ラグーン)が存在し芦沼と称された常習的湛水地帯であった。
 鳥屋野潟に代表される潟湖を中心に広がる低湿なこの地の発展は慶長3年(1598年)に加賀大聖寺から入封した溝口秀勝以降、歴代藩主が取り組んだ数々の治水、新田開発等の土地改良事業が礎となっている。
 阿賀野川右岸の紫雲寺潟干拓に伴う阿賀野川松ヶ崎の掘割が亨保15年秋に完成するが翌年、大量の雪解水が掘割に流れ込み破壊し本流となり阿賀野川と信濃川が分離する。これにより内水位が4尺(1.2m)も下がり紫雲寺潟、福島潟、島見潟等の干拓で新田開発が一気に進んだ。

 この出来事が後年、西蒲原の悪水抜となる内野町、新川金蔵坂の開削。広大な信濃川中下流域の洪水回避のため分水町大河津から寺泊町野積までの10kmを掘り進んだ世紀の大事業、大河津分水 路の建設へ続く。
 大河津分水は豪雨時の洪水を全量、日本海へ放出を可能とし低湿で水との苦闘を重ねた信濃川中、下流域が飛躍的な発展を遂げる基となった。
 その後、亀田郷では阿賀野川の改修が実施され満 松ヶ崎の掘割(新潟市史から)願寺水門の建設で小阿賀野川からの洪水制御が可能となった。
 これらの治水事業の進展で土地改良事業促進への機運が高まり、大型排水機場による強制排水の効果で農地の乾田化が進んだ。
 これを担ったのが農林省の国営阿賀野川事業であり、昭和23年に左岸の亀田郷では鳥屋野潟に集まる排水を栗の木川経由で信濃川河口(現新潟西港)へ排除する栗の木川排水機場(Qmax=40m3/s)が完成し、秋口から一面湖となり「地図にない湖(芦沼)」と言われた亀田郷が浮かび上がった。


icon 2.阿賀野川、小阿賀野川の改修



木津切れと阿賀野川からの洪水カット
 亀田郷を襲った洪水では大正6年に信濃川右岸の曽川地点が破堤し亀田郷全域が湛水した曽川切れが知られるが著名な横田切れとともに多く紹介されており、ここでは新津市満願寺で阿賀野川から分流し新潟市酒屋地点で信濃川に注ぐ小阿賀野川の木津切れとその後の対応を述べる。
 大正2年の8月27日から28日にかけて豪雨は止まず小阿賀野川が増水し下木津の賀茂神社下手の右岸堤が下流に向け240mに渡り一気に決壊する。これにより浸水戸数1,440戸、死者2名の大惨事となった。
 この対策として内務省は昭和4年に阿賀野川改修工事に着手し昭和8年に完成させた。この工事で阿賀野川から小阿賀野川へ流水を制御する満願寺水門が建設され豪雨時の洪水制御が可能となった。また、船運のため閘門も造られた。

桟俵神楽
 木津切れ付近の賀茂神社には桟俵を二つ合わせ口とし、ナスの目にカボチャの鼻、頭髪は熊桿(クマビエ)歯は唐竹を割り組み合わせ金紙を貼った珍しい桟俵神楽が奉納される。
 明治30年頃、水害常襲地帯のこの地区だけ神楽を持たず若者が悔しがっていた。氏子役員へ神楽を買ってほしいとのアピールから祭 礼時に桟俵二枚と蚊帳で急ごしら いの神楽を作り滑稽に舞ったこと が嚆矢で今日まで続いている。
 小阿賀野川は記録に残るだけでも15回も決壊しこの地に大きな被害をもたらした。ユニークな神楽は全国的にも貴重な文化遺産、桟俵神楽水害に苦しむ農民の生活の中から生まれた。金さえあれば何でも手に入る物質万能な現代に警鐘をならし、創意工夫で知恵を出しあえば手近なもので楽しめる精神的豊かさがあることを現代に伝える貴重な文化遺産である。


icon 3.国営事業実施に至る背景と沿革



 本地域は古来「水沼の芦原」といわれ藩政時代から新発田藩溝口侯の指導で土地改良が行われていた。さらに明治初頭から昭和にかけて実施した大河津分水の成功に端を発し、阿賀野川、小阿賀野川改修、加治川分水路開削、新井郷川放水路開削の治水事業が相次いで実施される。
 これら事業は大河からの外水(洪水)排除が主だが、地域の大半を占める低湿地帯の排水改良(内水排除)と不可分であり土地改良事業そのものと捉えられる。
 この外水排除の成功が本地域で大規模土地改良事業促進のきっかけとなり大正12年に阿賀野川下流左右岸で「県営用排水改良事業」が実施される。さらに昭和16年に農地開発営団が設立され「阿賀野川沿岸大規模農業水利事業」として進められた。
 その後営団閉鎖に伴い昭和22年10月に農林省が「国営阿賀野川農業水利事業」として引き継いだ。

1.農地開発営団時代(昭和16年~22年)
 亀田郷では用排水改良が 進められ栗ノ木川排水機場の建設と、排水改良に伴う用水需要増のため阿賀幹線用水路、大江山用水路の改修を行った。

2.国営による農地開発営団事業継承時代(昭和22年~26年)
 亀田郷の排水基幹施設である栗ノ木川排水機場を昭和23年度に完成させ、これに付帯する横越、清五郎、山崎、亀田の4排水路も完成した。
 このことで長年湛水に苦しんだ農地が乾田化し農業基盤を一変させた。同時に両川用水機場、沢海用水機場も完成し用排水両面に亘り事業効果が発現された。

3.国営土地改良時代前期(昭和27年~38年)
 亀田郷では栗ノ木川排水路等の残事業を完成させた。

※農地開発営団事業
 1941年(昭和16年)主要食糧等自給強化10ヶ年計画が樹立され、この食糧需給強化のため農地の造成を担当する国家代行機関として設立され1947年(昭和22年)に閉鎖された。
 なお、閉鎖後は事業が農林省に引き継がれ「国営事業」として実施された。

※佐野籐三郎氏の歩みと功績
010
※画像クリックで拡大
 昭和26年に亀田郷土地改良区総代に選出され昭和30年、32歳の若さで亀田郷土地改良区理事長となる。人を引きつける魅力と類い希なる行動力で明快な指針を示し、阿賀野川事業の歩みに併せ数々の土地改良事業を導入し芦沼と言われた亀田郷の乾田化に尽くした。
 また土地改良の枠に留まらず都市計画や農村計画にも積極的に取り組み、将来を見据え亀田郷を市街区域、田園区域、オープンスペースにゾーン分けし今日の都市と農業が調和・共存する日本海側初の田園型政令指定都市、新潟誕生の基礎を造る。
 さらに地域住民の医療福祉向上のため新潟医療生協を設立、木戸病院の建設・開設に尽力した。加えて国際問題にも顕著な功績を残す。特に中国黒竜江省、三江平原の開発に尽力したことでも知られ作家、司馬遼太郎は越後の傑物と称している。

 【栄誉歴】
  昭和36年 1月 新潟県知事賞
  昭和51年 5月 全国土地改良事業団体連合会長賞
  昭和54年 6月 農林大臣表彰
  昭和59年 4月 黄綬褒章
  平成 4年11月 第10回アジアアフリカ賞
  平成 5年 1月 第1回環日本海新潟賞制定記念特別賞
  平成 6年 3月 正6位勲4等瑞宝章

icon 4.栗の木川排水機場建設・新潟地震・親松排水機場の建設へ



(役割を終えた栗の木川は県都新潟に入る幹線道路に変貌する)
 前述のように食料増産、農業経営の合理化を目的に昭和16年から農地開発営団による「阿賀野川沿岸大規模農業水利事業」が実施され、亀田郷では栗の木川排水機場や横越排水路、阿賀幹線用水路、大江山用水路等の工事が実施された。
 その後、昭和22年に農地開発営団が閉鎖、営団事業は国営事業に引き継がれ昭和23年(1948年)6月に鳥屋野潟に集まる亀田郷一帯の排水を栗の木川経由で信濃川河口(現新潟西港)へ導く東洋一の栗の木川排水機場(Q=40m3/s)が完成した。
 これにより阿賀野川、小阿賀野川、信濃川、新潟砂丘に囲まれた低湿な亀田郷は従来の小輪中、小規模分散排水体系を脱却し、統一機械排水体系による乾田化が実現した。
 しかし昭和30年代からの天然ガス採取による地盤沈下に加え昭和39年6月に発生した新潟地震で同機場は著しく機能低下する。この栗の木川排水機場代替えと して新潟県農地部は排水口を信濃川に求め排水能力60m3/sを持つ親松排水機場を建設し昭和43年に完成した。

 この結果、鳥屋野潟から信濃川河口(現新潟西港)に排水していた栗の木川は役割を終え昭和43年から埋立て工事が始まり、水原、新津方向から県都新潟に進入する6車線の幹線道路(栗の木バイパス)に生まれ変わり昭和50年に完成した。また、栗の木バイパスの主要道路交差点の名称はかっての橋梁名 が残され東港線の万国橋交差点には当時の欄干も残っている。

 また、平成10年8月の新潟市を襲った集中豪雨の被害から国交省は親松排水機場の脇に洪水時専門の鳥屋野潟排水機場(Q=40m3/s)を計画し平成15年に完成させた。
 そして親松排水機場も建設後約30年が経過し、設備の老朽化によるポンプの異常停止や維持管理費の増大等により排水機能の維持が困難となった。また、機場自体の不同沈下によりポンプ 軸が傾き運転停止も危惧されるようになった。
 このため農林水産省は平成14年から「亀田郷農業水利事業」に着手し平成20年に完成させた。


icon 5.農地開発営団事業後のこの地の土地改良事業の変遷



 大正12年に発足した「県営用排水改良事業」が昭和16年度から農地開発営団による「阿賀野川沿岸大規模農業水利事業」に変わり、昭和22年に「国営阿賀野川事業」に引き継がれた。そして左岸亀田郷の栗の木川排水機場の建設、右岸の福島潟、新井郷川周辺の低平地の排水を担う新井郷川排水機場の建設へと進んだ。
 また、昭和21年には右岸の長浦、岡方地域へ用水改良を図る新江用水事業にも着手した。
 また、本事業による排水改良による新たな用水需要に対し昭和36年に「阿賀野川用水事業」昭和39年に「加治川事業」が着工した。
 また、北蒲原一帯の洪水調節機能も果たした福島潟は新井郷川排水機場の効果で遊水池の必要性が薄れ昭和41年からの干拓工事で潟の半分168haが農地に生まれ変わった。遊水池減の代償として11m3/sの排水能力を持つ機場が新井郷川排水機場に併設された。
015
※画像クリックで拡大

 その後老朽化した新井郷川機場と排水幹線である新井郷川支線の駒林川の改修を行う「阿賀野川右岸事業」が昭和63年から平成18年にかけて実施された。 同じく亀田郷でも親松排水機場が建設後約30年が経過し、設備の老朽化したため、農林水産省は亀田郷事業(H14~H20)で旧機場を稼働させながら隣に2代目となる親松排水機場を建設した。

icon 6.亀田郷地区の今



1.地域の農業
 受益の大半を占める新潟市の農業生産高は平成15年統計で760億円、市町村別では全国1位である。基幹作物は米で全体の6割を占めている。また広大な水田と土地改良水利施設は水稲の生産基盤のみならず福島潟、鳥屋野潟等現存する潟湖とともに貯水、遊水、地域防災等の公益的機能が高く評価されている。
 米以外にも野菜、果物、花卉、畜産等多種多様な農産物も生産される。そして国内外に自信を持ってアピール出来る産物を「新潟市食と花の名産品」に指定し新潟ブランドの確立と消費拡大を図る取り組みを行っている。
 事業区域では豊栄地区のやきなす、トマト、横越地区のながいも、亀田地区の藤五郎梅、鳥屋野地区の女池菜、市内全域の十全ナス等が指定されている。

2.新潟市は日本海側初の政令指定都市となる
 信濃川大河津分水の完成以降、芦沼といわれ水との苦闘を繰り返したこの地は先人が互助と共助で立ち向かい、土地改良事業の後押しで低湿地は蘇り飛躍的な発展を遂げた。
 今日、JR信越線、越後線、白新線、国道7号線、8号線、49号線が通りさらに近年では上越新幹線、北陸、磐越、日本海東北と高速道路が3本も貫き交通の要衝となった。事業区域の大半を占める新潟市は平成17年に周辺13市町村を合し、さらに平成19年には人口80万人8つの行政区を持つ日本海側初の政令指定都市となった。

3.亀田郷の鳥屋野潟南部は市民憩いの場に
 平成13年に鳥屋野潟南部に東北電力ビッグスワンスタジアムが誕生し平成14年にサッカーワールドカップが開催された。
 平成21年にはハードオフエコスタジアムも誕生し平成22年にはプロ野球オールスターゲームが開催された。
 これら施設が建ち並ぶ鳥屋野潟南部の発展は阿賀野川事業による乾田化と新潟市のスプロール化を防ぐため佐野氏等が提唱した市街区域と農業地帯を分離する緩衝帯としてゾーンニングしたことが基になっており、良好な環境の中で、スポーツ施設や文化教育施設、医療施設、行政施設が設けられている。

4.全国初の環境用水の取得
 亀田郷は新潟市街地に隣接し宅地化の進展で農業用排水路の水量の少ない非かんがい期は生活水の流入等で水質悪化が見られるようになった。そして、地域住民から水路や鳥屋野潟の水環境の改善要望も大きくなった。
 このため平成10年に土地改良区と自治会組織による「亀田郷環境整備連絡会」組織し郷内の冬期間の水質改善に向け用水導入構想をまとめ国、県の関係各所に働きかけた。
 その結果、平成19年10月18日に新潟市が申請者となり水質改善、景観形成、生態系の保全を目的とする水利使用(環境用水)が国土交通省の許可を受けた。
 そして同日、信濃川右岸堤の舞潟揚水機場から全国初の環境用水が導水された。

5.地域の環境保全活動と土地改良の歴史や施設への啓蒙
018
※画像クリックで拡大
 毎年6月頃に亀田郷土地改良区や新潟市等で構成する亀田郷不法投棄対策連絡協議会主催の「亀田郷一斉清掃」が開催される。
 地域環境・農村景観・自然環境の保全を目的に1,300人ほど集まり、親松排水機場に関わる国営造成施設を主体として、高速道、農道の沿線などの清掃作業に当たっている。
 また、秋にも土地改良施設を巡りながら一般参加者にその果たしている役割や亀田郷の歴史、土地改良区の機能を理解していただく「水土里の路ウオーキング」も開催している。


icon 7.亀田郷事業の概要



1.事業年度・事業費
 平成14年度から平成20年度
 事業費 15,000,000千円

2.受益地及び面積
 新潟市  2,437ha
 横越町  1,011ha
 亀田町   787ha
  計   4,235ha
 メモ
 亀田町、横越村は平成17年に新潟市に合併し新潟市は同19年に8つの行政区を持つ政令指定都市となった。

3.施設
 親松排水機場  Q=60.0m3/s
 立軸軸流   15.0m3/s×2台(2,400m/m)電動機
 立軸軸流   15.0m3/s×2台(2,200m/m) ガスタービン

参考文献
・阿賀野川事業誌 北陸農政局
・亀田郷地区事業誌 北陸農政局
・新潟県の土地改良 新潟県農地部
・水と土と農民(亀田郷土地改良史) 亀田郷土地改良区
・佐野藤三郎さんをしのぶ 佐野藤三郎記念誌編纂委員会
・国絵図の世界 国絵図研究会
・新潟市農業構想(平成18年4月) 新潟市